第9話 野球拳③

 リリィがハッパをかけてから、凌のプレイが目に見えて変わった。二試合連続で彼の圧勝。これはもしや、眠れる獅子を起こしてしまったのかもしれない。


 リリィはストッキングを脱ぎ、さらにジャケットも脱いだ。上はショートキャミソール、下はホットパンツという、お馴染みの格好となった。


 これだけ脱いでいるにも関わらず、凌が魅了にかかる気配は全くない。


「どうする? まだ、続けるの?」


 凌の問いかけに、リリィは唇を噛み締める。本来ならここで止めるつもりだった。いくらエリートサキュバスでも、男の前でこれ以上脱ぐのは未経験だから。


 だが、もう引き下がるわけにはいかなかった。


「ば、バカ言わないで! 今度こそ、勝ってやるんだから……」


 せめて凌のTシャツを脱がせるまでは、絶対に終われない。本気の彼に勝ちたい――その強い思いが、リリィを突き動かしていた。


 そして次の試合。背水の陣で挑んだリリィのプレイは、まさに覚醒していた。次々と難易度の高いコンボを決め、ついに本気の凌に勝つことができたのだ。


「やった……勝った! 勝っちゃった!!」


 心の底から喜びが込み上げる。リリィは最初から、この瞬間をずっと求めていたのだ。


「負けた……ベストを尽くしたのに……」


 凌は脱力した様子でコントローラーを置くと、そのままゆっくりとTシャツを脱ぎ始めた。


 ……あっ、もう脱いじゃうんだ。


 リリィは思わず唾を飲み込む。ついに、凌の上半身があらわになる。一体どんな身体をしているのだろう? 華奢に見えるけど、意外と筋肉がついてたりして――。


「って、タンクトップかーい!」


 リリィのツッコミが、部屋中に響き渡った。まさかタンクトップの上にTシャツを重ね着していたなんて。どれだけガードが硬いのよ!?


 それでも、凌は顔を赤らめて身を縮こませている。その恥ずかしそうな様子を拝めただけで、この勝負を挑んだ甲斐があったというものだ。

 得意げな笑みを浮かべながら、リリィはふっと気を緩める。まぁ、これ以上は可哀想だし、この辺で勘弁してあげよっかな。


「さて、最高に熱くなれたし、そろそろ終わりにする?」


「……いや、まだやるよ」


「へっ?」


 凌は真剣な表情で、コントローラーを力強く握りしめた。


「負けたままじゃ、終われないから……!」


 リリィは心の底から後悔した。凌のやる気スイッチを押してしまったことを……。



 次の試合は、異様な緊張感に包まれていた。絶対に負けられない一戦。手に汗握る真剣勝負のはずなのに、なぜか凌の顔が赤く染まり、リリィも身体が熱く火照っていた。


 ……きっと凌だって、これ以上続けるのは良くないと分かっているんだ。

 

 でも、歯止めが効かない。もう止めなきゃいけないって、頭では分かっているのに。心に根づいたプライドが、それを許してくれない。


 どうしよう……。これ、どっちかが全裸になるまで終われないかも。


「あっ……負けた……」


 絶対に負けられないはずの一戦で、リリィは敗北してしまった。手汗で滑るコントローラーを、力なく床に落とす。


「あっ、その……。嫌なら、別に脱がなくてもいいんだよ」


 凌が心配そうに声をかける。リリィの様子を察しての言葉だったが、それがかえって彼女のプライドを逆撫でしてしまった。


「は、はぁ!? 別に嫌じゃないし! いちいち情けをかけないで!」


 ……いやだ。


「これを脱げばいいんでしょ!? そんなの簡単よ!」


 ……だって、この下に着てるのは、下着なんだよ。


「ふ、ふん! よく見ときなさいよね!!」


 ……まだ、誰にも見せたことなんてないのに。


 リリィはショートキャミソールに手をかけ、ゆっくりとめくり上げ始める。凌はソワソワしながら、できるだけ見ないようにと目を伏せ続けていた。お互い、心臓がはち切れんばかりに高鳴っている。


 レース生地の黒い下着が、ちらりと顔を覗かせた。そのまま少しずつ、少しずつキャミソールを脱ぎ進める。そして――!


「失礼します。おやつのケーキをお持ちいたしました」


 いきなり開いた扉に、リリィと凌は飛び上がるように驚いた。部屋に入ってきたのは、またしても尾岩さんだ。

 彼女は二人の姿を目の当たりにし、口をぽかんと開けて固まってしまった。無理もない。男女二人が顔を赤らめ、中途半端に服を脱ぎかけているのだから。


「……やれやれ、あれほど忠告いたしましたのに。若いというのは、まったく罪深いものですね」


 尾岩さんはわざとらしく咳払いをしながら、ゆっくりと凌の方へ近づいた。そしてポケットから何かを取り出し、そっと彼に手渡す。


「ここまできたら、私も止めません。ただし、これだけは必ずつけてくださいね。二人の輝かしい未来のために」


 彼女は下手なウィンクを残し、軽やかな足取りで部屋を後にした。その背中に、妙な達成感を漂わせて。


「安心してください。ご両親には、おぼっちゃまが無事に筆を下ろされたとお伝えしておきますので」


 扉越しに聞こえた言葉は、安心どころか、二人にさらなる混乱と動揺をもたらすものだった……。



 凌が渡されたもの……それは、小さな正方形の袋だ。中には丸い形のゴムのようなものが入っている。これが何に使われる道具なのか、流石のリリィも知っていた。


「ね、ねぇ? これ……」


 リリィが恐る恐る沈黙を破る。凌はしばらく放心状態だったが、やがて開き直ったように饒舌じょうぜつに話し始めた。


「あ、あぁ! これね!? これ……財布に入れると金運が上がるっていう、あれ! 上田家ではみんなそうしてるんだ!」


 凌は慌てて立ち上がると、机の引き出しから財布を取り出し、尾岩さんから受け取ったものを突っ込んだ。


「やだなぁ、尾岩さん。こんな紛らわしいものを、紛らわしいタイミングで渡してくるなんて。お給料減らしちゃおうかな? なんて……」


 真っ赤な顔のまま、まるでダムが決壊したかのように笑い続けていた。リリィも、とりあえず笑うしかないと考え、凌の不思議なテンションに便乗する。


「そ、そうよね! 全くもう、びっくりしちゃったじゃない!」


「ね! まさかリリィと、そんな……」


「ないない! 私とアンタが、そんなことを……」


 二人は同じ光景を想像し、同じように黙り込んでしまう。気まずい沈黙。火照った身体の熱が冷めるまで、互いにしばらく顔を見合わせることができなかった。

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