第7話 全方向美サキュバス②

 色々あったが、リリィ達は目的地へとたどり着いた。紺色の看板に『十晶じゅっしょう』と書かれた飲食店。ちまたでもかなり人気のあるお好み焼き屋だそうだ。


 中に入ると、大勢のお客さんで賑わっていた。待っている人も多かったが、凌があらかじめ予約していたようで、二人はすんなりと個室へ案内された。


「リリィ、お好み焼きは初めてなの?」


「えぇ、まぁ……」


 出された水をチビチビ飲みながら、メニュー表を読んでいるふりをする。そうでもしないと、何となく気まずくて間がもたないから。

 凌は、リリィのことをナチュラルに名前で呼んでいる。まぁ友達だから当たり前なのだが、プライドの高いリリィは、どこか敗北した気分になっていた。


 ……負けるもんか。私だって、名前で呼んでやる。


「り、りょ、りょ……」


「ん?」


「……アンタは、よく食べるの?」


「あぁ、いや……幼い頃に、少しだけ」


「そう……」


 リリィは再びメニュー表に目を落とす。既に空になったコップに口をつけながら……。



「お待たせしました」


 程なくして、完成したお好み焼きが運ばれてきた。しかしその姿形を見て、リリィは首を傾げる。彼女が文献で読んだものとは随分異なっていたから。


「これ……お好み焼きじゃなくて、ヒロシマ焼きじゃないの?」


「ちょっ……? リリィ!?」


「だって……お好み焼きって、普通は混ぜ混ぜするんでしょ?」


 彼女の発言を受け、店員さんの表情が凍りつく。凌が慌てて謝罪したことで、この場はなんとか丸く収まった。


「リリィ……頼むから、二度とそんなこと言っちゃダメだよ」


 凌から厳重注意を受けたが、リリィには何のことだかさっぱり分からなかった。



 凌はお好み焼きにソースとマヨネーズをかけ、ヘラで食べやすいサイズに切っていく。ついでにリリィの分も綺麗に切り分けてくれた。

 

「いただきます……」


 香ばしい湯気に誘われるように、ヘラですくって一口食べる。まず感じたのは、ボリューミーなキャベツのシャキシャキ感。次いで、焼きそばのもちもちした食感と、豚肉のジューシーな食べ応えがアクセントになっている。


「……おいしい!」


 リリィは目を輝かせた。ソースの甘辛さも絶妙にマッチしており、食欲をそそる。次から次へと口に運びたくなる。


「よかった」


 凌は安心したように微笑みながら、お好み焼きに夢中のリリィを見つめていた。



 それぞれ一人前を平らげたところで、もう一品追加でやってきた。アルミホイルで包まれた中には、真っ赤に染まった料理が入っている。


「これは……なに?」


「『牡蠣かきの旨辛煮』だって。気になって頼んじゃった」


 凌は答えながら、赤く煮詰められた牡蠣を口へ運ぶ。その様子を、リリィはじっと見つめていた。こんなに美味しいお好み焼きを作れるお店なのだから、きっと他の料理も美味しいに違いない。


「リリィも食べる?」


「うん!」


 脊髄反射のように返事をすると、凌は取り皿に盛り始めた。熱々の湯気と共に、スパイスの効いた香りが食欲をそそる。


「あっ、でも……辛いの苦手だったら、やめておいた方がいいかも」


「……はぁ!?」


 凌の優しさによる一言は、リリィのプライドをチクリと刺激した。


「見くびらないでよね! 人間の料理ごときに、辛いなんて思うわけないじゃない!」


 リリィは辛いものに自信があった。かつては魔界屈指の激辛料理、サラマンダーのお刺身だって鼻を摘んで食べることができたのだから。


 全く、このエリートも舐められたものね。そう思いながら、リリィは料理を頬張った――。


「ん、んんんーー!?」


「リリィ!?」


 想像を絶する辛さに、リリィは思わず口を押さえた。何……この辛さ!? 口の中が燃えてしまいそう!


「大丈夫!? お、お水飲んで……」


 凌に水を差し出されたところで、リリィはハッと我に帰る。今の私……もしかして、全然エリートじゃない!?


「……大丈夫」


「えっ?」


「平気よ。ちょっと熱くて驚いただけ。こんなの、辛いうちに入らないわ」


 必死に涙を堪えつつ、一口、さらにもう一口食べる。その度に、口の中を灼熱のマグマに焼かれるような痛みが襲いかかる。


「んん、んんんー!!」


 ……いやだ。もう魔界に帰りたい。


 やがて身体中から汗が噴き出てきた。暑くて暑くて仕方がない。水を飲めば飲むほど、身体は余計に水分を放出しようとする。


 ついに耐えられなくなったリリィは、着ていたジャケットを勢いよく脱いでしまった。中に着ているのは、お馴染みのショートキャミソールにホットパンツ。あらわになった白い肌が、汗で湿ってつややかに輝いている。


「リリィ、また服を……あぁ」


 余りにもリリィが暑そうにしていたため、凌は脱ぐのを止めることができなかった。目のやり場に困るのか、どうにも視線が定まらない。


「はぁ、はぁ、ふぅ……」


 リリィの呼吸が深くなり、頬はすっかり紅潮している。彼女の顎から滴り落ちた汗が、胸の谷間を伝い流れていく。


「っ……!」


 その官能的な姿をの当たりにして、凌はついに視線を逸らし、下を俯いてしまった――。



 リリィは何とか完食することができた。汗でびしょ濡れになった身体をパタパタと仰ぎながら、ふと凌の方へ目を向ける。どういうことか、彼の鼻からは大量の血が流れ、ティッシュで必死に押さえていた。


「ちょっと……? 大丈夫?」


「うん……やっぱり、辛かったみたい」


 彼の様子を見て、リリィはホッと安心する。そうか……やっぱりこの料理は相当辛かったんだ。凌は辛さに耐えきれず、鼻から出血した。でも、リリィは血を流していない。


 ……うん。この勝負、リリィの勝ちだ!


「リリィ……そ、そろそろ、ジャケットを着て欲しいな……」


 汗だくのままガッツポーズをするリリィと、必死に鼻血を止めようとする凌。そんな二人の、違う意味でたぎった身体が落ち着くまでには、しばらく時間がかかったとさ――。

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