第6話 拳で抵抗するサキュバス②
「で? アンタ、本当にインキュバスじゃないの?」
「だから、さっきから違うって言ってるでしょ? 誰なの、その人……?」
古びたベンチに並んで座る二人。男子高校生が、首を傾げながらリリィを見つめている。
「僕は
「ふーん……」
そっか、本当にただの人間なんだ。リリィは自身の行き過ぎた勘違いを反省する。でも、どうしても納得できないことがある。
どうして、魅了が効かないのだろう。
リリィは試すように、ジャケットのファスナーをゆっくりと下ろす。そのまま少しだけ凌との距離を詰め、身体に魅了の魔力を込めた。しかし――。
「また……だ、ダメだよ! どうして君は、そうやって服を脱ぎたがるの?」
彼はリリィが近づいた分だけ離れてしまった。……やっぱり、魅了が全く効いていない。彼はそっぽを向き、何やらソワソワしている。あぁ、きっとあきれた顔をしているんだろうな。
リリィは頭を抱えた。一体どうすれば良いのか。こんなことでは、勇者に勝てるはずがない。魔王様の期待にも……応えられない。
「君さ……」
今度は凌の方から声をかけてきた。目を逸らしたまま、探るような口調で問いかける。
「どこから来たの? その羽とか角とか尻尾は……コスプレ?」
「は、はぁ!?」
的外れな発言に、リリィの声がひっくり返る。勢いよく立ち上がり、凌をキッと睨みつけた。
「馬鹿にしないでよね! 私は正真正銘、魔界からやってきたエリートサキュバス、リリィ様なんだから! 偽物なんかと一緒にしないで!」
ふん、と口を尖らせながらそっぽを向く。全く失礼な男だ。この溢れ出るサキュバスの魅力に気づかないなんて。
「へ、へぇー。よく分からないけど、すごく
男はボソボソ呟きながら、なぜか笑っていた。その姿を見て、リリィの力も思わず抜ける。はぁ、なんだか調子が狂う……。
再び彼の隣に座った。とはいえ、一メートル以上の距離が空いている。その物理的な距離は、まるで心の距離を象徴しているかのようだ。
この距離がある限り、きっと彼を魅了することはできないだろう。どうにかして近づかなければ……。
「……で、どうしてアンタは、一人でこんなところにいたの?」
リリィはひとまず気になっていたことを尋ねた。こんな
「ここ、思い出の場所なんだ」
「お、思い出……?」
リリィはわざとらしく辺りを見渡した。遊具はどれも錆びつき、雑草は伸び放題。トイレなんて、どんな臭いがするか想像するのも嫌だ。こんな
凌はゆっくりと身体を傾け、空を見上げ始めた。
「君も、同じようにしてみてよ」
「えっ?」
「僕がここに来る理由、きっと分かるから……」
リリィも言われた通りに身体を傾け、空を見上げる。すると――。
「わぁ……きれい……」
頭上には、星が散りばめられたキャンバスが広がっていた。その一つ一つが、まるで宝石のように光り輝いている。
「確かにここは気味が悪い場所だけどさ。暗いからこそ、星がこんなに綺麗に見えるんだ。よく兄と一緒に来てたんだけどね――」
凌が小声で語り始めたが、リリィの耳には届いていなかった。まるで魅了されたかのように、すっかり星空の虜になっていたのだ。
凌は話を途中で切り上げ、そっとリリィに問いかける。
「……どう? いい所でしょ?」
「うん。私の住んでる魔界じゃ、星なんて一つも見えないから」
「へぇ……そっか。星が一つも見えないなんて、君は都会に住んでるんだね」
「いや、魔界だってば」
なぜか微妙に話が噛み合わないが、それでも凌は楽しそうに笑っている。そして、リリィにとっても今の状況は悪くないと思えた。
「でも、こんなに夜遅くまで出歩いて、家の人は心配しないの?」
「うん。だって僕以外誰もいないし」
「えっ!? 本当に一人で暮らしているの?」
「うん……」
凌の表情に陰りが見えた。笑ってはいるが、その目はどこか寂しげだ。
「両親は、仕事で海外に行ってて……。もう何年も帰ってない。仕送りはたくさんあるから、生活には困らないけどね」
「そう……なんだ」
あの豪邸に、たった一人で暮らす。それがどれほど寂しいことか、悪魔であるリリィにも容易に想像できた。
同時に、この男について少しだけ理解できた気がする。彼が魅了にかからない理由は、特別な力を持っているからではない。
ただ、愛情を知らないだけなんだ。
家でも学校でも、彼はほとんど孤独に過ごしている。多分、小さい頃からずっと……。そんな環境では、愛や恋心が育まれるはずがないのだ。
じゃあ、今のリリィにできることは何だろう? 魅了をかけるには、相手に『好き』という感覚が備わっていなければならない。一体どうすればいいのか……。
いや、そんなのは簡単だ。リリィは拳をギュッと握りしめ、凌と目を合わせる。
「ねぇ……」
少しだけ勇気を振り絞り、とあるフレーズを思い浮かべる。それは文献で学んだ台詞で、地球の男女が親しくなる第一歩として使う言葉だ。
「――私達、その……お友達にならない?」
リリィはここに宣言する。エリートサキュバスの名にかけて、この男をなんとしてでも攻略する。私の手腕で、必ず魅了して見せるんだから!
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