第6話 拳で抵抗するサキュバス①
人影のない、閑静な住宅街。怪しい月明かりに照らされながら、一人の少女がフワリと舞い降りてきた。ピンク色のポニーテールを揺らしながら、軽やかに地面へ着地する。
……今日で、地球ともお別れか。
リリィは、厳しい
瞳を閉じて、あの男を探す。今のリリィは精神力が研ぎ澄まされた状態なので、彼の『精力』を即座に探知することができた。
「……また、あの廃れた公園にいるの?」
リリィは怪訝そうな顔で首を傾げる。あんな気味の悪い場所で、一体何をしているのだろうか?
……まぁ、どうでもいいか。どうせ今日でお別れだし。
公園に向かいながら、リリィはあの男について振り返る。彼には魅了が効かない。スケルトンキャンディも通用しなかったし、媚薬もまるで効果がなかった。
それどころか、彼の方がリリィを魅了しようとしてきた。不思議な力でリリィの脳内をピンク色に染め、そのまま貞操を奪おうとした。
……本当に許せない。次に妙なことをされたら、もちろん抵抗する。拳で。
リリィは両手の拳を軽く打ち合わせる。その瞬間、バチバチと赤い火花が飛び散った。
あの男が本当にインキュバスならば、物理攻撃が弱点のはず。奴らは高い魔力を誇る反面、攻撃や防御はスライム並みに低いから。
その点はサキュバスも同じ。しかしリリィはエリートなので、幼い頃から弱点を克服する努力を重ねてきた。物理攻撃力には、それなりに自信がある。
先手必勝であいつを押し倒し、強烈なパンチをお見舞いする。そして弱ったところを……最後はやっぱり、魅了で終止符を打ちたいな。
※
リリィの予想通り、例の公園にあの男はいた。地味な外見に、寂しげな背中。人間の皮を被った、卑怯なインキュバスだ。
……あぁ。こんなやつに心をかき乱されていたなんて、自分が情けない。
彼はまだこちらに気づいていないようだ。しめしめ……。リリィは息を潜めながら、静かに彼へ近づいていく。
しかし、どこか様子がおかしい。まるで雑草に隠れるようにしゃがみ込み、何かを警戒している。それも、かなり怯えているようだ。
一体何が――?
「グルル……」
低い唸り声が辺りに響く。見ると、毛むくじゃらの獣がゆっくりと歩いているではないか。ギラギラ光る目に、鋭利な白い牙。まるで魔界に出没する『デスグリズリー』を少し大人しくしたような姿だ。
あれは確か……クマ……だよね?
「ど、どうして君がここに……!?」
男がこちらを振り向く。しまった! クマに気を取られている間に、気づかれてしまったか。まさか、これも彼の作戦……?
きっとそうだ。あのクマは男の使い魔で、ただの
こうなったら、やるしかない! リリィは咄嗟に戦闘体制を整え、頭の中で立ち回りをイメージする。まずは男のあばら骨に右フック。そして、よろけたところを顔面に左ストレートでノックアウトだ! クマは……今はどうでもいい、後回し!
「危ない! 逃げて!」
男が何か叫んでいるが、今は気にしている暇はない。リリィは握りしめた拳を振りかぶった。しかし――。
「グオォ!!」
クマがもの凄いスピードで割り込んできた。リリィはその突進を、間一髪でかわす。
……くそっ。使い魔のくせに、生意気な! そこまで相手をして欲しいのなら、先に片付けてやる!
リリィはクマと正面から向き合う。こいつの倒し方は知っている。地球について調べたとき、とある文献で読んだのだ。
二度目の突進をかわしたリリィは、そのままクマの横に素早く移動。か細い腕を目一杯に広げ、抱きつくようにクマの胴体をがっちりと抱え込み、そして……。
身体の捻りを利用し、勢いよくクマを投げ飛ばした。
「どりゃあー!!!」
金◯郎顔負けの投げ技が炸裂。巨体が宙を舞い、地面に激しく落ちる。力の差を見せつけられたクマは、か弱い声を上げながら走り去ってしまった――。
薄暗い公園に静寂が訪れる。聞こえるのは、秋風に揉まれる木々の音だけ。
「す、すごい……」
男が息を呑んで呟いた。まるで夢でも見ているかのような表情で、リリィをまじまじと見つめている。
……ふふっ、怖気付いたか。リリィは口角を上げながら、再び戦闘体制を整える。邪魔者は片付いた。いよいよ決着のときだ!
「さぁ、次はアンタの――」
「あ、ありがとう! 助けてくれて……!」
男は立ち上がるや否や、深々と頭を下げてきた。その様子を見て、リリィは大きな勘違いに気づく。
……あれ? クマは使い魔じゃなかった? もしかして、本当に襲われていたの?
男は未だに震えている。その怯えた表情を見た瞬間、リリィの拳がわずかに緩んだ。彼からは戦意が全く感じられない。クマに襲われて、相当怖い思いをしたのだろうか?
……いや、きっとこれは罠だ。今までだって、この男に散々振り回されてきた。何度も
迷っちゃダメ! リリィはもう一度拳を握りしめ、大きく振りかぶった。そして――。
「……ケガは、ないかしら?」
男の肩に、振りかざした手を優しく置く。そして落ち着かせるように、震える背中をそっと撫でた。何度も、何度も――。
リリィはエリートだから。こんな無抵抗な相手を一方的に殴るなんて、できるわけがなかった。
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