第4話 魅惑のサキュバスクッキング③
カレーライスは辛い。辛いものを食べると喉が渇く。これは必然の流れだ。
「お水持ってくるから、少し待ってて」
リリィは男にそう告げると、そそくさと台所へ向かった。もちろん用意するのは普通の水ではない。リリィはジャケットのポケットから『とっておき』を取り出す。ピンポン玉サイズの容器に、ピンク色のハートが描かれていた。
魔女っ子マリリン監修、魔界屈指の超強力な
正直、リリィはこの薬に頼りたくはなかった。しかし背に腹は代えられない。この一時だけは、エリートとしてのプライドを捨て去ろう。そんなこと考えながら、容器を軽くつまんだ。まるで目薬のように、一滴の媚薬がコップの水へ吸い込まれる。
次の瞬間、透明だった水が
よし、これでばっちり。人間の男には、この一滴で十分な筈だ。薬を片付けようとしたところで、リリィはふと考える。
……いや、一滴じゃ足りないか。
やつはリリィの魅了が通用しないほどの強敵だ。そんな相手に、たったの一滴じゃ心もとない。リリィは容器を強めにつまむ。二滴、三滴、四滴……用量の五倍相当に及ぶ薬を入れた。コップの水は濃い赤紫色に染まっていたが、やはり数秒で元の透明へ戻る。
「ふふっ、これで完璧ね……」
いたずらっ子のような笑みを浮かべるリリィ。そして万が一にも怪しまれないために自分用の水も準備し、コップを二つ持った状態で男の元へ向かった。
※
「おまたせ」
戻ると、男はすでにカレーライスを完食していた。彼の満足そうな表情をみて、不思議とリリィも充実感を覚える。
「まだ、おかわりあるけど……食べる?」
リリィの言葉に、男は目を輝かせた。
「えっ、いいの……?」
「うん。すぐ戻るから、ここで待ってて」
リリィの心は踊っていた。初めて作った地球の料理を、こんなにも喜んでもらえるとは思わなかったから。口角が上がるのを必死にこらえつつ、彼の前に片方の水を置き、空いたお皿と自身の水を持って台所へと向かった。
※
リリィは鼻歌を歌いながら、カレーライスのおかわりを準備する。今回の作戦は完璧だ。今頃あいつは、特濃媚薬入り飲料水を飲み干していることだろう。もしかしたら、このおかわりを食べるどころではなくなるかもしれないな。
あぁ……魔王様に、なんて褒められるのだろう。マリリンにも、きちんとお礼をしなきゃな。そんなことを考えながら、リリィは自分用に準備しておいた水を一気に飲み干した。
……あれ? 水って、こんなに甘かったっけ?
口に広がる甘ったるい風味に違和感を覚える。まるで雌のミノタウロスから絞ったミルクのような……。あぁ、分かった。きっとこれが勝利の味なのだろう。
それにしても、なんだか妙に身体が熱い。湯気が出そうなくらい、全身がぽかぽかと火照り始めた。頭がぼーっとする。どうしてだろう……?
リリィはカレーライスのおかわりを持ち、ふらふらとした足取りで男のもとへ向かった。
※
「……おまたせ」
「ありがとう……って、えぇ!? 大丈夫!?」
リリィの変わり果てた姿を見て、男は驚きの声を漏らした。
「うん……だいじょうぶらから……」
目は完全に
「そ、そんなに暑かった? すぐにエアコンつけるから――」
「だいじょぶって、いってるでしょー!」
リリィは叫びながら、男の身体に寄りかかった。
「ちょ、ちょっと……!?」
「これをぬげばぁ、すずしくなるからー!」
ジャケットのファスナーをするすると下ろす。今のリリィに自我はない。サキュバスとしての本能だけが、彼女を行動させているのだ。
「だ、だめだから!」
男はリリィの手を握りしめ、彼女を止めさせた。
「人前で、その……簡単に肌を露出しちゃ、だめだよ」
頬を赤らめ、目線は完全によそを向いている。しかし彼の手は、下がりかけのファスナーを確実に戻していた。
「ほ、ほら……。このままだと脱水になるから」
リリィの身体を支えながら、水入りコップを口元へ近づける。リリィはされるがまま、与えられた水をごくごくと飲み始めた。
……あれ? 私……。
薬の成分が水で薄められたことによって、リリィは僅かながら自我を取り戻す。
……もしかして、この男に魅了されかけてる?
ピンク色に染まった頭が、危険信号を発していた。今のこの状況、彼に身体を支えられた状態で、か、間接キスを……!
「こっ、この
「えっ、えぇ!?」
リリィは即座に男から離れ、水とよだれで濡れた唇をぬぐう。危なかった。やはりこの男、只者ではない。このリリィ様を魅了するなんて……まさか!!
こいつ、インキュバスなのか!?
リリィの背筋に悪寒が走る。間違いない、こいつはインキュバスだ! だから女である私を魅了して……手玉に取ろうとしたんだ!
身の危険を感じたリリィは、一目散に玄関へと走り出した。
「あっ、ちょっと!」
後ろから男が追いかけてくる。あれに捕まったらおしまいだ。きっと身体をまさぐられ、あんなことやこんなことを……!
「んん……!」
再びリリィの身体が熱く火照り、全身がむず痒くなる。無理もない。水で薄まったとはいえ、まだ媚薬の効果はばっちり残っているのだから。
それでも、リリィは走った。無駄に広くて長い廊下を、ふらふらとおぼつかない足取りで……。何度かすっころびながらも、ようやく玄関までたどり着くことができた。
「ま、待って……!」
後ろで男が叫ぶ。しかしもう遅い、外へ出てしまえばこちらのもの。残念だったな、インキュバ――。
「カレーライス、ものすごくおいしかったよ!!」
リリィの足が止まる。恐る恐る後ろを振り返ると、あの男が暖かい微笑みを浮かべて立っていた。
「……本当に、ありがとう」
その言葉を受け、リリィの身体がさらに火照る。下半身、特に下腹部のあたりが、ホクホクと熱くなるのを感じた。
リリィは男をキッと睨みつけ、逃げるように家を後にする。彼女には、もはや捨て台詞を吐く余裕すらなかった――。
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