第4話 魅惑のサキュバスクッキング②

 リリィの腕には、半透明の買い物袋がぶら下がっている。中身はにんじんに玉ねぎ、じゃがいも、豚肉、そしてバモウンドカレーのルゥ。近所のスーパーマーケットで購入した、一般的な『カレーセット』だ。


 大多数の男が好むとされる『カレーライス』。リリィにとって、地球の料理は初めての経験だ。しかし、彼女は全く不安を抱いていない。何故ならリリィはエリートだから。



 男の豪邸に辿り着き、玄関の前に立つ。今回はこっそり侵入する必要はない。正々堂々、正面から入るつもりだ。


「えっと……確か、ここを押せばいいのよね?」


 リリィはインターホンに人差し指を近づける。これを押すことによって、家の中で音が鳴り響き、きっと彼が扉を開けてくれるはずだ。


 あの男と……ついに、正面から向き合うんだ。魅了が通用しなかった相手。リリィの胸を触り、エッチなイラストを描いていた男。このジャケットを……丁寧に直してくれた人。


 リリィの胸がトクンと高鳴る。あれ、おかしいな。どうしてこんなにも緊張しているんだろう? あいつはただの人間。


 特別なことなんて、何もないはずなのに……。


「……ぼ、僕の家に、なにか用?」


「わぁ!?」


 突然後ろから声をかけられ、リリィの心臓は冷水をかけられたかのように縮み上がる。慌てて後ろを振り返ると、そこには例の男子高校生が制服姿で立っていた。


「あっ、えっと、その……」


 しどろもどろになるリリィの様子を、男は首を傾げながら眺めている。


「あ、ありがとう! ジャケット!」


「えっ?」


「縫ってくれた……でしょ!? 今日は、その……お、お礼をするために来たから!」


「あぁ……そ、そうなんだ……」


 男はまたしても目線を下げる。相変わらず、リリィに魅了されている様子はない。


 まさか背後を取られるとは……。完全に出鼻をくじかれてしまったが、まだ大丈夫。ここから立て直せばいい。リリィは両手をギュッと握りしめながら尋ねる。


「家に、上がってもいいかな!?」


 男は数秒返事に悩んだ様子だったが、やがて小さく頷いてくれた。



 にしても拍子抜けだ。カレーライスとやらは、案外簡単に作ることができた。材料を切って、ルゥと一緒に煮込むだけなんて……。本当にこんな物で、あの男の胃袋を掴むことができるのだろうか?


「お待たせ」


 並盛りによそったカレーライスを、彼の前に置く。男は「いただきます」と一言呟いたのち、スプーンを使ってゆっくりと口に運んだ。


「……おいしい」


「ほ、本当に!?」


「うん。誰かにカレーライスを作ってもらうなんて、本当に久しぶり。……すごくおいしいよ」


 食べるペースが徐々に速まる。それは彼の言葉がお世辞ではないことを表していた。


 ……よっしゃ!!!


 リリィは心の中でガッツポーズをする。彼に喜んでもらえた……じゃなくて! これはつまり、胃袋を掴めたという事だ。そうなると、これからするべきことは一つ……。


「ふぅ。にしてもこの部屋……なんだか暑いなぁ〜」


 リリィはわざとらしく手で仰ぎながら、彼のそばに近づく。そしてジャケットのファスナーを少し下げ、胸元を露出させた。


 さぁどうだ!? きっと今なら簡単に魅了できるはず――。


「暑い? じゃあ、窓を開けてみるね」


 男はすっと立ち上がり、窓の方へ行ってしまった。


 ……あ、あれ〜?


 リリィはファスナーを摘んだまま、その場で固まってしまう。彼が窓を開けると、それはそれは心地よい秋の風が吹きつけてきた。


「どう? 涼しくなった?」


「う、うん……ありがと」


 男はリリィに目もくれず、席に着くと再びカレーライスを食べ始めた。その様子を、リリィは歯軋はぎしりをしながら睨みつける。


 ……おかしい。確かに彼の胃袋を掴めたはずなのに。


 まぁいい。こうなったら次の作戦だ。リリィはエリートなので、いざという時の『とっておき』を準備しておいたのだ。


 彼女はうすら笑いを浮かべる。ジャケットのポケットに入れてある『秘薬』を、ギュッと握りしめながら――。

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