第4話 魅惑のサキュバスクッキング①

「リリィよ」


「はい、魔王サタニア様」


「例の件、中々うまくいってないようだな」


「……申し訳、御座いません」


 リリィは魔王城へ呼び出されていた。謁見えっけんの間にて、片膝を突いてこうべを垂れる。


 目の前では、魔界の絶対的な君主である魔王が、威厳を漂わせながら玉座に腰掛けていた。暗くて姿はよく見えない。しかし溢れ出る強大な魔力が、あたりの空気をピリピリと震わせている。


 ……魔王様の期待に、応えられなかった。


 リリィは下唇を噛み、拳をギュッと握りしめる。何がエリートだ。あんな人間一人、手玉に取ることもできないなんて。悔しい。自分が情けない。


「……まぁ、そう気を落とすな。努力と結果は、必ずしも結びつくとは限らないものだ」


 魔王の言葉を受け、リリィはそっと顔を上げる。閉ざしかけていた心に、ふっと光が差し込んだ。


「大切なのは過程だ。例え失敗が重なろうとも、その過程で積み上げた努力は、いずれお主の強い味方となるだろう。だから決して諦めてはいけない。下を向かず、前を見て挑み続けるがよい」


「魔王様……」


 リリィはもう一度、深々と頭を下げる。一つ一つの言葉が心にしみ込み、少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。


「……ありがたきお言葉、感謝します」


 一生このお方に仕えよう。改めて決意を固めたリリィだった。


「ところで、お主に伝えておかねばならない話がある。……勇者の動向についてだ」


 再び、場の空気が張り詰める。勇者……いずれは、リリィが対峙しなければならない相手だ。強大な力と加護を持ち、魔王を倒す使命を背負っていると言っていた。


 リリィは眉間にシワを寄せる。もしかすると勇者は、既に魔界にまで足を踏み入れているのでは――。


「あやつは今、始まりの村にて農業に励んでいるらしい」


「……は?」


 農業? なんで?


「なんでも田んぼとやらで、『お米』なる物を作っているそうだ」


「お米……ですか」


「あぁ、お米だ」


 謁見の間に、冷ややかな空気が流れる。魔王は場を仕切り直すように、わざとらしく大きな咳払いをした。


「……リリィよ、あなどってはいけない。もしかしたら、そのお米とやらに絶大なるパワーが秘められているやもしれん」


「な、なるほど」


 リリィはなんとなく理解した。きっと勇者にとって、お米は力の源。しっかり蓄えてから魔界へ攻め込もうとしているに違いない。


「良いか、リリィ。勇者がお米を収穫する前に、何としてでも奴を魅了する術を身につけるのだ!」


「かしこまりました、魔王様! このリリィ、必ずやり遂げてみせます!」


 リリィは力強く立ち上がり、改めて魔王に忠誠を誓った。その瞳に自信の光を輝かせながら――。



 というわけで、リリィは再び日本へやってきた。日はすでに傾いており、熟れた柿のような夕焼けが広がっている。カラスたちが嬉しそうに飛び回っているのは、空が柿と同じ色に染まっているからだろう。


 ……ちょうどいい時間帯だ。


 リリィはいつになく真剣な顔をしていた。今日こそは絶対に成功してみせる、という強い意志が表れている。


 例の男子高校生について、彼女なりに分析を重ねた。彼に魅了が通じない理由……それは『賢者タイム』のせいではない。恐らくもっと強力な、外敵から身を守るバリアのようなものを見にまとっているんだ。


 外からの刺激が効かないのならば、内側から攻めるしかない。リリィは数多くの文献を漁り、人間の男を精神的に揺さぶる方法を調べ上げた。そしてついに辿り着いた答え、それは――。


「待ってなさい! 私の『手料理』で、胃袋をガッチリ掴んでやるんだから!」


 あの男に美味しい料理を振る舞い、油断したところを一気に魅了する。しかも、彼のお腹を満たせばジャケットを直してもらったお礼にもなる。まさに一石二鳥だ。


 我ながら完璧な計画。今のリリィには、『敗北』のビジョンが全く浮かんでいなかった。

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