第3話 同人イラスト②

 そっとイラストを手に取る。間違いない。描かれているのは、紛れもなくリリィの姿だ。

 服装は、今の彼女と全く同じ。前屈まえかがみになりながら、はち切れんばかりに胸を寄せている。リリィの得意技『悩殺のうさつポーズ』だ。


 机に筆記用具が転がっていることから、描いたのはあの男で間違いないだろう。でもどうして……? リリィの頭に、一つの仮説が浮かび上がる。


 ひょっとして……あいつにとっての『おかず』は、私!?


 得体の知れない恐怖心が芽生える。リリィにとって未知なる感情だ。もしかするとあの男は、敵に回してはいけない存在なのかも知れない。


 今まで何人もの男を魅了してきた。しかしそれは、リリィの魔力による洗脳のようなもの。ある程度相手をコントロールすることができるのだ。

 しかし今回は違う。どういう訳か、あの男には魅了が効かない。にも関わらず、彼はリリィを性的な目で見ていて、卑猥ひわいなイラストを描いたり、胸を触ったりしてきた。


 いや、これはまだ序の口なのだろう。きっとこの先、あんなことやこんなこと、それよりもっと酷いことを……!


「んんっ――!?」


 リリィの顔が赤く染まる。エリートサキュバスである彼女が、あろうことか自身の貞操ていそうに危機感を抱いていた。


 その時――。部屋の外から、徐々に近づく足音が聞こえた。


「はっ……!?」


 赤い顔が一転して、血の気が引いたように青ざめる。間違いない。あの男が帰ってきたのだ。イラストに気を取られ、気配に全く気づかなかった。


 この状況はまずい。自身を狙う獣と一つ屋根の下。無理矢理ベッドへ押し倒され、やはりあんなことやこんなことをされるに違いない。


「かっ、隠れなきゃ……!」


 リリィは大慌てで、クローゼットの中へ飛び込んだ。程なくして、部屋に男がやってくる。予想通り、例の男子高校生が学校から帰宅したのだ。


 重たそうな鞄を置き、ソファに座って一息つく。その様子を、リリィはクローゼットの隙間から覗き見ていた。一刻も早く、この場から避難したい……そう願いながら。


 男はおもむろに立ち上がると、机の大きい引き出しから何かを取り出す。黒い上着……いや、あれはジャケット? どこかで見覚えがあるような……。


「っ――!?」


 リリィは大きく目を見開く。彼が手にしていたのは、かつて彼女が脱ぎ捨てた黒いジャケットだった。


 どうして、あいつが持っているの……?


 リリィの額に、じんわりと冷や汗がにじむ。怖い。あいつが何を考えているか分からないから、余計に不気味だ。


 クローゼットの隙間からだと、男が何をしているのかよく見えない。ジャケットをまさぐっているように見えるし、なんだか顔を近づけているようにも見える。


 それはまるで自身の身体を触られているようで、全身がむず痒くなるような気味の悪さを感じた。



 男はしばらくジャケットを触り続けたのち、足早に部屋から出て行った。リリィはクローゼットから飛び出し、黒いジャケットを確認する。


「や、やっぱり私のジャケット……」


 あの男は、これを使って何をしていたのだろうか? 顔を近づけ、匂いを嗅いでいるようにも見えた。まさか今は、トイレでナニをナニして……!?


「い、いやっ――!」


 想像するだけで、またしても鼓動が早くなる。手の震えが止まらない。早く、一刻も早くここから逃げなきゃ……! ジャケットに袖を通そうとしたその時、リリィはとある変化に気づく。


「あれ……?」


 背中の内側部分、破れていた箇所が綺麗に修繕しゅうぜんされていたのだ。外からは見えないだろうと、ほったらかしにしていたのに……。


「どうして……?」


 きっとあの男だ。彼が、リリィのジャケットを直してくれたんだ。別に匂いを嗅いでいたわけではなく、ただ懸命に縫い合わせてくれていたのか。

 でも分からない。何故彼がそんなことを……。


 ……ガチャ。


「あっ――!?」


 突然ドアが開き、あの男が部屋へ戻ってきた。リリィは咄嗟とっさに身構える。今度ばかりは、隠れる暇がない。


「うわっ!?」


 リリィの姿を見た男は、飛び跳ねるように後退りした。驚いた様子で目を見開いている。無理もない。誰もいなかったはずの自室に、得体の知れない女性が侵入しているのだから。


「ど、どうして、君がここに……!?」


 慌てて視線を逸らしながら、震える声で呟く。対するリリィはというと、目を泳がせながら必死に返答を探していた。

 イラストについて尋ねる? それとも、『おかず』について細かく聞いてみる? いやいや、その前にジャケットを直してもらったお礼を伝えないと……。


 いろんな想いや感情が入り混じり、頭の中が真っ白に滲んでいく。結果、彼女の口から出たのは――。


「お……おお覚えてなさい!」


 まるで悪役のような捨て台詞を放ち、逃げるように窓から飛び降りてしまった。


「まっ、待って……!」


 男はリリィに呼びかける。しかし窓の外を覗いても、既に彼女の姿は見えなかった。


「あ……行っちゃった」


 残念そうにため息を吐きながら、ゆっくりと窓を閉める。そしてほんのりと顔を赤らめながら、柔らかい笑みを浮かべた。


「……また、会えるといいな」


 そう呟きながら、ゆっくりと机に向かう。こうして彼は、今日も筆を走らせるのだった。




―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――


お気に召しましたら、★レビューや♡、作品フォローよろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る