第1話 露出魔②

 見つけた。あれが『男子高校生』か。


 薄暗い公園から、若そうな男がとぼとぼと歩いて出てくる。同い年くらいだろうか。背丈は、彼の方が少しだけ高そう。


 リリィは目を細めながら、少しずつ標的へと近づく。極上の甘い『精力』を前にして、はやる気持ちを抑えながら。


 長すぎず短すぎない、さらさらな黒髪。細身で色白な身体。上下セットの黒いジャージ姿。これといって特徴のない、地味な見た目だ。


 ……さて、どうしようかな。


 リリィは考える。先ほどの男みたいに、一気に魅了することもできるが、それでは勿体無い。時間をかけてじっくり料理する方が、より濃厚な『精力』を抽出することができる。


 よし、そうしよう。背後からゆっくりと男へ詰め寄り、そっと肩を叩く。


「ねぇ、君」


 男は驚いたように肩を震わせ、パッと後ろを振り返った。リリィはここぞと言わんばかりに、甘く柔らかい声を作り出す。


「こんな時間に、一人で何してるの?」


 腰に手を当て、脚をゆっくりとクロスさせる。いわゆるモデルポーズだ。男の視線は、吸い込まれるようにリリィの細い脚へと向かい、釘付けとなった。


 よし、狙い通り。少しずつ魅了値が上昇して――。


「……君は、誰?」


 男は即座に目を逸らし、冷ややかな口調で言い放つ。


 ……あ、あれ? 思ってた反応と違う。


 頭がフリーズする。魅了が、効いてない……? いやいや、そんな筈はない。この脚を見て鼻の下を伸ばさなかった男など、今まで一人たりとも居なかったのだから。


 きっと、何かの間違いだ。


 気を取り直して、リリィは次の手を講じた。ジャケットのファスナーを開け、鳩尾みぞおちの辺りまで降ろす。胸元が開き、たわわに実った胸の谷間があらわになった。


「私はリリィ。君と、仲良くなりたいなぁ……」


 前屈まえかがみになりながら、はち切れんばかりに胸を寄せる。そして目線は、もちろん上目遣い。


 悩殺のうさつポーズ。男の脳を直接的に破壊するスキルだ。これなら、さすがに……。


「えっ? 初対面の君に、いきなりそんなこと言われても……」


 んんん!?


 男はまたしても視線を逸らし、ため息まで吐いている。魅了されている様子は全く感じない。どうして……? 一体、何が起きているの? リリィの額にじんわりと汗がにじむ。


 いや、大丈夫。ひとまず落ち着こう。きっと、たまたま魅了の力が発動しなかったんだ。運が悪かっただけ。私はエリート。次は必ず成功するに違いない。


 リリィはそう言い聞かせ、露出した胸に手を当てる。大きく深呼吸をすると、透き通るガラスのような空気が流れ込んできた。やはり地球の空気は好みじゃない。けど……今はそんなことを気にしている場合じゃない。


 こうなったら……本気を出してやる。


 そう決心し、男の視界に入るように近づく。そして中途半端に下げていたファスナーを一気に下ろした。さらに袖から腕を抜いて、ジャケットを脱ぎ捨てる。


 彼女の肌を隠しているのは、面積の小さい下着のような服だけ。リリィは男の耳元へ口を寄せ、吐息混じりの声でささやいた。


「お願い。これからリリィと、楽しいこといっぱいしよ?」


 一歩後ろに下がり、露出した肌にありったけの魔力を込めた。その顔に、勝ち誇ったような笑みを浮かべて……。

 しかし同時に、リリィの中でとある後悔が生まれていた。この至近距離で、これだけ素肌を露出しているのだ。未成年の男には、流石に刺激が強すぎる。もしかしたら、『精力』を味わう前に快楽死させてしまうかもしれない。


 まぁ、それならそれで仕方ない。このエリートを本気にさせたのが、運の尽き――。


「さ、寒いでしょ? もうすぐ冬なんだから、その……そんな格好しない方がいいよ」


「へあっ!?」


 思わず変な声を漏らしてしまったリリィ。男は気まずそうに目線を落とし、自身の頭をぽりぽりと掻いている。魅了とはかけ離れた反応だ。力がまったく効いていないのか。

 

 ど、どうして……!?


「そ……そんな……」


 本気の力を軽くいなされ、リリィは肩を落とした。生まれて初めて味わう、敗北の味。自信も、プライドも、誇りも……。これまで彼女が積み上げてきた全てが、廃屋の解体工事みたいに音を立てて崩れていく。


「う……うわぁぁぁん!!」


 まるで子供が癇癪かんしゃくを起こすように……。リリィは泣き叫びながら、物凄いスピードで走り去ってしまった。男が小声で呼び止めるが、彼女の耳には届かない。


 リリィはひたすら走った。やり場のない気持ちを抱えたまま、ただただ走って、走って、走り続け……。疲れ果てた所で立ち止まる。弾む息を整えつつ空を見上げると、煌々こうこうと輝く満月がこちらを見下ろしていた。銀色の月明かりが涙でかすみ、絵の具のように夜空に溶けていく。


 本気を出したのに。一体、何が悪かったのだろう。


 ……いや、何も悪くない。単純に、力不足だっただけだ。あれが『男子高校生』という存在。このエリートを前にして、微塵も動じないなんて。


 いいじゃない。相手にとって不足なし。なんだか燃えてきた。


「……覚えてなさい」


 夜空に向けて右手を力強く突き上げる。決して届かない月を掴もうとするかのように、小さな拳をギュッと握り締めた。


「いつか必ず、あの男をオトしてみせるんだから!!」


 エリートサキュバスは、男子高校生にリベンジすることを決意した。



 一方その頃……。


 途方に暮れる男子高校生の前には、リリィの黒いジャケットだけが残っていた。彼はその場にしゃがみ込み、ゆっくりとそれを拾い上げる。

 どういう訳か男の頬、そして耳が、ほんのりと赤色に染まっているではないか。


「身体が……熱い。変な感覚……。一体、何だったんだ?」


 息を弾ませながら呟く。胸に手を当てると、心臓が張り裂けそうなほど激しく鼓動していた――。


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