第17話 わさびにワビサビなどアリはしない
「いらっしゃいませぇ~っ! 何名様でしょうか?」
「ひとりっきりです。痛っ」
無言で弁慶の号泣ポイントを蹴るんじゃない。
ショッピングモール三階のレストランフロア。
回転寿司チェーン店にやって来た、俺たち。店前で十分待つくらいの混雑。
「なんだ、ガキンチョ。受付で正直に答えただけだろ」
「ウェイティングリスト。二名っておじさんの名前書いたでしょ」
「順番待ちの名簿ってウェイティングリストっていうのか? ちょっとかっこいい」
「手間取らせないで。あんたが二名って書いたんだから」
「断腸の思いでな」
おひとり様文化を継承する者として、恥ずべき行為である。俺は、食欲に負けたんや。
天羽が店内を見渡すや、へーと声を出した。
「お店中の客席の真横にコンベアを走らせ、いろんなネタを運んでるわけ。なるほど、子供が喜びそうな仕掛けね。ファミリー層がメインターゲット。セルフサービスも兼ねて、人件費の節約にもなりそうだわ」
「ご飯食べに来て、経営者目線やめたまえ」
小娘、素直に目を輝かせろ。で、原価何割? 利益率なんぼなん?
「つーか、回転寿司初めてなのか?」
「……だったら、なによ。悪いのかしら?」
不満げな表情で詰め寄ってくるロリを宥めがてら。
「親が放任気味な俺ですら、子供の頃に何度か連れて来てもらったことがある。だから、意外やなって」
刹那、脳裏でピシャーンと閃いた。
「そうかっ、天羽家は回らない寿司屋しか行かないか。ザギンでシースー」
ケッ、羨ましいこって。俺も時価ってやつを味わってみたいもんですなあ。
「発想が短絡的ね。貧相なのは顔と性格と能力と財布だけにしてちょうだい。両親と外食は小学校に上がってから……よ」
「へ~、全然違う世帯環境だな」
俺は淡々と頷くばかり。
鈍感系にあらず。まして、主人公でもない。ゆえに、聞き返さない。
両親と外食は小学校に上がってから――一度もないだけ、よ。
うちの親より子に無関心なんて、探せばいくらでもいる。その分、大金が自由に使えるのだ。どっこいどっこいしょやろ。
「あたしの生活環境にいちいち同情したり、感傷的な態度の押し売りをしないところは褒めてあげる。ほんと、気が利かないおじさんね」
「全然褒めてねーじゃねえか」
俺だけは、クソガキを甘やかさない。個人勢に対する社会の厳しさを教えてやるぜ。
「それじゃ、俺はカウンター席行くから。会計する時呼んでくれ。ゴチになりますっ」
クソガキとはいえ、奢ってくれる偉大なお方。存分に俺を甘やかせ。
一礼すれば、ここから先はずっと俺のターンッ! ドロー、ウニ軍艦っ!
「窓際のテーブル席が空いたわ」
「お互いベストを尽くそう。じゃあの」
「窓際のテーブル席が空いたわ」
真顔で睨むな。気圧されちゃうぞ。
さりとて、孤独のグルメを履修する矜持が反撃の翼羽ばたかせん。
「天羽。回転寿司は自分で好きなネタを選んで、自分で取って食べる。いわば、個人戦。音無景弘が活躍できる数少ないフィールド。後生だ……俺のソロプレイを信じろ」
「くだらない戯言を吐く暇があるなら、さっさと案内に従いなさい。支払う人間の命令が絶対よ」
「御意……っ!」
心中、滂沱の涙で溺れかけた俺。屈辱を晴らすため、食べまくるしかねえ。
そんなに怖いか? 成人男性が女子小学生に奢らせる金額が? ドン引きかも。
従業員に連れられて、窓際のテーブル席へ腰を下ろしていく。
レーンの上部に筐体やタッチパネル、湯飲み、箸とガリが設けられていた。
「食のテーマパークに来たみたいだなー。テンション上がるぜー」
「その棒読み加減は何なのよ」
「いやね、仮に遊園地へ赴くならばもちろんぼっちーランドだからさ。ハハッ」
アトラクション、売店、トイレ。全ての並び時間、俺はファミリーとキャップルに挟まれながら孤独と向き合うのだ。俺より精神力強い奴、おるん?
天羽が呆れながら、コンベアで運ばれるスシを眺めていた。
「これ、勝手に取っていいわけ? フタ付いてるけど」
「注文皿じゃなきゃ、オッケー。フタは飛沫防止とか、昔迷惑系がアホな動画を拡散した結果付いたらしい」
「あんたも常々、あたしに迷惑かけないよう心掛けなさい」
「おひとり様は人畜無害でしょうに。そっとしておけば、嚙まないぞ?」
ぜひ、ウサギさんより優しく扱ってくれ。お互い、寂しい環境がちょうどいいピョン。
俺は湯飲みを取って、謎粉末をパッパッと入れていく。白い粉? いいえ、緑の粉。
「ん。お茶」
「紅茶にして」
「タダなんだから、ありがたく飲みなさい。その後、サイドメニューで頼めば?」
「……苦いわね」
天羽がお茶をすすった途端、渋い顔を作ってしまう。
「それが大人の味だよ。小学生にはまだ早かったかぁ~」
「おじさんが粉末入れすぎただけでしょ!」
幼女がまだ空の湯飲みを奪い取るや、パッパッパッと粉末をぶち込んだ。飲みなさいよとアツアツのお茶を押し付けられる。
「……苦ぇ~」
「大人の味でしょう? おかわりはいかがかしら? あたしが注いであげるわ」
「三杯入れるのは反則だろ。これだから子供は!」
「ふん、あんたが先に仕掛けてきたんじゃない。子供はどっちよ」
両者譲らず一触即発――でもなくて、真の他人同士ならば摩擦は起こらない。
なんせ、接触しないのだから。人類全員他人になれば世界平和だね。
レーンを覗けば、ネギトロ、甘えび、卵焼き、ハンバーグ、マヨコーン、アボカドサーモン、ウニ、イクラが流れていた。お子様舌にも合うネタが多い。
「ハンバーグ? ここ、回転寿司よね。奇をてらうだけじゃ、オリジナリティーとは言えないわ。商品開発の人に言っておいて」
「担々麺に興味を示す奴もいるからな。選択肢を増やしたんだろ。知らんけど」
客とは、迷惑極まる厄介この上ない存在。販売や飲食に限らず、接客の基本なり。
無駄話を打ち切って、俺は早速イクラへ手を伸ばした。
イクラは最近、高いからな。海鮮丼に申し訳程度、雀の涙程度しか含んでない。もっとこぼすチュン! 口の中でプチプチ弾け、酢飯の旨味と混ざり合った。
ネギトロ。マグロを捌いた後、骨の周りに残った赤身のくせにトロを自称する図々しい奴。己を偽るな、この中落ち野郎! うめ、うめっ。
「骨の隙間からねぎ取る、が名前の由来じゃないの? ネギ、入ってないでしょ」
「クッ……! 高学歴め、食事中に知識をひけらかすと嫌われるぞ!」
「あたしの方が嫌いだから問題ないわ。あと、まだ小学生よ」
高学年だけどね、とドヤったクソガキ。
お受験戦争勝ち抜いて、さっさと東京の私立中にでも進学しやがれ!
ふう、ふう。落ち着け、俺……晩飯ぐらい一人の時間を楽しもう。おひとり様こそ心が自由であるべきなのだ。日々の喧騒を忘れ去り、リラックス。解脱せよ、解脱せよ。
我、無我の境地到達なりや。
否、目前の光景人心乱さん。
デジタル世代の天羽が慣れた手つきでパネルを操作していく。注文メニューに表示されたのは、卵焼き、ハンバーグ、マヨコーン……
「それ、今流れてるじゃん。わざわざ注文せんでも」
「何周目か分からないお皿より、注文した方の鮮度が良いはず。あんたはもう少し、頭を回した方が良いんじゃない?」
「面倒な客っ!」
カプセルトイ専門店店長として、憤りを禁じ得なかった。
賢い消費者気取りか? オメーらみたいのが、余計な手間を増やすんじゃないか!
怒りの衝動と共に、タコやイカ、流れてきた茶碗蒸しをパクパク食べる。
「カツオ、しめさば、真いわし、マグロ。久しぶりに食うレアフィッシュは美味」
「いつも菓子パンと冷凍食品ばかり食べてるわけ? おじさんはもう若くないのよ? ちゃんと自分で健康管理なさい」
「幼女は俺の母親か……いや、うちの親特に何も言わん人だったわ」
「とっくの昔に諦めてしまったのね。その気持ち、尊重するわ」
憐憫の眼差し、やめろ。小学生が悟るんじゃない。
俺は気にせず、テーブル上に皿をどんどん重ねていく。
つぶ貝、ホタテ、アワビ。あさりの赤だしをズズズと吸い、お口直し。
「ほんと遠慮しない暴食ね。むしろ、感心したわ」
「俺は配慮するタイプのひとりぼっち。欲抑えめだが?」
「どこが?」
「皿の色をよく見ろ。ちゃんと二貫のネタだけ選んどる」
しかも、値段が高い黒皿は取っていない。謙虚ですぞ。
中途半端なケチ具合と、呆れたご様子の女子小学生。
「好きな物頼んでいいわよ。今月の食費、有り余ってるし」
「あざす! 流石っす! 頼りになりまっす!」
心の底から、体育会系の音無が幼女先輩に感謝を述べた。
ところで、運動は辛くて苦しいことばっかで何が楽しいの?
黙々とモグモグタイムに集中すれば、前方からスゥーッとスシが滑ってきた。
特上マグロ(黒皿一貫)である。金持ちのツヤしてやがるっ。
「……サービスよ。ありがたく頂きなさい」
「?」
生意気ロリのくせに、サービス? ハ、まかさ!
いつも尊大な態度甚だしいものの、この時ばかりはなぜか涙目。
俺は、妙だなと独り言ちてしまう。
「――っ! お前、わさびがダメなのか!?」
「はあはあ……ダメ、じゃない……得意じゃないだけ」
天羽はツーンとした辛みに喘ぎ、顔を真っ赤にしていた。
「フ、どれだけ精神が成熟しても所詮は子供舌よ。素直にわさび抜きを頼むがいい」
「おじさんのくせに……っ!」
勝ち誇った俺を睨み返したいが、辛味の耐久戦に必死なクソガキ。
特上マグロを口に運べば、わさびのピリッとした風味がトロトロな脂身を調和する。
「俺は焼き肉のデザートで抹茶アイスを理解できる男! つまり、大人さ」
「ださっ。まるで大人げ、ないわよ……っ!」
普段生意気な女子小学生が苦しむ姿を眺めながら食すスシは絶品なり。
――これが成人男性の嗜み。アダルトコンテンツッ! それは違うね。
今までのうっ憤や留飲をちょっとだけ下げたので、助け船を出してやろう。
名前はもちろん、たいたにっくぅ~。そして、沈没である。
流木よろしくコンベアが運んできたリンゴジュースを、悶絶ロリへ手渡した。
「これでも飲んで落ち着きたまえ」
急いで奪い取り一気飲みした天羽が、ひーふーと呼吸を整えていく。
「ほんと気が利かないわね、あんたは! ノロマ! 愚鈍! 亀に速さのコツでも聞いたらどう!?」
烈火のごときお怒りだった。わさび効果より、顔が真っ赤じゃないの。
「ふん、おじさんのせいで担々麵食べる気が失せたわ。どうしてくれるわけ?」
「そんなに辛くないだろ。じゃあ、タンメン食えば?」
「呆れた。回転寿司でしょ。そんなメニューあるわけ――あるじゃない」
目を丸くして、呆けてしまう天羽。
サイドメニューの欄、ラーメン、担々麺、シーフードライス。そして、タンメン。
「魚介と塩の濃厚ハーモニーだってさ。中華料理店か、ここは」
俺はガリと茶で一服し、やれやれと肩をすくめてしまった。
「つまみにチキンとフライドポテト。デザートにイチゴパフェはどうだい?」
ファミレスか。まあ、回転寿司はファーストフードだよ。
「……」
天羽は冷たい表情で注文ボタンを押した。
ツッコミどころ多かれど、腹が減ってはクレームも出せない。
とにもかくにも、後でスタッフの出番なく天羽が美味しく頂きました。
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