第15話 陰の協力者
《三章》
一日、一週間、一カ月のほとんどをこの休憩室で過ごしている。
もはや、生活の拠点だ。少し足を延ばせば、寝具店だって営業中。高反発マットレスを購入したら、いよいよ住民票をスタッフルームへ移そう。ほぼシャワーと睡眠のために自宅と往復する無駄な日々よ、家賃も一緒にさよならバイバイ。
――いや、その理屈はおかしい。
効率的な社畜道邁進に満足するな。プライベートの充実が目的でしょうに。
日々の荷重労働が正常な判断力を奪い、手段と目的を入れ替える。あぁ、恐ろしや。
静寂に満ち満ちていた、休憩室。
オープン前の僅かなひと時。
頭を空っぽに、何もしないをする。人生ソロプレイヤーの安らぎと憩いだ。慰めの言葉なんていらない。孤独は別に恥ずかしくない。好きなことに一人で興じられるから。
ようつべでヒーリングBGMを再生しながら、俺は趣味のジオラマを眺めていた。
ガチャポンの森……ふふふ、錆びれた町だったのに見違えてきたじゃないの。
ナイトシアター一人で行かなくちゃだし、ソロキャンで薪くべなきゃだし、ぼっちBBQ開催しなきゃだし、十文字のオモチャ案件の相手しなきゃ――それは別にいい。
「やることが、やることが多いっ! こんなところでサビ残業してる場合じゃねえ!」
俺は若い頃、もっと自由だった。
今より財布が軽かったけれど、心も軽やかに躍っていた。
生活費欲しさに染まっちまったのさ、社会人ってやつによぉ……金のため、会社へ忠誠を誓って隷属する。是、社畜の所業なり。
つまるところ、三億円欲ちぃっ! 待て、年末ジャンボ。お前をずっと見ているぞ。
全身全霊で不平不満を呟きつつ、ルーティーンをこなしていく。気づけば、時刻は夕方。半年間休みなくお勤めすると、無我の境地にて体感時間を調整できるのだ。
対価は、時間と体力。これほどまでに悲しい異能力があっただろうか? ぐすん。
涙の時飛ばしを経て、売場の見回り兼掃除兼筐体の補充をマルチタスクした頃合い。
「熱心に働いているようですね、ヘンタイさん」
最近、腰に痛みを感じる。湿布で誤魔化していたが、整形外科に行かなくちゃかしら。接骨院でもいいけど、病院ってとにかく待たされる時間が長くてそっちの方が苦痛なのよねえ~。近所で評判な整体の先生も、全然予約が取れなくて残念じゃなぁ~い。
心の中のオバチャンが溜息を漏らした。疾く休ませろ、それで全部解決する。
「ちょっと、どうして無視するんですか! 柊が来ましたよ!」
今日は、結崎が出勤する。できるだけ作業を押し付け、もといスキルアップしてほしい。OJTをあと二つこなせば、店長へ推薦しよう。やったね、キャリアアップ。
名ばかり店長のバイトは、使えねーから降格。実力不足で肩書を失い、ショックで次第にフェイドアウト。正々堂々大手を振って、ビババックレ!
未来予想図を描きながら、バックルームへ戻ろうとした俺。
「うぅ、酷いです。知らない大人に話しかけるの、すごく勇気を出したのに……」
柊さんが控室へ通じるドアの前へ先んじて陣取った。
悲しそうな眼差しで見つめられ、俺は一瞬の逡巡に躊躇の枷をはめられて。
「押し通りまーす。失礼しまーす」
「あなたが血も涙もないヘンタイさんだと決定しました! ぜーったいに許しません」
「いや、心理描写だとよく泣くけどな。キミのウソ泣きくらい」
「表情が豊かなだけです。柊百面相なのです」
エッヘンと偉そうに胸を張った、女子小学生。態度に比べて慎ましかった。
「今日は天羽来てないぞ。帰った、帰った」
「天羽さまはこの後、ボルタリングと株式投資セミナー? の習い事です」
「へー。ボルダリングって、最近ブームみたいじゃん。もう投資かじってるとか、スゲーなあいつ。もっと小学生を謳歌してもよくなくなくない?」
習い事で忙殺されて楽しいのかね? まあ、金持ちの子供の宿命か。
――あ・な・た・の・た・め・な・の・よ。
子は母の所有物であり作品であり、傑作にならなければならない。失敗は許されない。うちは放任貧乏ゆえ、そんなプレッシャーは感じなかった。体験格差、ありがてー。
「天羽さまはすごいんです! 英語だって喋れるし、パソコンの授業もタッチタイプだし、足は一番速いカリスマJSですから!」
ふむ、いわゆる人気者要素を兼ね備えている。なんでぼっちなん?
ひょっとして、性格……よろしくない? それだっ。はい、論破。
お調子者やったりおどけてみれば、秒でクラスの中心人物だろうに。
否、天羽きららは己のへりくだりを許さない。実力とプライドの高さゆえに。
羨望の念を抱いて両手を組んでいた、柊さん。理解とはほど遠いようだ。
「そんなに憧れてんなら、仲良くなればいいさ。じゃ、頑張って」
「柊をあまり舐めないでくださいっ。天羽さまの邪魔などもっての外! 馴れ馴れしく触れていいお方だと思いますか!?」
成人男性はアウトだけど、キミは大丈夫でしょ。
「推しに認知されたいだけのミーハーじゃございません! 足手まといになるくらいなら一生近づかず草葉の陰から応援します!」
「死ぬんじゃないよ、若いの。長生きしたまえ」
「天羽さまの神々しい輝きによって、柊の人生は照らされたのです!」
クソガキが人助けをするとは思えないものの、柊さんは救われたらしい。
理由は……あっ、大丈夫。語ることなかれ。過去編、割愛で。おひとり様は他人のセンシティブに干渉しないし、パーソナルに踏み込まない性質ゆえ。路傍のソロです。
じょう舌に、情熱的に、自慢げに生意気ロリの素晴らしさを説いたガチ勢。
俺はそれを、右から左へ聞き流していく。今日のディナー決めた、鶏がらスープ飯や!
「つまり! 柊が今できるたった一つは、目の前の敵を排除することなのです! 覚悟しやがってください、ヘンタイさんっ」
「……まるで冴えたやり方ではないが」
ご丁寧に現像された例の写真を、柊さんがグイグイ押し付けてくる。
「証拠はあがってるんですよ。罪を憎んでロリコンを憎みましょう!」
「孔子はそんな処罰感情強いっけ?」
「? どなたですか、その人?」
「知らんのか。じゃあ気にするな」
俺は、やれやれと肩をすくめるばかり。
どうしたものか。この頃はやりの女子とまともな会話できん。コミュ力が低いから孤独であり、孤独だからコミュ力が低い。すまん、シンプルに子供が苦手だ。
SNSは嫌いだし、書面を通じてやり取りすべきか一考した。
「ここ、カプセルトイ専門店。ガチャガチャしないんなら、お引き取りをば。天羽にその写真渡すといい。脅してないけど、脅迫対策になるでしょ。さよなら」
やべ、ただの本音が。思考を放棄するな、おひとり様は考える葦である。パスカルも、ぼっちだぼっちだと言っていた。
まあ、俺は他者に嫌われても気にしない鈍感力を自負している。面倒な人間関係から解放されれば、大体オッケー。あばよっ!
「待ってくださいってば。うぅ~、回しますよ。回しますから、急に冷たい態度にならないでください。本当はすごく怖いんですか?」
上目遣いで恐る恐る質問してきた少女。
「あぁ、悪いんだ。おかげで、俺の交友関係は全て断たれた」
「やっぱり、女児を狙った性犯罪……っ!」
「性格が」
「そっち!?」
そして、ズッコケである。往年のバラエティで通用するリアクションだ。
「悪いです……本当に悪い人なのですっ」
「ちゃんと自己申告しただろ」
「反省しない人は大人じゃないって先生が言ってました。ヘンタイさんは子供です」
「だったら、どれだけ良かったか」
しみじみと物思いに耽った、モラトリアム探究者。
親愛なるピーターへ。ネバーランドに連れて行っておくれ。お前が成長した子供にどんな仕打ちをしているか、ここだけの話にしておいてやる。オマワリサーンッ!
「無責任や約束を守らない大人は星の数だけいるけどな。先生も校内禁煙を無視して、非常階段でこっそりタバコ吸ってるぞ」
「騙されません! 嘘つきはヘンタイさんの始まりなのです」
柊さん、徹底抗戦の構え。
それでいい。このご時世、不審者の口車とワゴンに乗っちゃいかん。
しかし、タバコの件は実体験なのだ。生活指導なのに、けしからん。
結局、柊さんはガチャポンをやるらしい。客かー、仕方ないお相手します。はあ。
レストランの食品サンプルよろしく、売場に並列した筐体を順番に眺めていく。
「ガチャガチャって、コンビニとかおもちゃ屋さんに置かれてるイメージでした」
「今はスーパーとか駅にもあるな。家電量販店には専門コーナーが設けられている」
「うちのクラスでも結構ブームです。これなんか、人気ありますよ」
柊さんが指さしたのは――文房具バトルシリーズ。
図らずも、天羽が友達作りのきっかけとして選んだカプセルトイ。
「知ってる。小学生がよく回してるから」
「柊も持ってます。休み時間の暇潰しで盛り上がったりします」
「ふーん。ちなみに、クラスの誰かがシークレット持ってたりは?」
「ヘンタイさん、シークレットは全然出ないからシークレットですよ、ヘンタイさん」
二回言わんでいい。二回言わんでいい。
「じゃあ、最初にゲットした奴はヒーローか。注目の的間違いなし?」
「それはそうですけど、真っ先に男子が騒ぐと思います」
「やっぱ、俺のアドバイスが正しかったじゃん……」
聞いてるか、クソガキ。
お前が神引きしたシークレットで、簡単に友達100人できただろ。それをもう処分しただあ? 自分でチャンスを捨てとるやないかい。悔い改めて。
「そんなに流行ってるなら、これをダシにあの子を誘ってみればどうだい?」
認めたくないものだが、天羽の神引きは稀有な才能の類。
ワンチャン作ってやる。お礼? いいって、代わりに年末ジャンボ買うだけで。
「天羽さまはこんなチャチな遊びなど興じません! もっと崇高な遊戯を嗜むに決まっているのです!」
熱心な信者にとって解釈違いらしい。ファンが一番の障害って悲しいね。
「柊さんは、天羽と仲良くなりたい。これは間違ってないよね?」
「そ、そんなこと……ないですっ」
などと、容疑者が供述している。昔飼っていたグッピーより露骨に視線が泳ぐばかり。
「キミの中では、音無景弘という厄介者が推しの邪魔してんだろ? 排除する前に、天羽に顔を覚えてもらう方法を考えなさい。遠目で眺めるだけはおしまい。お近づきになれ。その協力はしようじゃないか」
「どういうつもりですか? 何を考えているのですか、ヘンタイさん?」
警戒の色を強めた、柊さん。
「くくく、もちろん――皆が得するハッピーセットさっ」
「今は本当に悪い顔してますよ!?」
女子小学生は慌てふためくや、約束通りガチャを回す几帳面さを発揮。
――ガラガラポン、と。
出てきたのは、緑のカプセル。残念、ハズレ。
「きょ、今日のところは失礼します。でも、柊は諦めませんからっ」
「わざわざ会いに来ないでくれ。出待ち行為は迷惑。追っかけの常識やろ?」
「また来ますからね! 今度は別の証拠も押さえてやります!」
ぷりぷり怒りながら、柊さんは退散していくのであった。
女子小学生の背中を見送って、俺は控室へ戻った。
「疲れた」
思わずポロリしちゃう。子供の相手、いやぁーキツっす。
ソファに寝転がり、渋々嫌々他人の関係性に対して考察していく。
実像とイメージの乖離、か。
天羽が真の仲間とやらを欲するならば、自らの本音と建前に向き合う必要あり。
おそらくあの幼嬢に最も関心を寄せた少女でさえ、着飾った見栄のカリスマに目を奪われてしまっている。強い衝撃を与え、目を覚まさせてやれ。おビンタ一発よ!
「まあ、殴っちゃいかんな。フリだけで、どうぞ」
俺は動画編集のバイト経験済みゆえ、効果音を足すくらい朝飯前。
あれ……? 今日のブレックファースト、何だっけ? お、思い出せないっ。
これが――老いか。二十歳超えるの末恐ろしや。
否、思い出せないのは当たり前。
なんせ、朝食はコーヒー一杯だけだったのだから。
ブレイクするモン、何もねえじゃねぇええかぁぁああーーっっ!
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