第14話 柊雪月花

 ヨガの後にエステな保科さん。

 ピアノの後にプログラミングな天羽。

 それぞれ、今日は習い事があるらしく帰宅した。

 へー、裕福って金を使うのに忙しいんだな。貧乏は金を稼ぐのに忙しいぞ。


 いわゆる親の経済力で体験格差ってやつ? うちも年収一千万円世帯だったら、確実にニート道を歩んでいたのになあ。っぱ、世の中諭吉かよ。

 栄一は不貞行為野郎ゆえご祝儀に使うなと、マナー講師が言っていた。マナーって本当に奥が深いねえ~。俺は結婚できないけど、栄一でかまへんで? くれよぉ。


 職場へ戻る足取りがやけに重かった。当然だ、労働が嫌いなのだから。

 仕事一筋勤続四十年なるワードを聞いたことがある。称賛。驚嘆。否、恐怖だ。


「つかの間のサボりが終わってしまった。夜までわくわくワークタイム……」


 七時出勤、二十一時退勤――ゴミか? 肩書店長、アルバイトぞ。

 サビ残業せずして、何が社畜か。モーレツ社員! 企業戦士ガンバル! 我々が若い頃なんて終電ダッシュがうんぬんかんぬん!


 何のために働き、何をして働くのか。脳裏にアンポンタンマーチが響いた。哀と孤独だけが友達さ。

 パン食べ放題へ参加したけど、未だ元気マイナス百倍。腹は満たせど、心は虚ろなり。


「お腹いっぱいになれば幸せになる。アレ、迷信だったのか……」


 俺は俯き加減に、通路の汚れに視線を落とすばかり。ちゃんと掃除して、どうぞ。

 館内にはディスプレイや横断幕、ポスターが設置され、客の目に留まろうと必死。  

 ガチャポンの森も宣伝費用を増やした方が、いやならんっ。負担が増えるだけや。

 エスカレーターを下り、広場を通り、連絡橋を突き進む。


 さて、今日はどの手で時間を潰そうか。

 忙しさを理由に学ばないのはアップデート不足。時間は簡単に作り出せるってビジネス本の帯に書いてあった。もちろん、推薦者は年365連勤で毎日サビ残してるんだろうなあ! いやはや、自分全然ペーペーっす。


 煽り文だけでアマゾンレビュー星1を付ける憤慨を振り払い、カプセルトイ専門店へ帰還したタイミング。


「あ、あの! す、すすすいませんっ」

「いらっしゃいませぇ~」


 話しかけられたら、初手挨拶。コンマ一秒で反応する。バイトの役目でしょ。

 控室で何もしないをしたいと思いつつ、店員モードで営業スマイルを披露すれば。


「あれ?」


 誰もいない? ホワァイ? 幻聴? イマジナリーカスタマー?

 景弘、あなた疲れてるのよ。え、当たり前だろ? まともな休み皆無だぜ。


 しかし、どれだけ陰謀論と超常現象が起きても仕事はなくならない。今世紀最大の不思議ミステリーである。

 俺が首をガックシと傾ければ――いた。


「おー待たせしました。ご用件を伺います」


 黄色い帽子にランドセルな小学生ルック。顔の輪郭とボブカットが丸みを帯び、とても童顔に見えた。加えて、ぱっちりおめめを不安そうに揺らして庇護欲をそそらせた。

 俺の知ってる生意気ロリと違って、今時の可愛い系少女。


「……」


 先方は口を真一文字に結び、生まれたてのバンビよろしく脚を震わせている。

 ……トイレか?


 待て、音無! それを聞いたら最後、セクハラタイーホ待ったなし。トイレの場所を教える意図しかないけど、成人男性が女児と会話するだけでもっぱら時代は事案と叫ぶ。

 悲報、カプセルトイ専門店店長。女子小学生に性的嫌がらせか!?


「……」


 であるならば、こちらも黙る他なかった。待ちの一手。あらゆる言動が切り取られ、悪意に満ちた編集をされる昨今、沈黙はゴールデンなのだ。

 ちょっと待って、俺って最近クソガキと一緒によくいるよね? 嫌々だけど。


 ――ハッ! 連れ回し事案!? おまわりさん、それでも俺はやっていないっ!

 ガチ冤罪でも九割九分負けるのが裁判らしいじゃん。正義? 真実? はーん。


「あっ、ああああああっ! 天羽さまにこれ以上近づかないでくださいっ!」

「ひぃ~~っっ!? ……え、何だって?」


 謎の小学生が勇気を振り絞り放った言葉にビビったが、一瞬で我に返ってしまう。


「最近、ヘンタイさんが天羽さまと一緒にいることは調べがついています!」

「ひぃ~~っっ!?」

「あなたが弱みに付け込んで、天羽さまを嫌々連れ回してるに決まってます!」

「……え、何だって?」


 天羽さまとは、あの知能は高いが口が悪いクソガキのことかい?

 俺は、ふむと冷静な判断を取り戻していく。状況を俯瞰せよ、俯瞰せよ。


「キミはまさか、天羽きららさんのお友達かな?」


 否。アイツ、友達いないから。


「とんでもありません! 柊がっ、柊ごときが天羽さまの友達になる資格なんて!」


 ブンブンと頭を振った、柊さんとやら。


「天羽さまは、カリスマJS! 幼稚なクラスメイトと一線を画した孤高の稀人! 柊の大絶賛な推し小学生なのですっ」


 そして、興奮気味である。

 鼻息荒いぞ。あ、これもセクハラか。生き辛い世の中だぜ。

 天羽がカリスマ女子小学生で孤高の稀人? ぷっ。あやつ、ぼっちを気にする寂しんガールなのだが。


「柊さんとやらにとって、天羽きららは推しなのか」

「もちろんですとも! あんなに華麗で聡明で完璧な、物憂げな表情が似合う美少女がいますか? いや、いませんっ」

「そだねー」


 推しを語る人には、初手肯定。うんうん、その気持ち分かるぅ~と共感してやればいい。まさか、ネットに書いてあったコミュ力テクを使う日が来るなんて。


「柊雪月花です。天羽さまの魅力に気づいた眼だけは評価します」

「どうも、音無景弘です。ガチャポンの森店長やってます」


 ペコリと頭を下げた、名ばかり店舗責任者。


「音無さん、あの方を解放してください。今ならまだ、穏便に済ませられますから」

「解放するもなにも、俺は無実だ。女児、ノータッチ。ロリコン、ダメ絶対」

「しらばっくれても無駄なのです。証拠はありますから」


 ムッとした表情でスマホを取り出した、柊さん。

 開示された写真――個室で成人男性が未成年の少女にくんずほぐれつ接触していた。


「これでも反論できるのですかっ!」

「……っ!」


 名探偵よろしく犯人はお前だ! ビシッと指をさされた。

 ば、ばばばバカなぁ~!? 俺のっ、俺の計画は完璧だったのにぃいいイイイッッ!


 まあ、ミスドで買ったおやつの配分で揉めただけなんですけどね。ポンデリングとエンゼルフレンチの独占は許せん。若い奴はオールドファッションで口をパサパサしろ。

 もちろん、いかがわしい場面じゃない。プロが加工すれば、いくらでも事案だが。


「てか、いつこんなん撮ったん?」

「この前、天羽さまの放課後の足取りがいつもと違いました。心配で校門の陰からそっと見守り続けました。このお店のスタッフルームから出てこないので、こっそりドアの隙間から証拠を掴んだわけです」

「お、おう。ご苦労様です。尾行と身辺調査。現実の探偵はそんなんばっからしい」


 俗に言うストーカーでは? と、景弘は訝しんだ。

 男なら犯罪者扱い。若いおなごで良かったね。


 否、ストップザ盗撮。休憩室には社外秘文書が掲載されてるため、その写真が拡散したら最悪情報漏洩で損害賠償請求。お嬢さん、泣いて子供の悪戯で済ませるかい?


「店長の正体見たり、ヘンタイさん」

「誤解だって。この後、天羽は平然と腕叩いてきた。でも俺は非暴力・不服従」


 俺はもちろん抵抗するで、ガンディーで?


「今、ここで! 天羽さまに今後一切近づかないと誓うのでしたら、柊は矛を収めます」

「誓わなかったら?」

「交番へ行って、お巡りさんに捕まえてもらうのです!」


 防犯ブザーを取り出すんじゃない。おじさん、それ弱いんだ。

 柊にとっての真実は、俺が生意気幼女を脅かす凶悪犯。

 俺にとっての真実は、俺が生意気幼女にイジメられる家来。


 真実はいつも一つ? はは、聞いてるか。名探偵。真実は人の数だけ存在するぞ。

 けっして交わらぬ平行線。はたして、相手を説き伏せるのは不可能か?


「キミが天羽に直接確かめれば即解決。なんせ、事実はいつも一つなのだから」


 クソガキが俺を陥れる確率は無きにしもありありだけれど、流石に自分が面倒な誤解に巻き込まれるのは防ぐさ。だよね? だよな? 頼んだぞ、きららたん!


「そんなこと! できません! できるわけ、ないじゃないですかっ」

「如何に?」


 柊さんが真っ青な顔で、口を覆った手を震わせていく。


「だって……柊ごとき陰キャが話しかけるなんて滅相もないですよ!」

「案外、喜ぶんじゃないか。あの子、基本一人なんだろ?」


 転校デビューに失敗した悩める子羊だぜ。

 本人不在で事情を暴露するのはフェアにあらず。ぼっち同士も他人だが、情けやよしみが生まれたりする。戦場異なれど、我ら仲間なり。十文字、これが同志だ。


「天羽さまを、下々の手垢でカリスマを汚しては一生の不覚なのです。さんさんたる輝きに触れてはいけませんから」

「燦々たる……むつかしい言葉知ってるね」


 俺がそれを初めて聞いたの、多分高一くらい。国語の偏差値、48は伊達じゃないッ。

 音無景弘の証言、どうせ柊さんは信じない。じゃあ、テキトーにあしらうべきか。

 最も確実なのは、天羽さまの啓示。御身の一声ならば、鶴に似てよう。


 しかし、問題が。あいつの連絡先、知らへん。だって、友達じゃないもん。SNSやライン交換なる発想に至らなかった。ク、おひとり様の矜持が俺をピンチに!

 もう面倒くさいし、俺が土下座して全部まるっとスッキリ解決の方向で――


 トゥルルルルーッ!

 電話が鳴った、女子小学生の。もちろん、俺のスマホに通話機能など不要らっ。


「ママ、どうしたの? うん、うん……もうパパ帰ってきた? ちょっと寄り道しただけ、すぐ帰る。別に準備するようなことないし。牛乳もうない? 分かった、スーパー寄ってく。特濃ね。はい、はぁーい」


 柊さんが俺の方へ振り返れば。


「この後出かける予定があるので、今日のところは失礼します」

「気をつけて帰りなさい。夕方でも、少女一人に変質者の魔の手が忍び寄る昨今だ」

「ヘンタイさんが言うと、説得力が違います。柊は防犯ブザーの達人なので、大丈夫なのです」


 自信満々の表情だった。じゃあ安心だねー。でもガチ勢に防犯ブザー効かないよー。


「また来ますからね。あなたが罪を認め、誠心誠意の謝意を述べるまで! 柊は絶対に諦めませんから!」


 そう宣言するや、新たな脅威は一旦去っていくのであった。


「……またのお越しお待ちしておりませーん」


 思わず独り言ちた、俺。勘弁してちょうだい。

 子供なんぞ、控えめに言って極めて超絶ウルトラスーパーハイパーデラックスデンジャラス。苦手、である。


「一人相手するだけで、俺は十分参っているんだよなあ」


 天羽は生意気の権化だが、それでも精神的に俺より大人。ご立派です。

 柊さんの第一印象は、年相応のヤンチャガール。エネルギッシュな活力に脱帽です。

 まったく、女子小学生は最低だぜっ!


「逆に考えろ、新参者はニューロリー。厄介者同士をくっつけて、相殺すればおけ」


 天羽きららへ、天羽教の信奉者をお友達として仲介しよう。

 二人は仲良くなり、クソガキの悩みは解決。学校生活がバラ色に輝き、光の速さで過ぎ去りし小学校時代が思い出で潤う。チンケなガチャ屋に足を運ぶ暇などなく、日々のストレスを店長へパワハラして発散する悪しき蛮行も収まろう。


 俺は手数料として、申し訳程度に残業アニマルシリーズ・シークレットレアの悪徳タヌキを頂戴するだなも。


「イケる! 勝ったな、この勝負――もろたで工藤っ!」


 数学の偏差値は52なものの、取らぬタヌキの皮算用だけフラッシュ暗算可能。

 天羽に友達ができ、俺は従来のおひとり様シフトへ回帰する。

 それってつまり、ウィンウィン……ってコト?

 音無景弘の暗澹たる未来に、一筋の光明が降り注いでいく。


「手始めに、ビジネスフレンドになろうじゃないか。クックック……またのご来店お待ちしておりますよ、柊さんとやら」


 ニチャアとほくそ笑んだ成人男性がそこにいた。

 ガチャガチャを回していたお客の若人たちに店長顔キモーいと言われたが、案ずることなかれ元々さ。悪口でいちいち凹んでいたら、ひとりぼっちは務まんねーからよ。

 目的のため仲良いフリ、得意じゃないができないわけにあらず。


「また本屋寄らないとな」


 今さら聞けない大人の友達術、とか。どうせ探せばあるやろ。

 俺はちょっとだけ、明日の訪れが楽しみになった。

 まあ、今日も明日も明後日も労働なんですけどね。

 止まない雨がなくとも、明けない夜がなくとも、終わらない仕事があるばかり。


 畢竟、シンプルに休日が欲しいと思いました。半年休み無しってマ?

 週休二日制は罠。アットホームはサビ残のプレッシャー。

 皆も転職サイトの求人案内、鵜吞みにするんじゃないぞ!

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