魔女とサボテン
サボテンが欲しいと言われて、夜明け前に『藍の砂地』に放り出された。
「できるだけ小さいやつをとってきて、まだ花が咲いていないやつよ。あとは、オアシスを見つけたら教えて、珍しいものがあるかもしれないから」
魔女は窓から俺を蹴り落としたあとそんなふうに言って、黒いスコップとナップザックを放ってよこした。俺が何をか言い返す前に、宙に浮いた窓がばたんと音を立てて閉まる。そのまま窓は光の粒となって、空中であとかたもなく消えた。
しかたなく、俺はスコップとザックを手にして立ち上がった。周囲を見回す。どこまでもどこまでも続く、そのもの藍色の砂地がところどころ山をなしたり、谷のように深く切れ下がっているのが見えるばかりだった。鈍色の雲が強い日差しを覆い隠しているだけまだマシだ。藍の砂地はいつ来てもどんよりと濁ったように曇っている。
持ち手に薔薇の蔓が巻いたような装飾が施してある、やけに華奢な(そのくせ硬度はそれなりで、つくりもしっかりしている)スコップを手に、砂の上を歩き出した。魔女が欲しがっているサボテンは、この藍色の砂を好んで生えるらしい。できるだけ平たい地面を探して歩く。そこにわずかな水が溜まりやすいから、植物が生えていることが多いのだ。
無意識のうちに草木が生えているであろう場所を探していることに気づいて、ひっそりと苦笑する。こうなったのは何もかも、あの『魔女』のせいなのだ。
あの魔女の名前は知らない。ただ、『
しばらく歩いて、ようやく目当ての植物を見つける。細くて柔らかな針を綿雲のようにまといつけた、小さなサボテンだ。ざくざくと砂を掻き、サボテンを根本から掘り起こす。ふかふかの針がちぎれて飛ばないように……何しろこの針は一旦サボテン本体から離れると、飛んでいってくっついたものから容易には離れなくなるのだ……慎重にスコップに乗せ、ザックの中から取り出した瓶に入れる。掘り返して、中身を瓶に移す。それの繰り返しだ。
こうしていると、どうしてか衛士をやっていた頃を思い出す。城内の哨戒は、正直似たような作業だった。思ったよりもこういう仕事が向いているのかもしれない。
少し前の俺なら、考えもしなかったことだ。森林地帯で若木を採取したり、急峻な山の端で珍種の花をとったりしているうちに、すっかり考えがまるくなってしまったらしい。
……なんだか年寄りみてえだな。そんなことを考えながらサボテンを瓶に移していたところで、素早く顔を上げた。
背後、小高い丘のようになった砂の影に、数頭のサンドウルフが見えた。植物が多いということは、それを食べる草食の生き物も自然と集まる。さらにそれらを狙った肉食動物がやってくるのも不思議ではないということだ。
身を隠そうにも周囲には背丈の低い灌木や草ばかりで、砂の丘の影に入るにも距離があった。俺のほんのわずかな迷いを嗅ぎつけたように、サンドウルフたちはまっすぐにこちらに向かって駆けてくる。舞い上がる砂埃を見て息を吐き、俺はしかたなくスコップを上段に構えた。
「『凍てつく薔薇よ、その棘をおくれ』」
短い詠唱のあとに、スコップの持ち手に巻いた蔓薔薇がじわりと青白い光を帯びた。それはあっというまにスコップの舳先に到達し、しらじらと光が灯る。かと思うとそれは、無数の棘となって一斉に発射された。
きん、と金属音めいた硬い音がして、瞬間前方の砂地が爆破されたように砂を舞い上げる。炸裂した光の棘が藍色の砂を跳ね上げ、サンドウルフ二頭に命中した。あっけなく砂地に倒れた仲間の脇を走り抜け、サンドウルフたちはさらに迫る。二度目の詠唱、光弾がはじけ、さらに二頭を屠った。残り二頭。このあたりで、俺は少し面倒くさくなっていた。
「しゃらくせえ」
上段に構えたスコップを振り上げ、舳先を思い切り振り下ろした。瞬間、目の前に迫っていたサンドウルフの頭を舳先が捉えていた。振り下ろしたスコップの持ち手に、少し遅れて迫っていたもう一頭が思い切りかじりつく。持ち手を握り直し、食いついていたサンドウルフの腹を蹴り上げる。鳴き声とともに離れた狼の背後には、さらに十数頭が群れをなしているのが見えた。
息を吐く。おとなしく緊急脱出の連絡をしたほうが良いだろうか。そんなふうに考えた刹那、狼たちが情けない鳴き声を上げて踵を返した。文字通り尻尾を巻いて逃げていくその後ろ姿にあっけにとられてすぐに、その意図がわかった。
振り返った直後に地響きがきた。足下がぐらぐらと揺れて、咄嗟に体勢を立て直しながらそれを見た。見上げるような砂吐き魚が、その巨体からさらさらと砂を滝のようにこぼしながら上体を持ち上げたところだった。
その姿を見るが早いか、俺は全速力で走りだしていた。あんなのに飲まれてはさすがにひとたまりもない。かろうじてさらったザックとスコップを手に、藍色の砂の上を走る。くそが、どうしてこう砂漠ってのは走りづらいんだ。心中悪態をつきながら、目の前に立ちはだかる砂丘を駆け上る。砂吐き魚はそこらへんの岩やら枯れ木やらを口の中に巻き込みながら、こっちに迫ってきていた。一度目をつけられたのがまずかったらしい。
砂丘を駆け上り、頂上で足を止めた。断崖絶壁の如く切れ下がった砂地の端に足をかけ、息を吐く。このままじゃすぐに追いつかれる、行くぞ、いますぐ行け、すぐに飛べ。自身を叱咤して砂の崖を蹴った直後、砂吐き魚のあぎとがすぐ背後の空を噛んでいた。
残念だったな、朝飯はなしだ。冗談めかして笑ったところで、頭から砂地に叩きつけられて視界が暗転した。
目を覚ますと、下半身が水に浸かっていた。
二度、三度とまばたきをする。白く靄がかかったような視界が晴れて、目の前に大きな葉を広げたどでかい木がいくつも立っているのが見えた。やけに縦長な葉が揺れているのを眺めていると、それを不意に現れた女の顔が遮った。
「オアシスを見つけたのね。偉いじゃない」
『深霜の魔女』はそう言って、居丈高に笑ってみせた。俺はぶっ倒れたままその顔を見上げ、低くうなった。
「……サボろうかと思ったのに遠出しちまった」
「そんなこと言って、サボテンもしっかり採ってるじゃない。あなたのそういうところ、嫌いじゃないわよ」
また笑われて、なんとも言えずに鼻を鳴らした。
「そういえばさっき砂吐き魚がいたぞ」
「この子のこと?」
魔女が服の袖から透明な瓶を取り出して、かさかさと振った。見れば、瓶底程度の大きさになった砂吐き魚が、少量の砂とともに中に入れられている。
「……信じられねえ。さっきまでそいつに追い回されてたんだぜ」
「でしょうね。あなたのすぐ傍でひっくり返って目を回していたわよ」
可愛らしいから連れて帰ることにするわ、などという魔女を、俺は信じられないものを見る気分で見た。魔女は瓶を袖に戻して、俺に向かって手をのべた。
「さ、もう少し探索して帰りましょう。せっかくオアシスを見つけたのだもの」
どうも砂地を転がり落ちて、オアシスに突っ込んで気絶した俺をいたわる気はあまりないらしい。とはいえ、今の俺にこの魔女に歯向かう手立ても力もないのだ。
「……ワニの餌にはしないでくれよ。行軍の頃に食われかけたことがある」
言いながら、その手を取った。魔女はやはり居丈高に笑った。
「あら、そんなひどいことしやしないわ。せっかくの小間使いを無駄遣いするもんじゃないわよ」
俺を引き上げつつそんなことを言う魔女に、強がりだと思われることを承知の上で、ただ鼻を鳴らしてみせた。
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