2-2 陶酔する
足元から伝わる振動。
機兵はもうすぐそこまで迫っている。
通路に反響する無数の足音。
追手は僕らを確実に追跡している。
――もっと速く、もっと......!
強く握りしめた手は小刻みに震えている。
「だいじょうぶ、信じて」
うわべだけの鼓舞。
それは横の少女に向けたモノか、自己暗示か。
少女の息が確実に上がってきている。それもそうだ。この逃走劇が始まってどれほど経過したかを考えれば当然のコト。体力の限界も時間の問題だった。
どの道を通って逃げているのかも覚えていない。続くままに、ただ遠くに。
けれどそれで上手くいくわけが無かったんだ。
「......うそ」
少女の手から力が抜ける。
曲がり角を進んだ先には奈落。
それでも――。
「壁を伝って逃げるよ。動ける?」
僕はこの子に手を伸ばした。
少女は怯えている。
だとしても。
『行こう。早く!』
強引に手を取るべきだった。
「......別の道、探す?」
少女はこくりと頷く。
この時、本当に壁を伝って逃げていたなら。
結末は変わっていただろうか?
「ゆっくり、下がって」
甘かったんだ。
逃げずに向き合うとか、話し合うとか。
銃口が向けられた瞬間にやっと悟ったんだ。
――ああ、ぜんぶ間違いだった。
乾いた銃声。悲鳴。
「待って、だめだ!」
手を取る前に少女は駆け出してしまう。
……ここが最後のチャンスだったと思う。
ここで少女を追いかけていたなら。引き留められていれば。
あの子は生きていたかもしれないのに
――――
――
※
......ここには僕らだけがいる。
「ちょっと!ここ段差なんだけど!」
もう見慣れたユキさんのふくれっ面。
どうして、思い出さないようにしていたのに。瞼の裏にはあの子の後ろ姿。
泣きそうな目で手を伸ばされたあの瞬間。
胸が締め付けられているみたい。苦しい。
「ごめん、気を付けるよ」
......ニセモノの星空。
とても綺麗だったはずなのに思い出せない。
「氷空くん?」
「ごめん、聞いてなかった」
いつものふくれっ面でこちらを睨む。
「段差だってば!このままじゃ転がっちゃうってば!」
「あ、ごめん」
がたがたと聞き馴染んだ音。
視線を下げればユキさんがいて、いつもみたいに話して。
それだけで十分なのに。どうして機兵と彼女を結び付けてしまうのだろう?
目を閉じて浮かぶのは星空じゃなくて、けれどユキさんが放ったあの光だった。
――ユキさん、貴方はいったいなに?
貴方は、ほんとうに人ですか?
弾痕が刻まれた通路。壁面には薄汚れた赤が散る。
「……なんだか、嫌な場所です」
「わたしも、ここは好きじゃない」
激しい争いの痕。
「身体、なにか……」
「わたしはだいじょうぶ」
沈黙。
「いっかい休憩する?」
そういうつもりではなかった。気遣うような表情に申し訳なくなる。
「いいや、僕は平気だけど……その……」
ユキさんの視線が一瞬、鋭くなった気がした。
「むりしないでね。わたしは大丈夫だから」
躊躇いつつも、止まるにはもう遅い。
意を決して口を開く。
「あの光はなに?どうしてユキさんは......ッ」
疑念を吐ききる前に何かが僕の首を締め上げる。
「ッッ......ッ............!」
出会った時とは違う、不自然ににこやかな笑顔。
――あ、だめだった......。
息が、くるしい。
視界がじわじわと黒く染まる。
「ざんねん。『約束』、やぶっちゃったね」
いつものように明るい声音なのに。
「どんな『約束』だったかちゃんと覚えてる?」
首を絞める力が少しだけ弱まる。
「おたがいの、一つだけ、......叶える......」
「なにを、叶えるの?」
にこやかなのに、笑っていない。
「おたがいの望みを、ひと、つ......」
目が、見えない。
「わかってて言ってるなら本気で怒るよ?」
たぶん、本気になる前に僕は息絶えるだろう。
「詮索しないって、言ったよね?」
眼光がいっそう鋭くなる。
――くるしい、......。
ユキさんの視線が静かに落ちる。
「わっ......ったぁ......」
突然ユキさんが手を放す。力の抜けていた僕はそのまま床に倒れ込む。
過呼吸になる僕を見下ろす。
「......もう詮索とか気にしなくていいかもしれないけど、『約束』はちゃんと守らないと、ね」
出会った時からずっとそうだった。そのつもりになれば彼女はいつでも僕を殺せる。
ユキさんはたった一人で機兵を制圧できてしまうのに。そんな相手から逃げるコトも立ち向かうコトも、選択肢なんてはじめから無かった。
「苦しかったなら、これからは賢く生きなさい」
......結局、ユキさんについて聞くことは叶わない。
きっとそれは僕に触れる価値がないということで、ユキさんのてのひらで弄ばれる人形だった。
彼女に踏み込んじゃいけない。それだけははっきりと分かっていた。
※
重厚な扉を開くとそこは全てが光る板に囲まれた部屋だった。
部屋には至る所に傷跡が残されている。
これまでと似たような部屋。
「......氷空くん、あの制御盤まで」
張り詰めた言葉に意識が引き戻される。
ユキさんは静かに、ピタリと正面の板を指差していた。
その表情からは、なんの感情も読み取れない。
一歩踏み出すたびに何かが踏み砕かれる。
分かってる。これが自分の足音だってコト。
それでも、もし機兵が潜んで居たら......。
そう思っただけで手が震えてしまう。
指差す板の目前まで来ると、ユキさんは勢いよく倒れ掛かる。
「ちょっ......だいじょう............」
咄嗟に口にした言葉は、けれど言い終える前に吹き飛んでしまった。
「あった......!まだ、ある......!」
ユキさんは取り憑かれたように施設を叩き壊す。
狂気じみた振る舞いに言葉が出てこない。
「ユキさん、......?」
「これで、やっと……、」
「ユキさん!」
けれど彼女は僕の言葉なんて届いていない。
狂ったように笑う。
「氷空くん、ほんとうにありがとう」
おもちゃを手にした無邪気な子どもみたいに。
「どういう......」
金属が砕ける音。
ユキさんが自らの腕を握り潰した音でもあった。
「......は?」
血は流れない。代わりにいくつかの線が飛び出ている。
思わず後ずさってしまう。
握り落とされた腕はピクリと動き続けている。
「ひっ......」
手は氷空の方へゆっくりと近づいていく。
ぱちりと火花と共に手は煙を出して動かなくなる。妙に生々しい動きが余計気持ち悪い。
彼女は落ちた手に見向きもせず、露出した配線に向けて腕を振りかぶる。
彼女の体内に巡る線は意志を持って。
大樹に絡みつく蔦のように。
「やめろ!!」
もう取り返しはつかない。
氷空の指先が彼女に届くのと蔓が絡むのは同時だった。
――それはもう、待ち望んだ瞬間でした。
腕の断面が触れた瞬間、ユキさんは力なく倒れ込む。
「待てよ、待ってくれよ!」
慌てて腕を離そうとするが、複雑に絡みついた線はほどけない。
必死に肩を揺らしても彼女から反応はない。
「......なんで」
言いたいことは山ほどあるのに、今は何も出てこない。
腕を力づくで切り離すにもユキさんを下手に傷つけてしまいそうだった。
――彼女はもう死んだ。
「うるさい!」
押し寄せる最悪の現実を必死に押しのける。
彼女は死んでいない。約束を守るべきだと言ったのは彼女の方だ。こんな中途半端な死に方をするはずがない。
改めて腕をほどこうとした刹那、右腕に鋭い痛みが走る。
「そのまま手を挙げて座れ」
振り向くと銃口を向ける人影が四つ。
目まぐるしく変わる状況に混乱しながら素直に手を挙げて座る。
「悪く思うな」
静けさの降りた空間を一発の弾丸が貫いた。
snowpiece 黒部 わたる @charlotte-snowpiece
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