第7話『ダイバー』

ディープキスした後、舌マニアは急に逆上した。

片手でわたしのあごをつかみ、反対の手にはナイフ。わたしの喉に刃先を当てて脅した。

「舌を出せ!」

さっきまての優しい声とは違う。乱暴で粗雑な言い方。

わたしは言われるままに舌を出した。

「もっと、出せ!」

恐怖に体が震え、涙が頬をつたった。命令に従うことしかできなかった。ただ舌を突き出すことしかできなかった。

「わたしに会うときはタバコを吸うなと言ったよな! 嘘つきにこんなきれいな舌はいらない。斬り裂いてやる!」

舌マニアがそう言って、ナイフをわたしの舌に当てたとき、部屋のドアのロックがカチャって音がした。

ドアが開き、誰かが入ってくる気配がした。

舌マニアがナイフを外し、背後から左腕をわたしの首に回した。ドアの開いた先には、あの革コートの男が立っていた。男はサングラスをかけていた。

「よぉ、舌切り。感情が高ぶり、同調率が68%まで下がってるぞ。おまえのむき出しになったキャラクターが丸見えだ。

50%を切ると、人格競合が起きるぞ。ホストのキャラクターのスリープが浅い。腕の悪いハッカー雇ったもんだな」

革コートの男はそう言って、サングラスを外し、投げ捨てた。

「おまえ、ダイバーか?」

舌マニアが革コートの男に向かって言った。

ダイバー?

舌マニアがわたしを突き飛ばした。

突き飛ばされたわたしを、革コートの男が受け止めてくれた。

「言っただろ、夜遊びもたいがいにしないと、痛い目に合うって」

革コートの男が言った。太い腕に抱かれて安心したわたしは急に力が抜けた。脱力したわたしをカバーするように、男は抱きしめてくれた。

舌マニアが自分のサコッシュバッグから何かを取り出した。

何か。

ハンディビデオカメラくらいの大きさの拳銃のような物。

「やはり、マーカーを持ってたか。それはこの世界では禁制物だ。A級以上のダイバー以外、持ち込みも所持も禁じられている」

革コートの男が言った。マーカー? あの拳銃みたいな物のこと?

「立てるかい?」

男はそう言って、わたしを離し、後ろに下がるように手を引いてくれた。

男は後ろに手を回し、拳銃のような物を抜き、それを舌マニアに向けた。

革コートの男の物は、舌マニアの物とはまるで違い、コンパクトだった。

「S級ダイバーのマーカー!」

舌マニアが驚いたように言った。

「おまえのそれ、A級ダイバーのマーカーだな。しかも、かなり古い。初期のプロトタイプ。そんなもん、どこで手に入れた?」

革コートの男が意味不明なことを連呼している。何一つ意味がわからない。

「これがわかるとは、かなりのベテランだな。しかも、S級ダイバーの登場とは恐れ入った。

おれをこの世界へダイブさせたのは、元A級ダイバーのハッカーだ。

このマーカーで、B級ダイバーを二人飛ばしてやったぜ」

舌マニアはそう言って、でっかいマーカーをカチャカチャ操作している。しかも、左手まで使って。かなり、面倒くさそう。二人が持っているマーカーって物は拳銃のように見えて、銃口が無い。その代わりに先端にはレンズみたいな物が付いている。

舌マニアがマーカーの引き金を引いた。マーカーから赤いレーザーが発射され、革コートの男の額をとらえた。

一歩遅れて、革コートの男も引き金を引いた。発射された赤いレーザーは、舌マニアの額をとらえた。

革コートの男が笑った。男はマーカー後ろ部分にあるジョイスティックみたいなレバーを操作した。

点だったレーザーが分散して、細かい網のように広がる。額から顔、顔から首、首から胸、レーザーの網は舌マニアの全身を包み、拘束していた。

革コートの男はさらにレバーを操作した。舌マニアの頭の部分からコブみたいな物が生じた。落花生みたいにコブは頭と同じくらいに大きくなり、バナナの皮みたいに先端から剥けた。

皮の中から、見たこともない男の顔が現れた。ハゲでブサイクなヒゲ面の男。

「おまえが、キレイな女性の舌に固執するあまり、その舌を切り取ってコレクションしたって変態野郎。舌切りか」

革コートの男がそう言って、鼻で笑った。その話を聞いて、わたしは背筋に寒気が走った。

「噂通りのブサイクだ。キャラクターは自我を維持するため、元の本人の顔をそのままプログラムするからな」

革コートの男はさらに続けた。レバーを逆操作したら、バナナの皮は閉じ、ブサイクな頭がレーザーの網に引っ込んだ。

「Sコードが発令されている。すべてにおいて最優先されるコードだ。A級ダイバーの骨董品マーカーなんて、作動するわけが無い」

革コートの男はマーカーのジョイスティックレバーを思い切り押し上げた。レーザーの網から、倒れ込みように舌マニアが現れた。舌マニアはドミノのように前のめりになって倒れた。

舌マニアは目の前で倒れたはずなのに、レーザーの網はまだ、人の形を保って立ち尽くしていた。あの網の中にいるのは一体、誰?

「あのレーザーの網の中にいる奴は、舌切り。2075年の現実世界から来た犯罪者であり、侵入者だ」

わたしの疑問に革コートの男は答えてくれた。でも、さらに疑問が増すだけだった。

「S級ダイバー403·0965の名において命ず、こいつを引き上げろ!」

革コートの男がそう言って、叫んだ。すると、レーザーの網は頭の部分に向かって、どんどん先細り、しまいには、一本の線になって天井に伸びた。線が天井に飲み込まれるように消えていった。

革コートの男はマーカーを下ろした。

「ん?」

そう言って、革コートの男が急に鼻をクンクンし始めた。

「匂いがする。ホワイトムスクみたいな。きみ、香水使っている?」

男の問いかけにわたしは素直にうなづいた。男はわたしの香水のラストノートを言い当てた。

「管制室、今の同調率は? ···99.91% やっと嗅覚が働いた。

何で今頃」

革コートの男はそう言って、笑った。少年みたいな笑顔だった。クンクンと仔犬みたいに鼻を鳴らして、笑っている。わたしはただその笑顔を見つめていた。

ひとしきり笑うと、男は表情を変え、話し出した。

「今、きみがいるのは、2050年の現実世界が作り出した。仮想現実の世界だ」

革コートの男が凛とした優しい声で言った。あまりにもバカげた話だったが、目の前で起きた出来事を見た後だと、嘘にも聞こえなかった。

男がマーカーを構え、わたしの額をとらえた。

「少し、真実を見せてあげよう」

わたしの視界が一変した。ホテルの壁、革コートの男が細かい数列の塊に見えた。数列を作る数字がランダムに変わっていく。

わたしは自分の手を見た。わたしの手も同じように数列の塊で形成されていた。

驚くわたしに革コートの男が言った。

「今、きみが見たように、きみがいるこの世界は無数のマトリクスでできている。

おれはダイバーと呼ばれるエージェントだ。現実世界から仮想現実世界に侵入した犯罪者や、さっきのマーカーみたいな禁制物の持ち込みなどの対処をしている。

犯罪者は、この世界の住人に自分のキャラクターを乗り移して、侵入する。おれも今、この世界の人間の体を借りて、ここにいる。この世界には制約がある。現実世界からこの世界に入るには、すでにいる人間を乗っ取るのが一番手っ取り早いんだ。

きみは少し知り過ぎた。記憶操作が必要だ···

が、その前に一言言っておこう。きみは若くてきれいだ。残念だけど、今きみは体を売っている。でも、魂までは捧げていないだろう。もっと、自分を大事にしたほうがいい」

わたしの体はレーザーの網に包まれていった。

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