第3話『革コートの男』
女子トイレの洗面台。
バイオレットのタバコデバイス、スライドさせ、キャップを開ける。現れた穴にタバコスティックを挿入する。でも、振動しない。舌打ち。1秒間ボタンを押すと、加熱を始めた。デバイスが振動した。スティックを思い切り吸い込んだ。煙を一度口の中にとどめて、外の空気を吸いつつ、ゆっくり煙を飲み込むように肺に入れる。
ニコチンを欲していた欲求が和らぐ。少し、落ち着いた。
次はスティックを吸い込み、口を尖らせて煙を吐き出した。口の中にほのかな苦味とメンソールの冷たさが残る。
デバイスを洗面台の上に置いた。
バッグからハンカチを取り出し、蛇口の水を含ませた。
「···ざけやがって」
呪詛の言葉を吐き、スカートについたシミを叩く。
プリーツの入った、白いロングスカート。
細山田のオッサン、口いっぱいに出しやがった。しかも、飲んで♡···って、飲むわけね〜だろ!
むせる振りして、手に吐き出したら、スカートに少しこぼれた。
最悪だ。幸い、白いスカートだったのが、せめての救いだ。
買ったばかりのお気に入り。トゥモローランドのスカート。
ダメだこりゃ、早く帰って、洗おう。
わたしは隅にあったゴミ箱にハンカチを投げ捨てた。
駅の構内。女子トイレからコインロッカーへ。寒さに反射的にピーコートの前を閉める。
わたしが荷物を入れたロッカーのある通路に入ると、先客がいた。
長身の若い男。お尻がスッポリ隠れる丈の重厚な黒い革コートを着ている。
わたしが通路の向こうに行きたい素振りを見せると、快く目の前のロッカーに体を寄せてくれた。
「ゴメンね、通せんぼして」
「いえいえ、ありがとうございます」
礼を言って、男の背後をすり抜けた。自分でも、少し声が高くなっているのに気づいた。
ここはキーレスタイプのコインロッカー。タッチパネルのモニターの下にあるICカード読み取り部にスマホをタッチして、わたしの荷物を入れてあるロッカーのロックを解除した。ロッカーを開けた。中から、レザーのトートバッグを取り出す。
革コートの男はロッカーのナンバーを順にチェックしていた。
自分の入れたとこを忘れたのかな? それほど気には留めなかった。
「あった、これだ! 管制室、開けろ」
革コートの男が声を出した。左耳に黒色のイヤホン。それに話しかけたのだろう。
不思議だったのは、ロックされたロッカーが男の一言で解除されたことだ。男はロッカーを開き、中から黒いアタッシュケースを取り出した。床にケースを置き、開いた。ケースには艶のある革製のベルト。そして、見慣れない武器のような物。すべてが黒色。武器は艶消しになっていた。
男がおもむろにベルトを腰に回した。革コートがはだけると、白いカットソーに黒いカラーデニムといったスタイル。カットソーはタイトな物ではなかったが、厚い胸板がはっきりとわかった。
ベルトに付いたホルスターに武器のような物を次々に収める。最後に収めたのは小型の拳銃のような物だった。
ケースから黒いサングラスを取り出すと、それを革コートの内ポケットにしまった。
男はアタッシュケースを閉じ、ロッカーにそれを戻して、扉を閉めた。閉めただけで、何の操作もしていないのに、ロッカーはカチャっとロックされた。
こちらの視線に気づいたのか、革コートの男はわたしにウインクした。
気まずいとかではなく、ただ恥ずかしいと思って、わたしは視線を外した。
「あれ〜、サクラちゃん!」
ロッカーの向こう、駅の通路から声がした。声の主は細山田のオッサンだった。
オッサンが近づきながら続けた。
「何、今帰り? だったら、今から飲みに行こうよ!」
オッサンが近づいてくる。
細山田のオッサンは背が低い。あっても、160センチ前半。革コートの男は190センチくらいはありそうだった。
「細山田さん、どうしたんっすか?」
カーキのナイロンアノラックを着た金髪の若い男。
細身のスーツにコートを羽織った細山田とは違い、かなりラフなスタイル。喋り方もラフ。いかにも頭が悪そう。
「この子、さっき言ってたサクラちゃんだよ」
細山田が答えた。
「あ〜、絶品フェラのデリヘル嬢っすか! めっちゃ、かわいいじゃないっすか!」
ナイロンアノラックが言った。
わたしは何も言えず、ただ困惑していた。
すると、細山田をブロックするように革コートの男が立ちはだかった。
「何だよ、おまえ?」
細山田は顔が赤かった。明らかに酔っている。ろれつもおかしい。
「やめなよ。この子、嫌がっているだろ」
低いけど、凛とした声だった。革コートの男が言い放った。
「おまえには関係ないだろ」
そう言って、細山田は革コートの男に手を伸ばした。
革コートの男は細山田のあごを右手で下から持ち上げるようにしてつかみ、そのまま、ロッカーに押しつけた。スゴい音。さらにあごを持ち上げた。細山田の両足が地面から離れた。
それを見たナイロンアノラックがズボンのポケットから何かを取り出した。刃が飛び出す。飛び出しナイフだ。
革コートの男が細山田を離した。細山田は滑るように地面に座り込んだ。
革コートの男は後ろに手を回し、何かを取り出した。拳を守るようなガードが付いた、グリップ状の物。グリップから艶のある黒い棒が伸びた。テレビとかで見た特殊警棒みたいに収納された物が伸びたといった感じじゃない。マジックのように50センチくらいの長い棒が出現した。
黒い棒から青白い電気が走った。スタンガンみたいなチャチなのじゃない。当てられたら即死。それくらいの電流に見える。
革コートの男は細山田をブーツで蹴飛ばした。ナイロンアノラックの前に転がる。
ナイロンアノラックの男はナイフをしまって、細山田に肩を回してかつぎ上げて、何も言わず去っていった。明らかに男の目には怯えが見えた。
革コートの男が操作すると、電気が走っていた棒がまた、マジックのように消えた。グリップをホルスターに収め、男が振り向いた。
「きみ、未成年だろ。夜遊びもたいがいにしないと、痛い目みるぜ」
わたしのメイクは完璧だ。女子大生で通用する。男は一目でそれを見抜いた。そして、グーの音も出ない正論。普段なら、反感を持つ。けど、わたしは素直にうなづいた。
革コートの男が去っていった。
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