番外編4話 お前は私の……

 朝食を終えた俺は、魔術師塔に戻ってきていた。

 まだまだ今日の仕事の始業時間には早すぎるが、王宮近くに借りている一人暮らしの家に帰るほどの時間はない。

 それよりも、研究室で少しでも仮眠をしたほうがいいだろう。


 水の筆頭魔術師の研究室の扉に鍵を刺すと、なんと既に開いている。

 食事に行く際、部屋が無人になるので、確かに鍵をかけて出たはずだった。

 昨夜部屋を出るのが最後になるからと預かった俺以外に、鍵を持っている人物は一人しかいない。


「おはようございます、アイリーン。早いですね」

「お前いたのか。徹夜か?」


 俺の上司の水の筆頭魔術師。通称氷の魔女と呼ばれる小柄なその人物だ。

 俺が使用人契約を結ぶ際、書類にはしっかりとアイリーンと名前が書かれていたが、それが氷の魔女の名前だとは当時知らなかった。

 ちなみにさすがに契約期限はある。5年間だ。アイリーンとの個人契約なので、もしも彼女が筆頭魔術師でなくなったとしても、5年間は個人的に仕えなくてはならない。


 アイリーンは出勤したばかりのようで、わざとらしいほどに『魔女』っぽい、ぶかぶかのローブを脱いでいるところだった。

 外では童顔を隠すためと、筆頭魔術師の貫禄を出すために常に着用しているらしいローブだが、自分の研究棟の中ではいつも脱いで仕事をしている。

 これを脱ぐと、普通のどこにでもいるような可愛いらしい女性になる。アイスブルーの髪と目の色は珍しいほうではあるが。

年齢は、見た目は二十歳いくかいかないか、十代でもおかしくないように見える。しかし魔術師としての経歴が10年以上あるので、意外と三十歳くらいなのかもしれない。年齢不詳だ。


まあ確かに、子どもに間違われることもある素顔でいるより、一目で魔女だと分かるローブを着ていたほうが、外では分かりやすくて便利なのだろう。


 当然のように無言で差し出されたローブを、これまた当然のように受け取ると、皺にならないように丁寧に吊るす。


「昨夜どうしても仕上げたい仕事があったもので」

「……これか」


 俺が徹夜で纏めた昨日の研究の分析を机の上に見つけたアイリーンは、早速目を輝かしてそれを読み始めた。

 気の遠くなるほどの実験を繰り返すうちに、昨日偶然生まれた純粋な水の魔力の結晶。

 アイリーンが今朝、こんなにも早く出勤したのは、これが気になっていたからだろう。

 すぐにでも結晶がなぜ生まれたのかを研究したい、分析してまた同じものを作り出したいのだと、言われなくても彼女の紅潮した頬と、キラキラと輝く目を見れば分かる。


 きっと朝いちばんで分析結果を欲しいだろうと思って、年甲斐もなく徹夜をして頑張ってまとめてしまった。

 喜んでいただけたようでなによりだ。


「俺は始業時間まで、少し仮眠しますね」

「……ああ」


 夢中になって分析結果を読みながらも、彼女は一応返事をしてくれた。

 仮眠する時にいつも使用する、研究室内で一番大きなソファーに行こうと歩き出した俺の背中に向けて、小さな声が追いかけてきた。


「あの……ありがとう、コナー」

「どういたしまして、お姫様」



 さすがに眠さが限界で、ソファーの上に倒れ込むようにして横になる。


 ――あれ、俺今なんか言ったか。


 普段心の中だけで呼んでいるつもりの『我儘お姫様』の呼び名が、眠さのせいでついポロリと口から出てしまった気がする。

 

 ――まあ、いっか。徹夜に免じて、見逃してもらえるだろう。


 怒られるかとしばらくの間身構えたが、やはり徹夜の分析が功を奏したのか、特に何も言われない。

 安心した俺は、そのまま心地の良い眠りの世界へと落ちていった。



*****



「はあ、お見合いですか。……アイリーンが?」

「そうらしい。最近研究がはかどりすぎて、目立ってしまった。高位貴族に目を付けられたようだ。断ったら筆頭魔術師の地位も危ういんだと。そんな地位などどうでもいいが、これから自由に研究できなくなるのが痛いな」


 アイリーンが悔し気に、ギリリと歯を噛みしめながら言った。


「そうですか。最近のアイリーンの研究成果は、目を見張るものがありますからね」

「……半分はお前のせいだぞ、この無自覚男めが」

「……はあ。すみません?」


 あれから結局、昼近くまで俺は寝てしまっていたらしい。

 目が覚めたら、ちょうど休憩するところだったアイリーンがお茶に付き合えというので、何かと思えばおもむろにそんな話を切り出された。


「それで、そのお話、受けるんですか」

「さあな。一応会うしかないだろう。相手だって、高位貴族のくせに平民出身の私とお見合いをしようなどというのだから、私の研究成果が目当てだろう。ということは、もしも結婚したとしても、研究は続けられるということだ。形ばかりの結婚をして、好きに研究を続けられるのなら、考えてもいいのかもしれない」


 「いいのかもしれない」というアイリーンの表情は、とてもいいことをしようとしている人には見えなたった。

 無理をしなくてもいいんじゃないですか、と思わず言いたくなるが、喉元で堪えて我慢する。アイリーンの将来がかかっている重大な出来事に、俺ごときがうかつなことなど言えない。


「見合いの日は3日後だ。お前ついてこい」

「え、嫌ですよ。上司のお見合いについていく部下がどこにいるんですか」

「主人の用事についてくるお付きの者ならたくさんいるだろう。いいから、ついてこい。お前は私の……犬だろうが」


 「私の」と「犬」の間に、不自然な間が空いたのを俺は見逃さない。一体何と言おうとしたのやら。まあ結局はいつもの「犬」に落ち着いたようだが、せめて部下と言ってほしかった。






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