番外編 平凡じゃない男
番外編1話 魔女の犬
「おい犬、ノロいぞ。さっさと来い」
「はいはい。今荷物の整理をしているので、少しお待ちください」
元コナー・シレジア子爵こと、今はただのコナーとなった俺は、今日は氷の魔女こと、この国の水の筆頭魔術師のお供で、王都をぐるりと囲む城門の外へ、フィールドワークに来ていた。
研究棟に籠っての実験ばかりだと、新しい発想も生まれないし魔力も弱まってくるらしい。そのため気分転換もかねて、二、三週間に一度はこのように外へと出掛けるのだ。
そんな日は特に目的地も、何をするかも考えずに出かけることが多い。適当に馬車を走らせ、その時に感じたこと、その場で思いついたことに従って行動するのが俺の上司のやり方だ。
なんでも「自分の頭が考えつくことしかしなかったら、自分の知っていることしか知れないだろうが」とのことだ。
だから城門を越えた後は、ひたすら魔女が感じるままに馬車を走らせた。
馬車の窓から顔を出していた上司が、居心地の良さそうな、木も生えず平らで開けた川辺を見つけて、ここでお昼を食べたいと言いだしたのがつい先ほどのこと。馬車が停まると同時に飛び出していった魔女の置いて行った大荷物を、今必死にかき集めているというわけだ。
完全に『犬』扱いされている。
「コナー、俺も先行くな」
「あ、こらエド。ちょっとは荷物持ってくれよ」
「俺は護衛だから。手を荷物で塞ぐわけにはいかないんだよ」
護衛として付いて来ていた王宮の衛兵であり、薄情な友人でもあるエドは、先に歩いていった氷の魔女と、同じく先に行った護衛のフリンを追いかけていってしまう。
持参した昼食に敷物、採集用の道具を全て揃えたことを確認した俺は、犬よろしく主人の待つ場所へと、小走りに駆け出したのだった。
*****
俺が氷の魔女と呼ばれる水の筆頭魔術師に雇われて、半年が過ぎた。
なんだかんだいって、今の生活には満足していた。
氷の魔女なんていう大物に仕えることは、平凡な俺には荷が重かったが、それを差し引いても魔法の実験結果の整理と分析という仕事内容が天職過ぎたのだ。
我儘姫のお世話にも大分慣れてきた。
やはり俺は根っから、誰かを使う側ではなく、使われる側の性分だったらしい。
川の流れを見ながら昼食をとる。
生まれてこの方料理などしたことがないので、王宮の食堂に予め頼んだ料理を、籠に詰めて持ってきていた。
今日のメニューは、炒めたひき肉を包んだパンがメインらしい。おかずとパンを一緒に食べる事ができて、合理的だ。しかもとても美味い。
「こんなパン食べたの初めてだけど、美味しいですね。フィールドワークに持っていくって言っておいたから、食堂の人、食べやすく作ってくれたんでしょうね」
「……そうだな」
氷の魔女と呼ばれ、世間ではその絶対零度の視線を恐れられている上司は、不愛想ながら意外にも俺の意見に同意してくれた。
ちなみに氷の魔女にも当然ながら普通の名前がある。
冷たい印象の二つ名からは想像もつかない、可愛らしいアイリーンという名前が。
「なんでか分からないけど、川の流れって永遠に見ていられますよね」
アイリーンが返事をしたことに気をよくした俺が調子に乗ってそう話を続けると、流石に冷たい視線を向けて「黙って食え」と言われてしまった。
大人しく食べる事に集中しよう。
アイリーンは水の魔術師だけあって、川や湖が好きで、見ていて落ち着くようだった。フィールドワークの時も、必ず何かしら水があるところへと行く。
そしてその水周辺の、石や植物や、土や虫などを採集するのだ。
俺は王都で生まれ育ったので、この上司に仕えるまで、山や川といった広大な自然とは無縁で生きてきた。
それまでの俺が知っていた自然といえば、貴族の屋敷に生えている、人の手の入った木や花だけだ。
だから川が一瞬として同じ顔を見せず、不規則に流れる様子や、時折魚が飛び跳ねたり、その魚を狙う鳥がやってくる様子は、新鮮で見ていて飽きなかった。
そのせいでどうやら少し浮かれてしまったようだ。
その後は二人して無言で食事をし、しばらくボーっと川を見つめていた。
どのくらいの時間が経ったのか、隣の上司が動く気配を感じて、そろそろ働くのかと、石や水を採集する道具を取り出そうとした手を伸ばした時だった。
川の上流のほうから、子どもが流れてきたのは。
「へあ! 子ども!? はあ!?」
先ほどから落ち葉くらいは流れてきていたが、まさか人間が流れてくるとは思わなかった。目の前の光景に現実感がなくて、にわかに信じられない。
「…………ッ」
子どもは声を発することなく、ジタバタと手足をばたつかせ、藻掻いて浮き沈みを繰り返しながら、流れていく。
少し離れた場所で見張りをしていた護衛のエドとフリンが慌てて駆け付けてくるが、アイリーンの側から離れて良いものかどうか、ためらっている様子だ。
――くそ!! 仕方がない!
あっという間に子どもは、俺たちのすぐ目の前まで迫ってきていた。
下流に流されたら、追いつくのは不可能だろう。
考える暇もなく、とっさに俺は川の中に入って行った。
――なんだこれは。足がものすごく重い!!
先ほどまでのんびりと眺めていた、見ている分には穏やかそのものだった川は、実際に入ってみたらものすごい力で俺の足を掬おうとしてくる。
水を吸った衣服が、とんでもなく重い。川に入る前に脱げば良かったと後悔するが、もう遅すぎる。
幸い水位は腰の位置までなので、流れてくる子供を受け止められる場所まで、歩いていけそうだ。
自慢じゃないが、俺は泳いだことなんてない。
「……うぶっ!! ……!!」
そう安心しかけていた時、急に川が深くなって、一瞬頭の上まで水に浸かってしまった。焦って心臓がギューッと縮こまる。
パニックになりかけたが、何も考えずにバタつかせた足が川底に着くことに気が付いて、なんとか踏みとどまれた。
顔を水面の上に出すと、ちょうど子どもが目の前に流れてきたので、反射的に腕を出して捕まえる。
――あっぶない!! 俺が死ぬところだった。
先ほどまでジタバタと藻掻いていた子どもは、今ではグッタリとしている。
しかし子供が生きているかどうか確認している余裕は今はない。
俺の今立っている場所の水位は、ほぼ肩のあたりまであった。一瞬でも気を抜くと、子どもごと流されてしまうだろう。
--何をやっているんだ、俺は。見ず知らずの平民の子のために、命を落とすつもりか!?
このままだと2人そろって流されかねない。
しかし掴んだ子供を手放す決断など、平凡な俺にできるわけがない。
痺れて感覚がなくなってきた腕で、必死になって子供を抱え込む。
一歩一歩慎重に、少しずつ元いた岸にジリジリと近づいていく。
――あ、楽になった。
その時急に川の水圧が弱まって、楽になる。一体何が起きたのだろう。油断することはできないと辺りを見渡し、楽になった理由を探っていると、川岸ギリギリに身を乗り出すアイリーンと目が合った。
手を突き出して、俺の方に何かの魔力を送っているようだ。
――アイリーンが、川の流れを止めてくれているのか。
魔法は万能ではない。いくら筆頭魔術師といえど、そこそこ大きな川の流れを全てせき止めることなどできないだろう。
しかし今アイリーンは、身を乗り出して、必死の形相で、俺の周辺の水が、俺たちを避けて流れるように魔法で調整してくれている。
川の流れを一部だけ変えるというのは、もちろん全部の流れをせき止めるよりも魔力が少なくて済むだろうが、その分コントロールが難しそうだ。
その証拠に、アイリーンの表情は珍しく余裕がなく、そのアイリーンを、エドとフリンが川に落ちないように支えて守っている。
「……さっさとこい! ノロノロするな!」
「はい! ありがとうございます!」
なぜ川の力が弱まったのか、理由が分かった俺は、アイリーンを信じてありがたく体のこわばりを解く。
先ほどまでと違って、歩きやすい。落ち着いてさえいれば、無事に岸まで戻れるだろう。
「コナー! こっちだ、その子よこせ」
「頼む」
あと少しで岸に着くというところで、赤毛頭の衛兵、エドに子どもを渡す。
川に残された俺は、最後の力を振り絞って自力で地面に上がろうとしたが、筋肉自慢のフリンがしっかりと俺の腕を掴み、引き上げてくれた。
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