第9話 積もる話

「ニーナから馬車に乗り遅れたって言う手紙がきたときは、本当に焦った。『私は陥れられていたようです』ってなんなんだよ。細かい説明もないし。それ読んでもお前の両親は呑気にしているし」


 言葉遣いは少しぶっきらぼうだけれど、ランスロートがどれだけ心配してくれていたかが、伝わってくる。

 ランスの言う通り、私の両親よりも、領主様ご一家のほうが、昔から私のことを心配してくれていた。


 両親は昔から「聖者はね、自分の自由に、思うとおりに生きないと力がなくなってしまうんだよ」と言って、私が何をしても、いつもただ暖かく見守ってくれている。

 王都へ一人で行ってみたいと言った時も、二つ返事で許してくれた。


「ごめんなさい。あの手紙を書いた時は余裕がなくって。実は自分でも何を書いたかもよく覚えていないの」



 シレジア子爵家を退職した日は、心身ともに限界だった。

 その状態でクロリスに裏切られたことを知って、ショックで倒れて、しかも予約していた乗合馬車に乗り遅れて、次の便は1週間後と知らされたのだ。


 一応手紙を書いて、住所を間違えなかっただけで、えらいと思う。


 まあ大辺境伯のお屋敷宛なのだから、間違う人はいないだろうけれど。




 今にして思えば、あの時はなぜあんなにショックだったんだろうと、自分で自分がちょっとおかしく感じてしまう。


 別に子爵家での仕事にそれほど執着もなかったし。

 シレジア子爵様のことも尊敬はしていたけど、自分の胸に問いかけてみると、恋愛として好きだったわけではないと思う。

 だから婚約破棄をされたところで、そんなに落ち込む必要はなかったのに。



 クロリスに陥れられていたことは確かにショックで、今でも思い出すと、胸がズキズキと痛む。



 だけど今はもう本当に、それで良かったんだと思えるようになっていた。



 もしも彼女がいなかったら、私は今でもシレジア子爵家で、何のために働いているかも分からずに、わが身を犠牲にして働き続けていたのかもしれないのだから。

 

 


 でも一方で、そんな生活は永遠には続かなかっただろうとも思う。

 実は聖者の力は、誰かに強制されたり、本人の意思に反して使用させられていると、どんどん弱ってきてしまうものだから。

 きっとあのままシレジア子爵家で何も考えずに働き続けていたら、私の聖なる力は徐々に弱まっていって、いつかなくなってしまったことだろう。



 それがどういう原理なのかは分からない。

 でも200年前からの聖者家系であるうち、我がアンワース家では、代々そう言い伝えられている。

 祖先たちの経験から、世代を超えて受け継がれているアドバイスだ。



「それにしてもランス。あなたよく王都へ来れたわね。領主様達は許してくれたの?」


 ドレスディア家の人間は、国の守りの要そのものなので、あまり領地を離れられない。

 離れるとしても誰かを残して、入れ替わりで離れなければならないのだ。


「お父様やお母様もまだまだお元気だし、お兄様もいる。怪しい動きをしている国もなくて、国境も平和そのものだから、安心してゆっくりしてこいだとさ。来るのがこれだけ遅くなったのは、ニーナから次の週には帰れそうって手紙がくるから、行き違いになるかと思って待っていたからで……それなのに全然帰ってこない」

「ごめんなさい! 最初の頃は、本当に色々あって。私も早く帰りたかったんだけど……。途中からは、流行り病が広がってしまって」

「ああ、それは大変だったな」



 そこでやっと、ランスロートは腕を緩めてくれた。

 少し寂しい気もしながら顔を上げると、ちょうど私の顔を覗き込んでいたランスと目が合ってしまう。


 記憶と同じようで、だけどどこかが違うランス微笑みに、ドキリと胸が高鳴る。



「手紙で読んだ。頑張ったな。最近の手紙では忙しそうだけど、楽しそうだったし良かった。良い人たちに出会えたんだな」





 ダメだった。

 もう疲れてもいないし、ガマンしてもいない。辛い事もない。幸せに暮らしている。

 ショックだったことも、これで良かったんだと心から思えるようになっていた。



 そのはずなのに、ランスロートに頑張ったと言ってもらえて、色々な感情が胸から溢れ出てくる。


「うん」


 涙が溢れて、止まらない。

 一度決壊した流れは、自分で止める事ができそうになかった。


 ここは『ジャックとオリーブ亭』の食堂で、周りにはまだ色んなお客さんがいる。

 分かっているけれど。


「うん。私、頑張った」



 世界で一番安心できる場所で、私はついに我慢できなくなって、幼子のように大声で泣いてしまったのだった。





*****





 なんとか感情と涙が収まってきた頃、今さらながら宿の自室へと移動する。

 お客さんたちが、生暖かい笑顔で見送ってくれるのがいたたまれない。



 ランスが来たときにすぐ、場所を移動するべきだった。

 おばあやベルさん、常連客さんたち皆に、お見苦しいところを見せてしまった。



 おばあとベルさんは、積もる話もあるだろうから、時間を気にせずゆっくり話しておいでといってくれた。






「一度話を整理するぞ。……それで毎日何人くらい、回復してたって?」

「50人前後かしら」

「…………普通は多くても、1日2、3人回復できるかどうかなんだけどな。リカート様とイエダ様が働かれているのを見て育ったんだから、ニーナだって知っているだろうに」



 そう。私のお父さんであるリカートと、お母さんであるイエダは、ドレスディア辺境伯のお抱え聖者(と聖女)だ。


 200年前、敵国からの大侵攻を防いだ勇者がドレスディア辺境伯の祖先と言われているけれど、その親友で、戦場で常に勇者に寄り添い回復魔法をかけていた聖者と言うのが、私の祖先にあたる。

 それ以来200年、ドレスディア家とアンワース家は、常に協力をして、コベル王国を守ってきた。



「それは知っていたんだけど。シレジア子爵家の兵団がどんどん強くなっていって、急に人数が増えて、破竹の勢いの活躍ぶりだったの。とても1日3人までなんて、言っていられない状況で。それにやってみたらできたので、できるのに3人までに制限するのも、変かなって……」


「破竹の勢い……それ絶対、ニーナの力のおかげだろ。それにしたって、1日に50人も怪我することなんてあるのか?」

「怪我はしなくても、訓練がとても厳しいみたいで、とても疲れるんですって。毎日のように回復に来る兵士も何人もいて」

「毎日って……」


 ランスロートが飽きれたように、頭を抱えている。



 私もそれはちょっとおかしいとは思っていた。

 だけどある日突然に、3人から50人に回復する人が増えたならともかく、少しずつ少しずつ、3年間かけて回復する人数が増えていったので、感覚がマヒしてしまったのだ。


 それでもやっぱりおかしいと思っていて、シレジア子爵様に勇気を出して相談したら、途中で聖女を一人新しく雇ってくださったのだけど。


 ――仕事は全く減らなかったけどね。



「あと薬草園を50平方メートルくらい育ててたって?……眩暈がしそうだ。シレジア子爵家って、王都にそんな土地、持ってたか?」

「王都で薬草がとれると評判になってから、国王陛下から土地を貸すからもっと作ってくれと依頼があったそうです」

「あのジジイ。……ニーナのこと、絶対分かってやらせてたな」

「ランスロート。いくらあなたのおじい様だからって、国王陛下のことをそのような呼び方、よくありませんよ」



 ドレスディア辺境伯と王家は、何代か毎に、婚姻関係がある。

 王家の娘がドレスディア家に嫁いでくることもあるし、逆にドレスディア家のご令嬢が、王族に嫁ぐのも珍しくない。

複数の国との国境に接していて、一手に国防を担うドレスディア辺境伯家の兵力は、はっきりいって王家よりも上だ。


そのため王家は、細心の注意を払って、ドレスディア家との親交を続けている。



 政は王家、武はドレスディア家。

 実質双頭といっても過言ではない。


 ランスロートのお母様は、現国王の3番目の娘。

 つまりランスロートは、国王の孫にあたる。

 そのため何十番目かは分からないけれど、王位の継承権もあるらしい。



 ちなみに王家と同じくらい、ドレスディア家と古い交流がある我がアンワース家だけれど、直系同士の婚姻関係は意外な事に全くない。


 貴族が聖者の能力を取り込むために結婚することも珍しくないのだけれど、年齢や性別が合わなかったり、条件はちょうどよくてもタイミングが合わなかったりしたらしい。




「なんでそんな働かせ方をしているんだ、シレジア子爵は。イヤちょっと待てよ。逆によく、ニーナが辞める事を許したな? 普通なんとしてでも抱え込もうとするだろうに。現にニーナは一度結婚を申し込まれたんだろう? さすがに良心が咎めて、逃がしてくれたのか?」

「……いいえ。私よりも優秀で、可愛らしい聖女が現れたので、そちらの方と結婚することにされたそうです。聖女になりたての方だったのに、すごいですよね。聖女のお仕事も、その方がいれば十分だって」

「そんなわけないだろう! ニーナはアンワース家でも何代かに一度出るかどうかの大聖女なんだぞ!」



 ランスロートが珍しく興奮して、声を荒げる。

 目が釣り目がちで、普段気が強そうだと誤解されがちなランスだけど、意外と優しくて、めったに声を荒げたりしないのに。

 自室のドアを開けているので、下の階の食堂の人たちにも、聞こえてしまったかもしれない。





「どうしてこんな世間知らず、一人で王都へ行かせたんだリカード様達は。完全に感覚がおかしい。いくら聖女の意志は出来るだけ尊重しなければいけないといっても……」


「それについては、もう本当にお恥ずかしいとしか……。私も反省しているの。自分を安売りして、聖女の力を無制限に使ってしまった。それは他の、自分の仕事に誇りをもっている聖者たちに対しても失礼だったわ。それに自分がとっくに限界を超えていることにも気が付かなかったし、自分が本当はなにがしたいのかも、気が付いていなかった」




 1人で一から王都で働いたことで、故郷のドレスディアでは、私はいかに皆に守られていたのかが分かった。


 故郷では誰もが私のことをアンワース家の娘だと知っていて、丁重に優しく接してくれていたのだ。


 普通で当然のこと過ぎて、そのことに気が付きすらしていなかった。

 きっと悪意や汚い物や、色んな物から、お父様やお母様を始めとして、ドレスディア辺境伯家や、色んな人が、守ってくれていた。



 ただのニーナとしての私は、まだまだ未熟で、弱くて、世界が狭かった。



 改めて思う。私があれだけ王都へ行ってみたかったのは、それが必要なことだったからかもしれないと。

 ドレスディア領で守られながらぬくぬくと生活し続けるのではなくて、領の外へ出て、一人でやってみることが。


「……そうか。今はそれが、分かったんだな」


「うん!」




 私が迷いなく返事をすると、ランスロートは強面と言われている顔を、とても嬉しそうに子どもの頃そのままの顔で笑ってみせてくれた。





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