第2章 領主の息子とカエルの王子

第8話 故郷からの訪問者

 マテオを助けた日から、目の回るように忙しい日々が始まった。



 私はまだ気が付いていなかったけれど、下町で流行り病が広がりつつあったらしい。

 毎年何人かはかかるけれど、普段はそれほど大事にはならない。だけど何年かに一度、爆発的に病が広がる年があるという。




 おばあの息子さん夫婦も、そんな年の流行り病にかかって亡くなったとのことだった。


 そのことを教えてくれたのは、お店の常連さんだった。

 おばあの息子さんの名前は「ジャック」、その奥さんは「オリーブ」さんという名前だったと。

 おばあの口からその話がでたことは、今まで一度もなかった。

 

 きっとおばあは少ない聖力で、必死に救おうとしたことだろう。

 そう考えると、胸の奥がズキンと痛む。



 そうして今年は、その何年かに一度の病の流行る年だったのかもしれない。

 マテオ君がかかったその日から、流行り病が下町に、爆発的にひろがっていったのだ。


 ――今年は私がいる。絶対にこれ以上広めさせない。


 病にかかった人がいると聞けば、すぐに私はとんでいった。

 次から次へと聖なる力で治していった。


 最初はお代はいらないと言ったのだけど、おばあとベルさんに本気で叱られてしまった。


 聖女の力を安売りするな。自分を安売りするな。それはあなただけじゃなくて、相手のためにもならないからって。


 耳が痛かった。


 シレジア子爵家に勤めている時は、シレジア子爵家からお給金を貰っていたけれど、兵士達からみれば無料の回復係だったことだろう。


 無料なら回復魔法をかけてもらった方が得だし、かけてもらえる生活が普通になれば、回復魔法をかける時の態度が悪ければ不快になるだろう。人間なのだから。






 歩ける患者は、『ジャックとオリーブ亭』まで歩いて来てもらう。

 おばあとベルさんは、快く宿に患者を受け入れてくれた。


「ニーナちゃん、ありがとうね。私の力じゃ救えなくて、悔しい思いをしたことが何度もあるんだ。救ってくれてありがとう。ありがとう」


 おばあが何度も私にお礼を言ってくれた。

 今までどれだけ――どれだけ悔しい思いをしてきたのだろう。

 できることなら、おばあの息子さんご夫婦を救いに、過去にいきたい。

 でもそれは無理だから、今目の前で救える命を救う。

 どうしても歩けない重症患者のところへ行くとき、アレフさんが護衛として同行してくれた。





 そうして私は、下町の聖女として、流行り病を治して回った。


 お代は、聖女としては低めに設定したけれど、下町の皆には決して安くない額だろう。


 だけど誰一人文句を言うことなく、払ってくれた。

 中には何回かに分けて、少しずつ払ってくれた人もいた。

「助かったよ。君がいてよかった。ありがとう、ニーナちゃん」


 お金よりも、そんな言葉が一番、嬉しかった。



 シレジア子爵家から払われたお給金は、実家と付き合いのある商店に預けているけれど、忙しくてろくに使う時間もなかったので、いくらたまっているかすら、途中から分からなくなっていた。


 だけど宿屋の自室にある、小さな机の引き出しに少しずつ溜まっていく、バラバラのお札やコイン、さび付いたり、汚れたり、よれているお金は、なによりも輝いて見えた。


 宝物だ。


 そうして忙しく働く日々は、とても充実して楽しかった。


 シレジア子爵家で働いていた時の、ガマンしてばかりいた忙しさとは大違いだった。


 でも一つだけ、シレジア子爵家で働いて良かったと思うことがある。

 それは毎日、何十人もの兵士たちに回復魔法をかけていたこと。

 おかげでものすごい速度で広まっていく流行り病に対抗して、一日に何十人も回復魔法をかけることができたのだから。

 




*****





 気が付けば、私が『ジャックとオリーブ亭』にきてから、もう3か月が経っていた。



「ニーナちゃん。これよろしく」

「はい!」



 慌てて患者のところに呼び出されるようなこともほぼなくなり、私は流行り病が広がる前の、宿を手伝う日常に戻りつつあった。



 聖女とバレたら、シレジア子爵家の時のように、疲れているから回復魔法をかけろ、サボるな、なんて皆に言われるようになるかもなんて少し心配していたけれど、下町の人たちは、以前と同じように、私をただのニーナとして、優しく接してくれた。



 もしもただの疲労回復で回復魔法をかけるように頼まれたとしても、今度はしっかりと、お代をいただくつもりだったけれど。



 ただなぜか、『ジャックとオリーブ亭』に泊ったり、食事をする人たちは、ちょっとばかり、元気をもらえると言ってくれる。

 少し悲しい事があったり、忙しくて疲れた時、下町の人は、ここへゆっくりと食事をしに来て、楽しくおしゃべりをして、そして少しだけ癒されて帰っていく。



 ――きっと私がここへ来る前から、そうだったんでしょうけど。






 カラン



 今日もドアのベルが鳴り、また新しいお客さんが来たことを知る。


「いらっしゃいませ!」

「……ニーナ。なにやってんだこんなところで」




 来客を歓迎しようとドアの方を向いた私は、そこに立っていた予想外の人物に、一瞬固まってしまった。


 なぜここにいるのかが分からない。

 だけど理由なんてどうでもいい。

 会えたことが、心から嬉しい。


「ランス!!」



 気が付いた時には懐かしいその人に駆け寄って、抱き着いてしまっていた。

 記憶よりも逞しくなったその人は、私がすごい勢いで飛びついたにもかかわらず、危なげなく抱きとめてくれた。



 私が王都へ来てから3年以上が経っていた。

 つまりもう3年以上会っていなかったということだ。

 生まれた時から一緒に育ったようなものだったので、それはとっても寂しい事だった。



「ニーナ。馬車に乗り遅れたと手紙が来てから、一体どれだけ経っていると思っている。何回乗り遅れるつもりなんだ?」



 この人は私よりも3歳年下のランス――ランスロート・ドレスディア。

 今年で19歳だっただろうか。ドレスディア辺境伯様の次男だ。

 私が王都へ旅立った時、ランスはまだ16歳で、少しだけ子供らしさが残っていた。

 背も私よりも少し高いという程度だったけれど、今では頭一つ分以上、差が付けられている。

 少年の柔らかさはすっかりとそぎ落とされて、どこからどう見ても立派な青年だ。

それだけの時が流れた事を実感する。



 私のお父さんとお母さんは、ドレスディア伯爵家のお抱え聖者の家系なので、ランスやそのお兄さんとは同じ敷地で生まれ育った。

 伯爵令息なんてすごい人だということは頭では分かるけれど、物心ついた頃から一緒に遊んでいたし、ランス本人が気にせず接してくるのもあって、私にとっては近所の弟分といったと感覚だ。




「皆心配して、ニーナに会いたがっているぞ」

「私も会いたかった。……あ! あの……ゴメンなさい」



 感動のあまり、思わず抱き着いてしまったけれど、ふと正気に戻って、顔に血が上る。


 ――もうランスは立派な大人なのに、思わず抱き着いてしまったわ。


 挨拶のハグ以外で最後に抱き着いたのだって、ランスが12歳とか、そこらだったはずだ。

 今は19歳の、どこからどう見ても立派な青年。

 近所のお姉さんに抱き着かれても、もううっとうしいことだろう。



 普段は賑やかに食事をしているはずの宿のお客さんたちが、物音一つ立てずに沈黙しているのも気になる。



 腕に少し力を入れて、ランスロートの胸から逃れようとする。

 けれど意外な事に、ランスは逆に私を抱きしめるようにして、腕の力を緩めてくれない。


「……」


 私はあっさりと、離れるのを諦めた。

 実はもう少しだけ、この故郷の匂いがする腕の中にいたいな、なんて思ってしまったから。





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