第2話

 白花しろはなは 穢れし土へ根をはらむ

 花開きては 浄しなるかな



 ゆったりとした、よく通る声だった。



 沙耶の顔には徐々に血の気が戻っていった。尻もちをついて、額に流れる汗もそのままに、石塔の前で膝を抱えて座った。汗が木漏れ日に光った。


 沙耶は晴れやかな顔を振り向けてきて云った。


「お時間を取らせました……。申し訳ありません」


 蓮二は苦々しい表情で、


「ちっとも申し訳なさそうじゃねェだろ。それに」

「それに?」

「ああ。勝手にくたばるんじゃねェぞ。無茶をしやがって」

「――はい」

「はい、じゃねェ。俺はお前を生贄として、連れて行かなけりゃなんねェ。難儀な、クソみてえな役目だ。おまえが死んじまったら、俺の咎だ。わかってんのか?」


 沙耶は眉を寄せて、こくりとうなずいた。


「はい。ご迷惑をおかけします」

「ちッ。だからよ、その迷惑をかけるんじゃねえ、ってんだよ。俺は……」

「すみません」


 最後にそう云って、沙耶は立ち上がるに、緋袴についた草と土を払った。


「なぜだ」と蓮二は云う。「――どうして、そんな小汚ねェ石塔を、浄めた? おまえは……」


 沙耶は目も合わせずに、笠を直しながら、


「瘴気は、元々は想いでありますゆえ。――人や、あるいは人ならぬものたちの、浮かばれぬ想いが、溜まったものなのです。蓮二さんなら、知っておいでかと……。それを救うすべがありながら、捨て置く法は、ありませぬ」

「ふん。身を挺してでも、か」

「――わかりませぬ。けれど、内なる水奈弥みなやノ神は、こう申されます。浄めがたきを浄めよ、と。ゆえにそなたに、力を授けたのだ、と」

「どうでもいい。まったく。行くぞ」


 蓮二は行李こうりを担ぎ直し、また歩き出した。ちらりと振り返ると、沙耶もついてきており、ため息をつく。



 しばらくゆくと、『此先このさき 下杉しもすぎ村』と書かれた木札が、老いて崩れかけた杉に打ち付けられていた。




 馬稚国まちこくの南部に、神代より続く深い森があった。


 天空には白雲がそびえ、火津真ノ神ほつまのかみの定めのとおりに、真夏の太陽が輝いている。


 目下の森が陽光を浴びて青々と広がる中、白く目立つ一画があった。――その一画は大輪の白花を思わせた。


 それこそが白ノ宮しろのみやである。


 檜皮ひわだで葺いた白い屋根は、神々に存在を示すがごとく、眩しく光たっている。ひときわ大きい本宮ほんぐうと、その周辺の外宮げぐうや宿舎に至るまで、あらゆる建物が白木で組まれていた。


 それに、『白ノ宮』は組織の名でもあった。大巫女の束ねる不可侵の巫女組織。その側面こそが白ノ宮の本質であろう。




 沙耶は小鳥のさえずりの中、鏡の前で正座していた。鏡は磨き抜かれた銅製。その中に緊張した顔の少女が映っている。


 そこは巫女たちの宿舎の二階で、他にも巫女たちが掃除や身支度をしている。


 巫女たちはいずれも似た格好をしており、白い小袖の襟元に朱の掛け襟をのぞかせ、よく伸ばした緋袴を穿いている。髪は銀色の水引で後ろに留めている。



 朝餉あさげを済ませ、身を浄めた沙耶は、あらためて服装や髪の乱れを確かめていた。


 なにしろ、あの大巫女に謁見し、そこで新たなを言い渡されるというのだから。




 沙耶は宿舎から外に出た。


 辺りには白い石畳が続き、宿舎の隣の外宮――雛蘇ノ宮ひなそのみや、その先に本宮の威容が望めた。


 そこかしこに、花から花を渡る蝶のようによく働く巫女たちが舞っていた。――いつもなら沙耶も蝶の一匹だったが、今日は違う。本宮に参らねば。


 沙耶は巫女たちに申し訳のない気持ちで頭を下げ、歩いていった。


「こんにちも、お日柄のよく」

「天に長神ながかみ、地に白花のありますよう」


 そんな挨拶を交わしながら、掃除したばかりの石畳を踏み締めて進む。


 やがて本殿の大階段の正面にたどり着く。


 天上世界へ続くかのような大階段も、楢の白木のしつらえ。見上げる二階の外観も、全体が明々と光りたっているように見える。


 木のふくよかな匂いの中、白花のほのかな甘い匂いもする。――四人の巫女たちが階段を登ろうとしていた。木の高杯に白花を載せて、端然と歩いてゆく。きっと森の吉方から摘んできた白花だろう。



 ところどころに、武器を手にした男たちが見える。馬稚国から派遣されてきた守護たちだ。いずれも黄色味を帯びた鎧兜をまとい、剣や鉾を持っている。


 沙耶は深呼吸をしてから、白花を運ぶ巫女たちの後ろに続いて、大階段を登ってゆく。



 二階に入り、荘厳な白木の内装を横目に、閉ざされたふすまの前まできた。


 両脇にはいかめしい守護が鉾を立てていた。沙耶は襖の前で正座して、呼ばれるのを待った。


 やがて襖の向こうから、ゆったりとした声が流れてきた。


「三位巫女の、沙耶、お入りください」


 沙耶は立ち上がると、緋袴を手で伸ばした。目の前の襖がすいと開いた。



 正面には目隠しのすだれが降り、その脇にひとりの巫女がいた。袖を囲むのは、一位巫女であることを示す、三本の銀刺繍だ。


 巫女の顔には覚えがあった。――沙耶の姉ともいえる、雪凪ゆきなであった。


 雪凪は一度だけ微笑むと、格式ばった朗々とした声で云った。


「お直りください」


 沙耶は頭を下げてから床に座り、頭を深々と下げた。するとまた、雪凪の声が聞こえた。いくらか平静な抑揚になった。


「大巫女様のお言葉を、この雪凪が代理します。――沙耶、あなたは先日、ついに霊受たまうけを成し遂げ、水奈弥みなやノ神と繋がりを得ましたね」


 沙耶は平伏したまま、「左様でございます」


「よろしい。して沙耶、そなたは、かの神より浄めの術を授かったと。そのように聞いていますが、間違いはありませんね」

「間違いございません」

「よろしい。そこでそなたに、申し渡すべきことがあります。よくお聞きを。――そなたには、次なる鎮め巫女のお役を与えることになりました」


 沙耶はびくりと体を震わせたが、それでも心のどこかで、半分覚悟していた。


 雪凪の声が、一瞬だけ詰まった感じがした。しかし、気のせいかもしれない。


「そなたは……。西のはての地である日暮ノ峡に赴き、瘴気を抑えるための人柱と相なるのです」



 世界に満ちる瘴気を、三年ごとに鎮めなければならないことは、常識だった。また、その役目は白ノ宮の巫女から選ばれた。それに、この儀式は白ノ宮が群雄割拠たる一帯に権威を示す、重要な手段のひとつでもあった。


 地に溢れてくる瘴気の制御。これができなければ、いずれ人や生き物は存在を続けることができなくなるのだから。

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