第44話 兄(ファル)の夢
物心ついたときから盗人生活だった。両親は働かず、僕が盗んだもので生活が成り立っていた。
僕が盗みに対して罪悪感を抱くようになったのは、十の時だ。その日僕はいつも通り人気のない家に盗みに入った。
だけど実際、その家には人がいて、僕は『また殴られる』と覚悟をした。だけどその家の主である男は、あろうことか僕を客人のように扱い、飯を出した。
今に立ち尽くす俺をよそに、男は冷蔵庫から作りおきの料理をとりだし、テーブルに並べる。
「俺、盗人だけど?」
「ああ、知っているよ。でも、仕方なかったんだろう?」
俺を見透かしたかのような物言いだ。優しくされるのは慣れていなかった俺は、男をにらむように見る。テーブルにはたくさんの料理が並んでいる。
「お腹が空いているのだろう? 誰だって、生きるのに必死だ」
「だからって、施しは受けねえよ」
俺は男を無視して家を出ようとしたが、男は俺の両脇に手を入れ、俺を抱き上げて、テーブルの前の椅子に座らせた。
「毒なんか入っていないし、僕の料理は美味しいから。お食べなさい」
「誰が――」
断ろうと口を開いた時、僕のお腹の虫が大きく鳴いた。
恥ずかしさから顔に熱が集まる。かああ、と上がる熱に、男はクスリと笑い、僕に飯を食べるように促す。
僕はそろそろと飯に目を移し、ゆっくりとパンを手に取った。
がぶり、パンにかぶりつき、スープで流し込む。優しい味だ。
気づいたらボロボロと涙がこぼれていた。涙の味が混じって、料理が少しだけしょっぱくなる。
必死に料理を頬張る僕を、男はただ笑いながら見ていた。
飯を食べ終わって、我に返る。男の方を見れば、男は余った料理を器に入れ、まとめていた。
「おみやげに、ね。さあ、早くお帰りなさい。それから、何があっても生き抜きなさい」
「ば、ばかじゃねえの? 礼なんか、言わねえからな!」
がたん、立ち上がり、男の手から料理の入った器を奪うようにとり、恩知らずにも礼すら言わずに男の家を走り出た。
痛い、痛い、心がいたい。あったかくて、苦しい。
その日俺は、初めて人のあたたかさに触れ、同時に盗みへの罪悪感を覚えた。
数日後、何となく気になって男の家に行った。
絶望した。
男は盗賊に殺されたのだ。辺りには警察がいて、男の遺体には布が被せてあった。
数日前まで、動いていたのに。『死』とは、呆気ないものである。
人形のように寝転がる男に、手を合わせる。
「こないだは、ありがとな」
あの時言えなかった言葉だ。今さら言ったって、届きやしないのに。
その日以来、また僕の生活は、いつも通りの希薄なものへと戻っていく。
盗んで、殴られて、蔑まれて、盗んで。
ただ、生きなければと思ったのだ。男が言った通りに、男のように死なないように。
そうして数年の月日が流れ、両親は流行り病で死に、僕はある少女と出会った。
その日は盗みに失敗して、やみ市の商人に袋叩きに遭っていた。
そんな僕の前に現れた少女。
『助けるなよ』
そう、目で訴えたのに、少女は僕を助けたのだ。しかも、彼女は『例の』シャーマンだった。
『呪われた一族』と揶揄される父娘がいることは知っていた。町の人間が噂していたのを聞いたからだ。
それでも僕は、彼女の力を、怖いとは思わなかった。
「大丈夫ですか」
「……余計なことを」
俺は手に力をいれて起き上がる。
蹴って殴られて、体はボロボロだった。みっともないったらない。
俺は少女をにらむように見た。
「お前、なにもんだよ」
「私……私はシャーマン」
「なるほど――お前、『呪われた一族』だな?」
「……! そう、です」
俺の予想は当たっていた。この少女はやはり、『呪われた一族』だったのだ。赤い瞳が揺れている。
町のやつらはこの赤い瞳を『呪われた赤』だと不気味がるけど、僕にはそうは見えなかった。きれいな、赤だ。
だから僕は、気づいたら言葉が出ていた。
「すごいんだな」
「え?」
俺の言葉に、少女は目を見開いて驚きを見せた。無理もないか、町の人々にはぶられてきたのだから。
そして少女は、涙した。きれいな涙だ。純粋で、どこまでもきれいな涙。
「あの、あなた、見たところ訳ありのようですけれど、もしよかったら、私の家に来ませんか?」
「は? バカか? 俺は盗人だぞ? お前んちは曲がりなりにも良家の血筋だろう」
つい声を荒らげていた。僕とこの少女が、行動を共にすることなんか、許されるはずがない。僕はそれだけのことをしてきた。
だけど同時に、あの男を思い出す。僕に食事を与えてくれた、死んでしまったあの男を。この少女は、いったい何者なんだろうか。僕の動揺をよそに、少女は朗らかに言うのだった。
「お父さまも、許してくださるわ。さあ、行きましょう」
少女の名を、カスアリダーといった。愛称はリダ。
僕は彼女の父親に、彼女のお目付け役を仰せつかった。
彼女の父親は、彼女同様、あたたかいひとだった。
お目付け役という名目を与えられ、同時に彼女の父親に師事した。純粋にシャーマンの力を学びたかったのだ。
最初は何でシャーマンになりたかったのかなんて、明確な理由などなかった。だけど僕は、どうやら呪術に長けていることが分かった。
「お兄さま、私にもこつを教えてください」
「いいや、リダ。リダには呪術は教えない」
リダは僕の力に憧れのようなものを抱いていた。僕に呪術を教えてほしい、そう言い出した時は、内心迷った。彼女は、『ものを中に浮かせる力』と、『見る』力以外はあまり護身に使える力がなかった。
呪術を教えれば、彼女は自分で身の安全を確保できるようになるだろう。
それでもやっぱり、彼女に呪術を使わせたくなかった。
「だってお兄さま、私はいずれ、呪いに蝕まれるんですよ? この赤い目は呪いの証。私は呪いに抗いたいんです」
「……仕方のない子だ。じゃあ、呪詛返しだけ、特別に教えてやろう」
押しに負けた。僕は最終的に、呪詛返しだけは教えることにした。
呪詛返しができれば、彼女の呪いを少しでも緩和できるかもしれないからだ。
そうして彼女の『家族』になって、数年が過ぎた。僕は十七になっていた。
師匠は、流行り病で亡くなった。なにもできなかった。僕はまた、なにもできなかったのだ。
医者に頼み込んでも、誰も聞き入れてくれなかった。師匠が『呪いの一族』だとしても、もし僕が、町の人からの信頼を得ていたならば、この結末は避けられたかもしれないのに。
「マル、マル。リダを頼んだよ。リダを幸せにしておくれ。そしてマルも、幸せになるんだよ」
「二人とも。町の人を憎んではいけないからね。それから、それ、から――」
師匠の最期の言葉なんか、守りたくなかった。
だけどそんな僕が腐らなかったのは、リダがいたからだ。
それ以来、僕はリダの呪いを解くために、『見る力』を磨いた。
そうして五年、僕はようやくリダの呪いを解く手がかりにたどり着いた。
ジャポネのオンミョウジのヨミ、その男が鍵を握っていた。
ヨミは、不老不死の呪いを解くために旅をして来た男で、近い未来で、因縁の相手と対峙する。因縁の相手をアベという。そしてもう一人、エニシという人物もまた、彼の因縁の相手だった。
ヨミは、『呪い絶ちの太刀』を作る。アベの体の一部を使って。
ここで僕は、アベの力に興味を持った。僕と同じく、『呪い』に長けた、アベの力に。
アベは、あの世とこの世の境をなくす呪いを、転生しながらこの世にかけていたのだ。死してなお、生き続けるために。死しても、自分の力を誇示するために。
アベの考えには賛同できなかったが、僕は、あの世とこの世の境をなくす呪いには興味があった。それが成功すれば、僕に飯を与えたあの男や、師匠と、ずっと一緒に暮らせるからだ。なにより、僕も死ぬことが怖くなくなる。
あの世とこの世が繋がれば、『死』という別れが、なくなる。
それから僕は、リダの呪いを解く方法と同時に、アベの力をいかにして手に入れるかを考えるようになった。
そうして僕は、ようやくヨミの居場所を突き止めた。
僕はリダの記憶をいじり、リダの兄としてヨミと接触した。
食い下がって食い下がって、ようやくヨミを説得した。
旅路の間も、僕の正体がばれやしないかと、ひやひやした。特にリダにかけた『記憶を改竄する呪い』が、破られやしないかと、いつもリダの発言には注意していた。
旅をするうちに、僕は僕自身が分からなくなった。
あの世とこの世の境をなくしたとして、『死』のない世界になったとしたら、それは僕にとって、人間にとって幸せなのだろうか。
ヨミはもと不老不死だ。そんなヨミを見ていると、自分の野望が馬鹿げたものに思えてくる。
ヨミは不老不死を、退屈だとよく話した。
いや、だが僕は、今さら引き返すつもりもない。ヨミが退屈だったのは、ヨミ『だけ』が、不老不死だったからだ。
みんながみんな、死してなお、この世とあの世を自由に行き来できる世界なら、退屈なんか感じない。置いていかれる悲しみすら、なくなるだろう。
西の果ての魔女に会って、リダの呪いを僕の手で解いた。呪詛返しが成功したのだ。
そのときの安堵は、言い知れない。同時に僕は、呪い絶ちの太刀に魅入られてしまっていたのかもしれない。
僕の弱さに、呪い絶ちの太刀が、入り込んだのだ。
イッタリで、レインは呪い絶ちの太刀を呼び寄せた。
今なら引き返せる、今ならまだ。そんな思いと、今なら手に入れられるという誘惑に揺れに揺れたが、最終的に僕は、呪いに『負けた』。
リダがボロボロと泣き出しても、僕は止まらなかった。
ああ、もうどうにでもなれ。呪いに身を任せた僕は、ヨミに呪いを打ち放った。それが、リダの幸せを願ったものだったのか、それとも僕の魂の一部になったアベを邪魔したヨミへの憎しみからだったのか、今となっては分からない。
呪いを放った僕の意識は、呪いによって奥深くに押し込められていくのだった。
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