第41話 イッタリの地で起きる
私には、兄などいなかった。
幼い頃に、母は若くして死んだ。呪いのせいだ。それでも私は、母とのたくさんの思い出があった。
「お母さま、今日のお夕飯はなあに?」
「今夜はね――」
母はシャーマンだった。そして父も、同じくシャーマンだった。
ただ、両親が元々シャーマンだったかといえば、それは違ったようだ。
私は、物心ついた時から、町の外れに住んでいた。
町に遊びにいくと、大人たちは私に白い目を向けた。そして同じくらいの年の子達からは、『呪われた一族』と揶揄され、爪弾きにされた。
「お父さま、お母さま、『呪われた一族』って、なあに?」
幼い頃の私は、自分がなんでそう呼ばれて爪弾きにされるのか分からなかった。両親は私を抱き締めるだけで、答えてはくれなかった。
呪われた一族。そう呼ばれるに至ったのは、両親がシャーマンの力を使うようになってからのことだ。
両親は、私の呪いを解くために、シャーマンになったのだ。母も呪われていたにもかかわらず、私のためにその方法を探していたのだ。
そんな母は、呪いに抗えず、私が十の時に息を引き取った。なんで母が亡くなったのか、その時私ははじめて聞かされた。同時に、私にかかった呪いのことも。
「お父さま、私のことはもういいです。爪弾きにされてまで私は生きていきたくありません」
「リダ、世界はリダが思うよりもずっと広い。その広さを知ることができないのは、寂しいと思わないかい?」
父の言葉は、そのときの私には少し難しかった。
「世界が広いだなんて、誰でも知っていますわ。お父さま、私はシャーマンになりたくありません」
「いいかい、リダ。シャーマンの力は、いずれお前を救うだろう。そしてその力は、他人をも救うんだ」
「私……私は私を爪弾きにする人たちなんか、救わないっ!」
優しい父に、私は甘えていた。亡くなった母はとても厳しく時に優しい人だったから、母が亡くなってからの私のわがままには、父も手を焼いただろう。
時は流れ、私は十五になっていた。
その日私は、町に買い物に出掛けていた。町の人は最近ことさらに私たち親子に冷たくなっていたから、食料を手にいれるのも一苦労だった。やみ市ですら、二人分を確保するのがやっとだった。
やみ市からの帰り道の路地裏、私は青年に出会った。
青年はやみ市の商人に囲まれ、袋叩きに遭っていた。
関わりたくない。そう思って道を引き返そうとしたが、そのとき青年の灰色の瞳と、目があった。
『助けるなよ』
青年の瞳には、孤独の色――助けを拒む、暗い光が宿っていた。
私は天の邪鬼なのかもしれない。助けるな、彼の目は確かにそう私に語りかけていたけれど、私にはその裏側にある思いも痛いほどわかってしまったのだ。
『ああ、孤独だ』
そんな、諦めと絶望。だけど私は知っている。孤独というのは、人のあたたかさを知っている人にしか与えられない感情なのだと。
私は右手を持ち上げて、宙に文字を書く。
「我に従いし霊たちよ、力を貸して」
ぼうっと音がして、青年を蹴る商人たちのもとに霊が現れる。向こう側が透けた人、獣、霊獣。
「な、なんだこれはっ!?」
霊に驚いた商人たちは、一目散に逃げ出した。
私は右手を上から下に振って霊を消したあと、地面に横たわる青年に駆け寄って、しゃがむ。
「大丈夫ですか」
「……余計なことを」
青年はぐっと手に力をいれて起き上がる。
ボロボロの衣服、伸びきった髪。何か訳ありなのは見てとれた。
「お前、なにもんだよ」
「私……私はシャーマン」
私の言葉に、青年は目を見開いたあと、「なるほど」、呟くように言う。
「お前、『呪われた一族』だな?」
「……! そう、です」
久々に言われた言葉に、居心地の悪さを感じた。だけどそれは、次に発せられた彼の言葉により一蹴された。
「すごいんだな」
「え?」
すごい。はじめて言われた言葉だった。今までは、『怖い』とか『気持ち悪い』とか『化け物』とか、そういう言葉ばかりだったからだ。
気づいたら目から涙が溢れていた。自分でも驚いた。そうか、お父さまが言っていた、『他人のために使え』というのは、きっとこういう意味だったんだ。
「あの、あなた、見たところ訳ありのようですけれど、もしよかったら、私の家に来ませんか?」
「は? バカか? 俺は盗人だぞ? お前んちは曲がりなりにも良家の血筋だろう」
青年は驚いたように声を大きくして言った。その目にはもう、孤独はない。ただただ私という存在に動揺しているように見える。灰色の瞳は、揺れていた。
「お父さまも、許してくださるわ。さあ、行きましょう」
私は青年の手を握り、立ち上がる。青年は私につられて立ち上がると、なにも言わずに私について歩いてくれた。
繋いだ手が、とてもあたたかかったことを覚えている。
青年の名前は、マルディシオンといった。
彼は、両親に盗みを強要されて生きてきたが、先日その両親は流行り病で亡くなったそうだ。
それでも、一度地に落ちた信用は、簡単には戻らない。彼を雇ってくれる人は、ただ一人としていなかった。
「そうかい。マル、ちょうど私は、リダのお目付け役が欲しいと思っていたんだ。働いている間、リダを一人にするのは気が引けてね。よかったら、私に雇われてくれないか」
父の言葉に、彼は涙をこぼした。あたたかい、涙。悲しい涙ではない。
「俺、この恩は忘れませんっ」
こうして彼は、私のお目付け役という名目の、父の弟子になったのだ。
そこからの私たちは、兄妹のように過ごした。彼は私より二つ上で、実は面倒見がいいことが分かった。それから、シャーマンとしての才能もあった。
「お兄さま、私にもこつを教えてください」
「いいや、リダ。リダには呪術は教えない」
彼はことさら呪術の才能に愛されていた。呪術というと聞こえは悪いが、使い方によっては人の役に立つのだ。
悲しみを消す呪い、笑わせる呪い、そしてなにより、呪詛返し。
「だってお兄さま、私はいずれ、呪いに蝕まれるんですよ? この赤い目は呪いの証。私は呪いに抗いたいんです」
「……仕方のない子だ。じゃあ、呪詛返しだけ、特別に教えてやろう」
父がいない時は、こうして彼から呪詛返しを習った。
毎日が楽しかった。
そんなある日、父が倒れた。流行り病だった。
彼は町に走り、医者に頼み込んだ。お金を握りしめ、何件もの医者を訪ねたけれど、みんな彼の依頼を断った。父が『呪われた一族』だったからだ。
そうして彼は、靴が刷りきれるまで毎日毎日毎日、医者に頭を下げに行ったのだ。
それでも医者が、首を縦に振ることはなかった。
その日父は、とても穏やかな顔をしていた。
私は、ベッドに横たわる父の手を握りしめた。
「リダ、先に逝くことを許しておくれ」
「お父さま、そんなっ!」
私は父の手を握る手に力を込めたが、父は私の手を握り返さない。きっとその力すら残っていないのだろう。
「マル、マル。リダを頼んだよ。リダを幸せにしておくれ。そしてマルも、幸せになるんだよ」
「師匠、リダは僕に任せてください」
彼は父の手を握る私の手の上に、自分の手を重ねた。微かに父の手に力がこもる。
「二人とも。町の人を憎んではいけないからね。それから、それ、から――」
すう、っと眠るように目を閉じた父が、二度と目を開けることはなかった。
私が十七、彼が十九のときの話だ。
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