第38話 呪いとの決別

 長い夜が明けた。味のない朝食を終えた今、ファルとリダは、呪い絶ちの太刀と対峙している。


「リダ、僕が守るから」

「お兄さま……」


 ファルは不安げにするリダの頭を優しく撫でた。やっぱり二人は、仲がいい。

 エンダーさんの家の外、私とヨミとエンダーさんが見守る中、数メートル離れた場所にいるリダとファルは深呼吸をした。

 ファルは手に持った呪い絶ちの太刀をリダに手渡す。リダは太刀を受け取り、すっかり錆の落ちたその刃に、人差し指を滑らせる。呪い絶ちの太刀に、リダの血が伝う。


「リダ、そのまま……」


 ファルはリダを見て頷くと、何かを唱え始める。そのとたん、呪い絶ちの太刀が鈍い光を放つ。赤い光だ。


「血において、呪いよ去れ」


 ファルが唱え終わると、リダの体から赤いもやが立ち込めて、リダの手に握られた呪い絶ちの太刀へと吸い込まれていく。

 あの赤いもやは、『呪い』に違いない。

 ファルの額から、リダの額から汗が頬に伝う。

 やがて赤いもやは全て呪い絶ちの太刀に吸い込まれ、リダはその場に膝をついた。


「リダ?」

「え、ええ。大丈夫ですわ」


 私の言葉に、リダが力なく返事をする。私はリダに駆け寄り、しゃがんでリダの顔を覗き込む。


「あ……」


 リダの顔を見た瞬間、私は『呪詛返し』が成功したことを確信した。

 リダの瞳の色が、きれいな緑色をしていたからだ。呪われた、赤色をしていなかったからだ。


「ああ、リダ。よかった、よかった……」


 ファルは相変わらず地面に膝をつけたままのリダを、しゃがみこんで抱き締めた。ファルの体が震えている。怖かったのだろう、不安だったのだろう。それでも今、漸くリダの呪が解けたのだから、震えてしまうのは当たり前かもしれない。


「お兄さま、ありがとう……ありがとうございます」


 ファルに抱き締められたリダは、思い出したかのように泣き出す。リダの嗚咽が青空の下に響くなか、私もヨミもエンダーさんも、ただだまって二人を見守った。




「エンダーさん、本当にありがとうございます」


 しばらくして、泣きつくしたリダは立ち上がり、エンダーさんに頭を下げた。ファルも立ち上がり、頭を下げる。


「あたしはなんにもしてないわね。さあさ、お茶でも飲むかね」


 エンダーさんは、家の中に入っていく。

 そんなエンダーさんを、ヨミがにらむように見ていた。なんだろう、なにか悪いことを考えているのだろうか。


「ヨミ、私たちも家の中に入ろう?」

「ああ、そうだな」


 そうして私とヨミ、続いてリダと呪い絶ちの太刀を持ったファルは、エンダーさんの家の中に入る。

 家に入り、ファルはキッチンにいるエンダーさんに呪い絶ちの太刀を返す。


「本当に助かったよ、西の果ての魔女」

「あたしはなんにもしてないわね」


 エンダーさんは呪い絶ちの太刀を受け取り、壁に立てかける。そんなエンダーさんを、ヨミは相変わらずにらむように見ている。


「あたしになにかついているかい、ヨミ」


 お盆にお茶のカップを五つのせ、居間に歩きながらエンダーさんが笑う。


「……端的に言う。エンダー、あんたの呪い絶ちの太刀を、俺に預けてほしい」

「……まあ、あんたならそういうと思ったよ。あんたは優しい子だ、ヨミ」


 エンダーさんはお茶のカップをテーブルに置きながら言った。ヨミは相変わらずエンダーさんをにらむように見ている。

 どういう意味なのか、私にはよく分からない。優しいって、なんだろう。なんでヨミは、呪い絶ちの太刀を預けてなんて言うんだろう。


「そうさね、ヨミ。あんたは自分の呪い絶ちの太刀を守らなきゃあならないのに、あたしのまで守るって言うのかい?」

「そうだな、自分でも驚いている。だが、エンダー、あんたももう、呪いに十分縛られただろ?」


 エンダーさんとヨミのやり取りで、何となく察しがついた。つまりは、エンダーさんの代わりに、ヨミが『エンダーさんの』呪い絶ちの太刀を守るということか。エンダーさんはもう何十年も呪い絶ちの太刀を守り続けてきた。だからヨミは、エンダーさんの代わりに呪い絶ちの太刀を守ろうというのだろうか。


「この先俺は、呪いの呪縛を解く方法を探して旅をするつもりだ。俺はそんなにお人よしじゃねえからな。『ついでに』エンダーの呪い絶ちの太刀を守るって話だよ」


 エンダーさんが気に病まないようにわざとそう言っているのはここにいる誰もが分かる。ヨミは変わったと思う。昔のヨミなら、こんなことは言わなかっただろう。

 私はテーブルの前に座り、お茶のカップに口をつけるエンダーさんを見て、口を開く。


「エンダーさん、私も居る。私もヨミと一緒に、呪いと闘うよ」


 エンダーさんはカップをテーブルに置いて私を見て、笑った。


「レイン、僕もその旅に着いていくよ」

「ファル?」

「私も、お供しますわ」

「リダ? ……ありがとう。二人とも」


 心強いと思った。だけどヨミは、そうは思わなかったようだ。腕を組んで、険しい顔で私たちを見ている。


「お前たちは関係ないだろ。俺一人で……」

「なに水くさいこといってるの。私は、エニシの生まれ変わりだよ? あの呪い絶ちの太刀は、私の呪いを食らったも同然じゃない」


 笑って言えば、ヨミは黙り込む。


「僕らだって、エンダーの呪い絶ちの太刀に世話になった。もちろんヨミ、君にもだ。恩返しくらい、させてくれないか」


 ファルの言葉にも、ヨミは黙ったままだった。

 エンダーさんは、微笑みながら私たちのやり取りを見ている。


「ヨミ、あんたもずいぶんいい仲間に恵まれたねえ」

「全く、ばかなやつらだよ。勝手にしろ」


 次の瞬間、ヨミがフッ、と笑った。くすぐったそうな笑顔だ。ヨミは素直じゃないから、「よろしく」とかそういう言葉は言えないことも、私たちは知っている。ファルとリダと私、三人で顔を見合わせて笑う。


「それでエンダー、あんたの呪い絶ちの太刀、『俺たち』に預けてくれるか?」

「ああ、そうさね。それじゃあお言葉に甘えようかね」


 エンダーさんは私たちにウィンクする。


「それでエンダー。もう一つ聞きたいことがあるんだが……」

「ああ、そうさね。『あんたの』呪い絶ちの太刀の行方のことかい?」


 エンダーさんはさっきとは打って変わって、至極真面目な顔つきだ。ファルも緊張しているのか、険しい顔になっている。


「そうさね、あたしにはよくわからないが、一つ言えるのは、呪い絶ちの太刀は『呪われた場所』に留まるということかねえ。あんたのの場合、アベと対峙した場所、あそこに行けば分かると思うわね」


 エンダーさんの言葉にヨミは大きなため息をつく。予想通りだと言わんばかりの、ため息だ。

 そりゃあ、アベとの嫌な思い出がある場所に……いや、エニシと別れたあの場所にもう一度行くなんて、気がふさぐのはよくわかる。私でさえも、行きたくないと思ってしまうくらいなのだから。


「ヨミ、大丈夫……?」

「ああ、大丈夫だ」


 心配しながらヨミの顔を覗き込めば、ヨミは作り笑いを浮かべて答える。ヨミの作り笑いは初めて見たかもしれない。私に心配かけまいとしてるのだろうか。……少なくとも私にはそう思えた。

 あの場所は、『私たちにとって』は、因縁の場所なのだから。イッタリの町はずれのあの場所。

 思い出すだけで胃がきりきりと痛む。私たちはあそこで、アベを倒したけれど、同時に『エニシも』死んだのだ。


「レイン、顔色が悪いが」

「ファル、大丈夫だよ……」


 大丈夫とは言ったものの、何だかめまいがする。それだけ私たちにとっては嫌な思い出なのだろうか。いや、違う。この感覚は、少し異質だ。


「おい、レイン!?」


 ヨミの声が遠くに聞こえた。視界が真っ暗になり足から力が抜けるのが分かる。あれ、なんだこれ。


「レイン」

「レイン!」


 ファルの声が、リダの声が、ヨミの声が。遠く遠くから聞こえるようで気持ちが悪い。視界は相変わらず真っ暗なままだ。

 体の感覚がどこか遠くに感じられ、自分が今どこにいるのかもわからなくなる。真っ黒と砂嵐が、私の視界に交互に映る。なんだこれ、気持ち悪い。

 めまいにしては少しおかしなこれは、いったい何なのだろうか。意識だけは失わないようにと唇をかみしめる。

 ふいに私の視界に映った何か。何か、ではない。『私たちの』呪い絶ちの太刀だ。赤く光るそれは、『私を呼んでいる』ようにも見えた。私は太刀に手を伸ばす。

 次の瞬間、私の意識が現実に戻る。私を抱きかかえるヨミと、心配そうに覗き込むファルとリダがいた。


「あ……」

「レイン、大丈夫か?」


 焦ったヨミの顔、新鮮だな。私はぼんやりと考える。さっきのは、きっと幻ではないと確信してしまう。


「ヨミ、あのね。私たちの呪い絶ちの太刀は、イッタリにあるよ。そう、私の家の跡地に行けば、きっと見つかる」


 先ほど見た光景は、まぎれもなく私が育ってきたイッタリの、私の家の敷地だったのだ。なんでこんなものが見えたのかなんて私にはわからなかい。だけどきっと、そこにあると確信してしまった。


「レイン、何を……」

「うん、私にもよくわからないんだけれど、呪い絶ちの太刀に『呼ばれた』のかもしれない……」


 私の言葉に、ヨミは黙り込んでしまう。ファルもリダも、何も言わずただ私をじっと見ていた。

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