第34話 憧れか恋慕か
俺がえにしに拾われたのは、俺が十四の時のことだ。
えにしの屋敷に住むようになった俺は、当然のように陰陽術に興味を持った。
「うつよは本当によく食べますね。見ているこちらも清々しいです」
「ん……だって俺、こんな風に沢山の飯が出されるのは生まれて初めてだからな。それに美味い」
俺は膳に出された米を咀嚼しながらえにしに答える。視線は飯に落としたままだ。
「そう。美味しいですか?」
「うん? ああ、美味いな」
「良かったです。私は、自分以外の人間に食事を作ったのは初めてだったので心配だったのですが」
えにしの言葉に、俺は箸を止めてえにしの方に顔をあげた。柔らかい笑顔を向けるえにしが目に入る。なんだか恥ずかしくなって、再び飯に視線を戻した。
「前言撤回だ。まあまあ食える味だ」
「そうですか」
まあまあ食える、なんて嘘だ。照れ臭かっただけだ。
俺は両親を五つの時に亡くしていたから、両親の味は覚えていないけど、おふくろの味があるとしたらこんな感じだろうなと思った。えにしの料理は美味しかった。
「うつよ、私の分も食べなさい」
「えにし? ほとんど食べてねえじゃねえか」
えにしは自分の分のおかずを俺の膳に載せる。
「だってうつよは、育ち盛りですから」
「……えにしだって、俺と大して変わらねえだろ」
俺は子供扱いが不服だと言わんばかりに口を尖らせた。
えにしは俺とあまり変わらない歳だと思っていたのだ。
「まさか。私はもう、二十ですよ。育ち盛りは当に過ぎました」
「え?」
思わぬ答えに、すっとんきょうな声が漏れた。
俺を見ていたえにしは、くすくすと可笑しそうに笑っている。二十と言えば、もう大人だ。
それでも俺はそれを認めたくなかった。そうだよ、『たった』六つしか違わないじゃないか。
「……た、大して変わらないだろ」
「はいはい、そうですね」
ガキな俺の言葉を、大人なえにしはいつだって笑って軽く流すのだ。
飯を終えれば、俺はえにしに借りた本を読んで、陰陽術の修行をする。『読む』と言っても、俺は文字があまり読めなかったから、えにしに教えてもらったことを復習しているだけだが。
「うつよ、稽古をつけに来ましたよ」
「えにし!」
そんな俺のもとに、えにしはたまに稽古をつけに来てくれる。俺はそれが、楽しみだった。
えにしの教え方はとても分かりやすく、俺は夢中で修行をした。
「うつよ、少し休憩を……」
「えにし。だって俺は、早く強くなりたい」
俺には目標があった。阿部よりも強くなりたかったのだ。
阿部は、えにしの兄貴で、えにしの未来視を自分の手柄にする、嫌なやつだ。
阿部がえにしを蹴ったり殴ったりするのが気に入らなかった。男の風上にもおけない最低なやつだと思った。
だから俺は、阿部を見返したかった。
時の流れは、思ったよりも速かった。出会った当初は、えにしの方が背が高かったのに、いつの間にか俺の方が高くなっていた。
えにしの背を越えたのは、確か十六の時だ。
「うつよ、ずいぶん背が伸びましたね」
「ああ、もうえにしを見下ろすくらいだ。陰陽術だって、そのうちえにしを越えるぜ?」
「まあ、生意気を言うようになりましたね」
えにしはいつだって、俺に対しては母親の様な態度をとった。
俺はそれが、悔しかった。最初はえにしに憧れを抱いていた。いつかえにしのようになりたい、そう思っていた。
だけどいつからだったか、俺はえにしを越えたいと思うようになった。えにしを守りたいと思うようになった。
「うつよ、うつよの力は素晴らしいものです。ですから、この力は『他人のため』に使いなさい?」
うつよは口癖のようにいつも俺にそう言った。その頃の俺にはその言葉は響かなかったが。俺は俺のために、えにしのために強くなりたかったからだ。
「うつよ、集中しなさい」
「え、ああ……」
手をとり足をとりの修行に、ときどき目眩を覚えるようになったのは、この頃からだ。
俺より背が低くなったえにしが隣にたつだけで、心臓が早鐘を打った。
えにしは、花の香りがした。
「あーもう、えにしは教え方が下手になったな」
「うつよ?」
ときどき、えにしを困らせるようなことを言っては、後悔した。
だけどえにしは、俺を怒ったりしたことはない。いつも笑顔で、俺の頭を撫でるのだ。
「そうですか。うつよが成長したということですね」
「……!」
好きだった。えにしの笑顔が、声が、仕草が、全てが。
えにしが俺の気持ちに気づくことはなかった。
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎて、冬が来る。そうしてまた、春が来る。俺は十七になっていた。もうずいぶんとえにしとの背長けの差は広がっていて、体だけじゃなく精神的にも大人になっていた。
「うつよ、今日はここまでにしましょうか」
「そうだな。えにし、今日の夕飯はなんだ?」
いつも通りの一日が終わり、今日もえにしが俺とえにしの分の食事を作る。まるで家族のように。えにしは相変わらず俺に柔らかい笑みを向けている。嬉しさ半分、もどかしさ半分。
今の俺は、えにしの何なのだろうか。弟子? 家族?
俺は思い切って聞いてみる。
「えにしにとって、俺はなんなんだ?」
「え……?」
「俺にとって、えにしは……」
言おうとしたら、えにしの人差し指が俺の唇に当てられ、口の動きを止められた。俺はえにしをじっと見た。困ったように笑っている。
「うつよが私に『憧れ』を抱いているのは前々から知っていました。それでもうつよ、その気持ちは決して『恋慕』ではありません。うつよは私を母を求め、姉を求め、そして今度は恋人を求めている。でもうつよ、私はあなたの恋人にはなれません。あくまで私は『師匠』なのですから」
えにしの言葉に、俺は唇をふさいでいたえにしの手を強く握る。えにしは驚いてはいたが、俺の手を振り払うことはしなかった。
「俺だって、あこがれと恋慕の違いくらい分かる。俺はえにしが……」
「うつよが私をどう思おうと、私にとってうつよはあくまでも『弟子』ですよ」
優しい声だ。諭すようなそぶりも動揺するそぶりもない、いつもと変わらない声色。えにしは俺の気持ちを知っていて、それでも知らないふりをするのか。俺はいつまでたってもえにしの『特別』にはならないのか。そう思ったら悔しくて苦しくて、その日は初めてえにしとの夕食を断った。
「俺もう、寝る。夕飯はいらねえ」
そうして俺は、自室へと逃げるように歩いた。
その日の夜は、腹が減っていたからか、えにしの言葉のせいか、なかなか寝付けなかった。
翌日、朝食を食べに居間へ行けば、やはり『いつも通り』のえにしがそこにいた。居間には、いつも通り台所で炊事をするえにしがいた。
「おはようございます、うつよ。ごはん、出来てますよ」
「ああ……」
どんな顔をして会えばいいのか、悩んでいた自分がばからしくなるくらい、いつもと変わらなかった。えにしにとっては、俺はそれだけの存在だったということだろう。
肩を落としながら俺は膳の前に座る。だけど俺は、いつも通りではないものを見つけた。朝食の飯が、焦げていたのだ。初めてだった。えにしが料理に失敗するなんて。
驚き、飯とえにしを交互に見ていたら、俺の視線に気づいたえにしが眉をハの字にして笑う。
「失敗してしまいました。昨日は気丈にふるまいましたが、私もまだまだ修行が足りませんね」
修行が足りない、そう言ったえにしが昨日のことに動揺していたのは明らかだった。俺はそれがなんだかうれしかった。飯の椀を手に取り、焦げた飯を凝視した。なんとも無様な焦げ方に、笑い声が漏れた。
「はは、えにしもまだまだか……」
「うつよ? 何か言いましたか?」
俺の言葉は、えにしには届いていなかったようだけど、俺はえにしがますます気になるようになっていた。俺が大人になれば、きっとえにしは振り向いてくれる、そう思ったからだ。
焦げた飯を箸で口まで運ぶ。苦い。飯の苦さと恋の苦さは、似ているのかもしれないと思った。 俺の初恋の味は、この焦げた飯の味なのだ。えにしの気持ちを初めて知った、この焦げた飯の味そのものなのだ。
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