第33話 好きな理由

 いよいよチャイーに入ったものの、今日は雨のため宿で雨宿りをしていた。ヨミとファルは自室にこもって出てこない。談話室は私とリダの二人きりだった。

 私はリダを横目で見る。上品なしぐさで本を読んでいる。リダは情熱的な人だけれど、こうして見てると本当にお姫さまみたいで女らしい。ヨミはリダをどう思っているのだろう。そして、リダはヨミをどう思っているのだろう。私がリダを凝視していたら、リダは私の視線に気づき、首を傾げた。


「レイン、私に何かついてます?」

「あ、ううん。たださ、リダってヨミのどこが好きなのかなあって……」


 思ったことを口にしてしまう性格は、いまだ健在だ。私は言った後に後悔した。リダは私を見て目をしばたたかせていたけれど、次には優しく笑って口を開く。


「そうですね、強いところ、でしょうか」

「強い……?」

「ええ、『心の強さ』に、惹かれました」


 リダの顔は、恋する乙女のそれだ。強い心、か。確かにヨミはとても強い心を持っていると思う。

 それでも、それだけで好きになるものなのだろうか。リダを見れば、少し恥ずかしそうに笑っていた。何だか羨ましいと思ってしまう。


「私がヨミさまを知ったのは、霊たちに教えてもらってからです。レイン、あなたたちと出会う数か月前のことです。私は霊たちからヨミさまのことを聞いていたので、初めて会った時も、一目でこの方がヨミさまなんだとわかりましたのよ」


 ふふ、と笑うリダは、やはり恋をする乙女の顔だ。なんて優しく笑うのだろうか。リダたちシャーマンは、霊を媒介していろいろな情報を得るのだと聞いたけれど、ヨミの情報もそれで知ったのか。


「リダの力って、どんなものなの?」

「私の力は物を浮かせる力と、見る力ですの。お兄さまがよくレインの心を読みますわよね。あれは、霊を通して『見ている』んですのよ」


 リダの顔は柔らかく笑っていた。ファルのことを話すリダは、いつも優しい顔をしている。本当に仲のいい兄妹なんだなあ、と羨ましくなる。そんな私をよそに、リダが続けた。


「見るというのは、詳しく言うと、霊の持っている情報や、物ならば触れれば残留思念が見えますわ。そして人ならば――」


 リダが私の頬に手を置く。


「人ならば、さわれば心が読めますの」


 リダの言葉に、とっさにリダの手をはね除けていた。どくどくと心臓が妙に脈を速める。息をすることすら忘れている。

 しばらくして私は我に返り、リダの手をはね除けたことを謝る。


「ごめんなさい、リダ。びっくりしてしまって……」

「いえ。驚かせた私が悪いですから。それに、人の心は簡単には読めませんわ。相手が無防備か、よっぽど心を許していない限りには」


 リダは微かに笑って見せる。瞳は悲しい色に染まっていた。私はこの目を知っている。自分を嫌う、目だ。

 かつてヨミが、不老不死だった頃、自分を嫌っていた時と、同じ目。


「私はリダを嫌いにはならないよ」

「え?」


 気づいたら言葉が出ていた。例えリダが私の心を見たとしても、それで私がリダを嫌いにはなるはずがない。なれるはずがない。


「だってリダは、優しいし明るいし。心を見られるって言われても、私がリダを見る目が変わるわけないじゃない」


 私の言葉に、リダは脱力したようにソファの背もたれに寄りかかった。ぎし、ソファが軋む。


「レインって、案外肝が座っているのですね」

「ヨミのお墨付きだよ」


 二人、顔を見合わせて笑い合う。なんだろう、前よりずっと、リダと仲良くなれた気がする。もっとリダのことを知りたいと思った。リダの好きなもの、大切な人、兄弟。

 兄弟といえば。


「そういえば、ファルも同じ能力を使えるの?」

「……まあ、使えることは使えますけれど、前にも言った通り、お兄さまは、呪術の能力に長けていますの」


 私は何気なく訊いたのに、リダの顔は少しだけ険しくなっていた。

 ファルは、リダとは違う能力を持っているのか。呪術というと、呪いの力のこと……だよね。


「お兄さまが呪詛返しに特化しているのは、前に見ましたわよね。それはつまり、裏を返すと、呪術に特化しているということも……」


 リダはここで間をためた。なんだろう、何かに気づいたような、そんな顔だ。


「リダ?」

「あ。はい。でも、お兄さまは『見る』力を伸ばそうと、最近はそればかり磨いていましたわ。私の呪いを知ってからは、ずっと」


 リダの声が震えていた。私はまた要らぬことを訊いてしまったと後悔した。私は思ったことを口にしてしまう性格なのだ。治そうとしているのだけれど、なかなかうまくいかない。


「そうなんだ。ファルは本当にリダが大好きなんだね」


 私の言葉にリダは小さく頷くだけだった。


「大好きといえば。レインは、ヨミさまが好きなんですの?」

「へ?」


 いきなりふられた話題に、私は面食らって言葉を失う。好きかって聞かれたら、そりゃ好きだけれども。それでも素直に好きだなんて言えなかった。私はへそ曲がりなのだろうか。


「べ、別に好きとかじゃないよ? ただ、師匠として尊敬してるだけで」

「ふーん、そうですの。私はヨミさまが好きですわ。寂しそうな顔も、不機嫌な顔も、全部全部、大好きですわ」


 リダは私の目をまっすぐに見て言う。至極真剣なその瞳に、何だか気圧されてしまう。赤い瞳は見慣れていたはずなのに、どこか遠い存在に感じてしまう。

 私は目を泳がせる。リダのまっすぐな目は、時々怖くなる。まっすぐすぎて、まぶしいのだ。


「レインは、ヨミさまが好きなんじゃなくて?」

「あ、……うん。そうだね。リダの言う通り、私はヨミが……好きだよ」


 リダの眼光に負けて、私は心の内を吐き出していた。誰にも言ったことなかったのにな。私はおずおずとリダの目を見る。相変わらず赤い瞳は私を写して離さない。


「そう、知っていましたけれど。レインはヨミさまのどこが好きなんですの?」

「え、ええ。言わなきゃダメなの?」

「私には言わせておいて、自分は内緒なんてずるですわ」


 リダは少しいたずらっぽく笑う。ああ、もう、どうにでもなれ。私は大きく息を吸い込んで、口を開いた。


「最初は嫌な奴だと思っていたの。子供っぽいし何考えてるかわからないし。それでもね、一緒に旅をするうちに、ヨミの過去とかいろいろなことを知って、もっとヨミのこと知りたいって思った。不老不死の呪いを、一緒に解きたいと思ったの。そう、それで……」


 言っていて途中から訳が分からなくなった。私はいつからヨミが好きだったのだろうか。リダは、ヨミの『強さ』が好きだと言ったけれど、私はヨミを『強い』と思ったことはない。いつも強がって自分を偽って。そうだ、私はそんなヨミだから、そばにいたいと思ったのかもしれない。


「私ね、リダ。私はきっと、ヨミの『弱さ』に寄り添いたいって思ったんだと思う。ヨミを独りにしたくないって。きっとそれは、ただのエゴだね」


 そうだ、エゴだ。ヨミの弱さに寄り添うだなんて、傲慢にもほどがある。ヨミは独りでも十分強いというのに。独りで歩いていけるというのに。

 いや、そもそも。そもそもヨミは、きっとまだ、エニシが好きなのではないだろうか。私の入る隙なんか、今まで一度もなかったではないか。


「レイン?」

「……ヨミはきっと、エニシが好きなんだよ。聞いたことはないけれど、ヨミはエニシのことになると我を忘れるの。きっとヨミにとって、エニシは唯一無二の人なんだよ」


 リダは驚いたように私を見ていた。無理もないか、リダはエニシのことを知らないのだから。それでも私には分かる。ヨミがエニシをどれだけ大事に思っているか。

 今回の旅だって、エニシが絡んでこなかったら、断っていたくらいなのだから。そう思ったらなんだかむなしさと、エニシへの羨ましさで胸がつぶされそうになる。


「レイン、でも、エニシはもう、死んだのでしょう?」

「……うん、そうだね。それでもね、ヨミはエニシが大好きなんだと思う」


 しん、と談話室が静まり返る。言葉にして初めて私はヨミのことをどう思っていたのか自覚した。そして同時に、ヨミの気持ちも知ってしまった。

 もやもやする。知りたくなかった、自分の気持ちも、ヨミの気持ちも。それでも、それでも私は、このままヨミと一緒に旅をしたいと思ってしまう。私はずるい。


「……レイン。私から見ると、ヨミはレインのことを大事に思っているように見えまますよ?」

「……それはきっと、私が『エニシの生まれ変わり』だからじゃないかな。私の瞳の色、エニシと同じ色なんだよね」


 そう、時々ヨミは、私の瞳をじっと見ていることがある。私の紫色の瞳を。そういうときのヨミは、とても愁いを帯びた、でも優しい目をしている。私を通してエニシを見ているのだろう。ああ、なんだ。やっぱり私の入る隙なんか、ないじゃないか。


「それがなんだというのです?」

「リダ……?」


 凛とした声が談話室に響いた。リダは私をまっすぐに見て、笑った。強くまぶしい、笑顔だ。


「仮にヨミさまが今もエニシを思っていたとして、それでも私はあきらめません。私がエニシ以上の存在になれば、何も問題はありませんもの」


 リダの言葉に、私はたじろぐ。本当に、情熱的な女性だ。私はそんな風に考えたことはなかった。リダの前向きさは、私も見習いたいところだと思った。そして同時に、リダの言葉に納得している自分もいた。そうか、エニシ以上の存在になればいいじゃないか。


「うん、そうだ。そうだね、リダ……そうとなったら、リダ、私はリダにも負けないからね」

「望むところですわ」


 二人で顔を見合わせて、笑った。そういえば、こんな風に女の友人と話をするのは久々だ。しかも恋のライバルと話をするなんてことは、初めてのことだ。なんだか楽しいと思っている自分がいる。


「それでは、私はもう寝ますので」

「うん、お休み、リダ」


 そうしてリダはソファを立ち上がり自室へと入っていく。



 入れ違いで、自室にこもっていたヨミが談話室に入ってくる。私はなんだか妙な緊張をしてしまう。先ほどまでリダとヨミのことを話していたせいだ。


「レイン、まだ寝ないのか?」

「うん、今日はまだ寝る気分じゃないんだ」


 ヨミの言葉に、必死に平静を装って答えたけれど、ヨミは私に違和感を感じたのか、ソファに座る私の真ん前まで来て、私をみおろす。どっど、心臓が脈を早めた。


「顔、赤いけど?」

「え? ああ、なんだろう。リダと興奮して話をしていたからかな」


 誤魔化す様に言って、アワアワと顔の前で両手を振る。ヨミはそんな私に怪訝な目を向けていたけれど、やがて私の向かいのソファに腰かけた。


「ヨミこそ、寝てなかったの?」

「ああ、ちょっとな……」


 暗い声だ。何かあったのだろうか。……いや、ヨミがこういう顔をするときは、決まってエニシのことを考えてる時だと、私は知っているけれど。


「ヨミってさ」

「なんだ?」

「ヨミにとって、エニシはどういう存在だったの、かなあ。って」


 口から出てしまった言葉は元には戻らない。私の悪い癖がまた出てしまった。思ったことをすぐに口にしてしまう、私の悪い癖。 

 それでも私は今日、この自分の悪い癖が、少しだけありがたかった。

 いつものヨミだったら、エニシの話なんかしてくれなかったに違いない。でも今日は、違った。ヨミは重々しい雰囲気の中、ゆっくり口を開く。


「ああ、えにしは――」


 そうして私は、ヨミの過去を知る。五百年前の、ヨミとエニシの『縁』を。

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