第32話 兄妹

 ある日の夜、談話室のソファに座るヨミが顔をしかめているのが目に入った。体のどこかが痛いのか、しきりに伸びをしたりストレッチをしたりしている。


「ヨミ、どこか痛いの?」

「レイン、ああ。最近体が痛くてな」


 ヨミはそう言いながら両手を上に伸ばす。長旅の疲れでも出たのだろうか。いや、疲れなんか出るはずがない。もとよりヨミは旅に慣れていたし、最近特に変わったことも起きていないからだ。だとしたら、なんなのだろう。


「なんだかそれって、成長痛のようですわね」


 私たちの話を聞いていたリダが、私の隣のソファに腰かけながら言う。手にはホットミルクを持っている。


「成長痛? ……そういえばヨミ、最近背、伸びた?」


 私はソファから立ち上がりヨミの隣に歩く。ヨミも立ち上がって私の隣に立つ。私は立ち上がったヨミを見上げた。え、近い。妙な緊張感が体に走って、私はヨミから顔をそらした。こんな風に、隣に立ったのは初めてかもしれない。


「そういえば、伸びたかもな」


 ヨミはあっけらかんとした口調でいう。伸びたかも、ということはやっぱり成長痛なのだろうか。いや、そもそもだ。ヨミの姿って、いったい何歳の時のものなのだろうか。

 ヨミは五百年も不老不死だったから、呪いを受けたときからずっと歳を取っていないのだ。


「ヨミは何歳の時に不老不死になったの?」

「ん? ああ、確か十七だったかな」

「十七!?」


 思わず訊き返していた。十七の時から容姿が変わっていないのか。そういわれれば、ヨミの容姿はは少年寄りの青年という感じかもしれない。私は改めてヨミを上から下まで見た。十七か。


「なんだよ、レイン」

「……何でもないよ……」


 私は上の空で答えた。十七歳って言ったら、まだまだ遊びたい盛りの年齢だ。ヨミはそんな年齢で、不老不死になったのか。絶望の淵に立たされたのか。

 私はソファに腰かける。成長痛が起きているということは、ヨミはもっと背が高くなるのだろうか。今でもずいぶん私よりは背が高いというのに。


「レイン、ホットミルクでも飲みますか?」

「リダ……ありがとう」


 リダは私を心配してか、自分用に淹れてきたホットミルクのカップを私の前に置く。私はカップを手に取り、ミルクを口の中に入れる。ほっとする、やさしい味だ。


「レイン……? 何を動揺してんだよ?」

「動揺っていうか……改めて思っただけだよ。ヨミはもう、不老不死じゃないんだなって。ヨミの時間が、動き出したんだなって」


 私はホットミルクの入ったカップに目を落としながら言う。ゆらゆらとカップから上がる湯気は、甘くていい匂いだ。

 こうやって一緒に時間を過ごして老いていくんだと思う反面、不安もある。私とヨミはいつまで一緒にいられるのだろうか。ヨミもずっと私と旅をするわけにはいかないだろう。いつかヨミにも好きな人ができて、家族ができて、旅をやめて一か所に落ち着くのだろう。それはヨミにとってはとてもいいことだ。そう、それはわかっている。

 それでも私は、ヨミの未来で、ヨミの隣に立っていたいと思ってしまった。そんなの、無理に決まっているのに。

 私が葛藤していたら、お風呂上がりのファルがヨミに声をかける。


「さあさ、風呂が開いたからさっさと入ってきたまえ、ヨミ。それからリダ、僕の分のホットミルクを作ってきてくれるかい?」


 ファルは私に気を使ってくれているようだった。私とヨミが気まずくなったのを察してくれたようだ。ヨミは風呂場へと立ち上がり、リダはホットミルクを淹れるためにキッチンへと立ち上がる。

 残された私は風呂場に消えるヨミの背中をじっと見ていた。


「おやおや、レイン。浮かない顔だね」

「ファル……今日はその冷やかしにこたえる気力はないよ……」


 私はホットミルクをもう一口、口に入れる。やっぱり優しい味だ。そんな私の向かいのソファにファルが座る。

 ファルはテーブルに肘を置き、右手で頬杖をついて私を見ている。


「そんなにヨミのことが気になるのかい?」

「……ファルには関係のない話でしょう」

「大ありなんだけどね」


 ファルの声が低くなる。私がヨミを好きだと、ファルに何か都合が悪いのだろうか。私はホットミルクの入ったカップをテーブルに置く。

 ファルは相変わらず私を凝視している。


「そりゃあ、だって、僕はレインが好きだと言ってるだろう? レインがヨミをあきらめてくれなきゃ、僕の恋が実らない」


 ふっと笑ったファルの顔は、少し寂しそうだ。申し訳なさと同時に、何だか共感を持ってしまう。たぶん、ファルが感じてる寂しさは、私がヨミに抱いたそれとおんなじだ。


「そうだね。それでも私は、ヨミが好きだよ」


 私は笑って答える。ファルの顔から笑みが消える。いつもからは想像できないくらいの、真剣な顔だ。

 私はファルをじっと見る。ファルも私から目をそらさない。


「そうだね、レインが意地っ張りなのはよく知ってるよ。それでも、少しずつでいいから、僕のことも知ってくれたらうれしいよ」


 ファルはそう言うと、ソファの背もたれに寄りかかる。ちょうどそのとき、リダがファルにホットミルクを持ってくる。

 ファルは「ありがとう」、リダに笑顔を向けてカップを受け取る。その時のファルの笑顔は、とても穏やかで、とても優しくて、なぜだか泣きそうになった。ファルがリダに向ける笑顔は、本当に優しくて、兄弟っていいなあと私に思わせる。

 私がファルを凝視していたら、ファルはそんな私の視線に気づき、ぱちん、ウィンクしてくる。久々だな、ファルのウィンク。


「お兄さま、レイン。何を話していたんですの?」

「うん? いやあね、レインは相変わらずかわいいなあって、口説いていたのさ」


 ファルはそう言ってホットミルクのカップに口をつける。


「熱っ」

「もう、お兄さまったら、温めてきたばかりなんですから、熱いに決まっているでしょう?」


 ファルはやけどしたのか、舌を出してひーひー言っている。そんなファルを見るリダもまた、とても優しい表情をしている。本当に仲のいい兄妹だ。


「レイン? 私に何かついてますか?」

「ううん、兄妹っていいなあって思ってさ」


 思ったままを言えば、リダはくすぐったそうに笑う。リダとファルはよく喧嘩もするけれど、やっぱり兄弟だから仲がいいんだろうな。


「ファルって昔からリダに優しいの?」

「え? えっと……」

「ふふ、昔は喧嘩ばかりだったよ」


 リダに訊いたのに、代わりにファルが答える。リダは驚いてファルを見ながら目をしばたたかせていた。喧嘩ばかりだったのか。想像つかないなあ。


「兄弟っていうのはなかなか面白いものでね。小さいころなんかは喧嘩ばかりなんだけれど、大人になるにつれてかけがえのない存在になっていくものだよ。ところでリダ、そろそろ寝たほうがいいんじゃないか? 体調がいいとは言っても、まだ呪いは解けていないのだから」


 ファルの言葉に、リダは黙ってうなづくと、ソファから立ち上がり、やがて自室へと消えていく。


「ファルって本当に、リダが大事なんだね」

「そうだね。そう……とても大事に思っているよ」


 ファルの声はあまりにも小さくて、私にはうまく聞き取れなかった。それでも、リダを大事に思っているのは明らかで、何だか羨ましくなってくる。

 ファルはいつだって、リダが一番大事なのだ。兄妹よりも深い絆で結ばれている気がする。

 ファルと私の二人きりの部屋、沈黙が流れる。でも気まずさはなく、心地よい沈黙だった。私は冷めたホットミルクを飲み干し、カップを洗いにキッチンへ向かう。


「もし僕が……」

「え? ファル?」


 私がキッチンのシンクにカップを置いたとき、ファルが不意に言葉を吐き出した。何か話があるのかと思い、私はキッチンから引き返して、談話室のファルのもとへ歩く。どこか神妙な面持ちだった。


「ファル……?」

「いや、何でもないよ」


 ファルは何か言いかけてやめた。なんだったのだろう、私は何か粗相でもしてしまっただろうか。私はない頭をひねり自分の言動を思い出す。やっぱり、思い当たる節はない。それでも何かしてしまっていたなら謝らなければと思った。


「ファル……私、何かしたかな? 何かしたなら謝りたいんだけれど……」


 おずおずと、ファルの機嫌をうかがうように言えば、おもむろにファルは笑い出す。


「はは、レインのそういうところ、嫌いじゃあないよ。本当に何でもないんだ。僕自身のことでね。本当に何でもないんだ。ああ、今日はなんだか疲れたから、僕もお先に休ませてもらうよ」


 そう言ってファルは飲みかけのホットミルクのカップを持って立ち上がる。


「お休み、レイン」


 カップを持ったままファルは自室へと向かって歩き出す。その背中が、どことなく寂しげなものに見えた。

 ファルはいったい何を言おうとしていたのだろうか。私には見当もつかない。……まあ、ファルが何でもないというのだから、それを信じるほか私にはどうしようもない。私は自分に言い聞かせるようにして、誰もいない談話室のソファに座り、天井を仰いだ。


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