第30話 呪詛返し
四人での旅をしながら、私はファルにシャーマンの力を教わっていた。特に呪詛返しには興味があった。もしそれをものにできたなら、この先どんな呪いも跳ね返せるのではないかと思ったのだ。
「呪詛返しの基本は、相手の呪いを理解することにある。レイン、今から僕は君に呪いをかける。五分間笑いが止まらなくなる呪いだ」
「え、待ってファル、いきなり呪いだなんて……」
私の言葉など聞こえていないかのように、ファルは右手で宙に何か文字のようなものを書く。そしてその宙に描いた文字が黄色く光って浮かび上がると、私のほうに向かってくる。これが、『呪い』なのだろうか。なんて、悠長に考えてる場合じゃない。呪詛返しは相手の呪いを理解することが基本だとファルは言った。つまりはこの呪いを理解しなければならなくて。
そうだ、この呪いは『笑いが止まらなくなる呪い』だとファルはあらかじめ言ってくれた。私は左手をとっさにかざし、黄色く光る『呪い』を跳ね返すイメージをする。
「ひゃっ!?」
だけどなかなか、それはうまくいかなかった。黄色い光が私に当たった瞬間、私の体が飛び跳ねた。そして、わけもないのに笑いたくなって、私は大声をあげて笑い出す。
「あはは、はは、なにこれ、やだ、おなか痛い。あはははっ……」
なにもおかしいわけじゃないのに笑いが止まらない。おなかを抱えて笑う私を、ヨミがジト目で見ている。何よ、仕方ないじゃないか。そう簡単に呪詛返しができるようになるなら、わざわざファルに教えを乞う必要もないじゃないか。
私は笑いながらも、ジト目を向けるヨミに対抗するようにヨミをじっと見続ける。
やがてヨミは呆れたように息を吐くと、青く光る左手を私の頭にのせる。
その瞬間、私の笑いが止まり、代わりにファルが笑い出す。
「は、はあ。ヨミ、何したの?」
「ああ、お前の笑い声がうるさいから、呪詛返ししてやったんだよ。呪詛返しが成功すると、呪いは術者に跳ね返る」
「あはは、ヨミ、君が出しゃばるのはルール違反、いひひ、あはは」
ファルはおなかを抱えて笑いながらもヨミを恨めしそうに見ている。ヨミは呪詛返しもできるのか。
「さすがヨミさまですわ」
リダはヨミを見て目を輝かせている。ヨミはそんなリダの言葉なんて聞こえていないように続けた。
「まあでも、俺も呪詛返しは専門外だからな。軽いものなら完璧に返せるが、強力なものになったら呪詛返しできるかはわからねえ。たとえば阿部の呪いとかな」
ヨミの顔が暗くなる。エニシを思い出しているのだろうか。ヨミはエニシを思い出しているとき、いつもどこか遠くを見る。懐かしむように、憂いを帯びるように。
「はは、あー。まったくひどい目に遭った。ヨミ、ひどいじゃあないか」
五分経てば、呪いの効果が消え、ファルの笑いが止み、代わりにヨミへの抗議の言葉が吐き出される。そんなファルにヨミは相変わらず不機嫌に返した。
「うるせえよ」
「なに? なんで不機嫌なんだい、君は。もしかして僕とレインが仲良くするのが気に入らないのかい?」
ファルはヨミの顔を覗き込むようにして言う。ヨミは舌打ちしてファルから顔をそらした。ファルとヨミは相変わらず仲がよくないというか、そりが合わないように見える。
「あ、でもさ、ファル。ファルは呪詛返しはどこまでできるの?」
「どこまで? うーん、それは僕もわからないな。だけど大抵の呪いは返せるよ」
「お兄さまは私が知る限り、呪詛返しに関しては群を抜いてますのよ」
リダが自慢げに言う。ああ、いいなあ。兄弟って、やっぱり羨ましい。私はリダとファルを交互に見る。
「なんだい、レイン」
「ううん、リダとファルは、本当に仲のいい兄妹だなあって」
私の言葉に、ファルの顔が少しだけ、ほんの少しだけこわばったように見えた。何でだろう、私がファルに話しかけようとしたら、先にファルが口を開く。
「まあ、逆に言えば僕は『呪い』にも特化してるってことになるんだけどね」
「え……?」
ファルの言葉に私は固まる。呪いに特化してるって、それはつまり、呪いをかけることに特化しているってことなのだろうか。私は目をしばたたかせてファルを見る。困ったように笑っていた。
「そうだね、レイン。呪いをかけることが得意とも言い換えられる。言っただろ、呪詛返しの基本は呪いを理解することだって。つまりは、呪いに対してある程度の知識や理解があるってことだよ」
「あ、えっと……」
私は言葉に詰まる。なんて返事をすればいいのだろう。『すごいね?』違う。『気にしないで?』 それも違う。ああだこうだ考えていたら、隣にいたリダがクスリと笑った。
「気にしなくていいのよ、レイン。お兄さまは呪詛返しは得意だけど、人に悪意のある呪いをかけたことなんかないんですもの」
「ああ、そうなんだ……!」
なんだかほっとしてしまい、肩の力が抜けるのが自分でもわかった。そうだよ、こんなに優しいファルが、人に呪いをかけるなんて、あるわけないじゃないか。
そんな私の隣で、ファルはリダの方をじっと見ていた。その目は慈愛だとかそういうのがあふれているように思える。でも同時に、少し悲しそうにも見えた。
「ファル……?」
「あ。ああ、なんだい、レイン?」
あれ、気のせいかな。私の方を向いたファルは、やっぱりいつものファルだ。さっきのは見間違いなのかな。私はあわてて話題をそらす。
「ねえ、私、呪詛返しの素質あるかな?」
「うーん、正直言って、あまりないかもしれないね」
「ええ?」
「嘘だよ嘘。なかなか筋がいいんじゃないか?」
ファルは「冗談だよ」なんて言いながら私の頭に手を置く。なんだかそれが、妹に対する扱いのようで、何だかむずがゆくなる。
「それはそうと、ヨミ、君はどこで呪詛返しを覚えたんだい?」
「……五百年も生きてれば、そういう類の人間にも会うだろ?」
ヨミは吐き捨てるように言う。それはつまり、過去に誰かに呪詛返しを習ったということなのだろうか。あのヨミが。
「ヨミって、ずっと独りで旅をしてきたんじゃないの?」
「……言わなかったか? 『みんな俺を置いて、死んでいく』って。こう見えても、旅を始めたころは色んな奴と交流していたんだぜ? 笑えるだろ。でもそのうち、見送るのが怖くなって、久しく仲間なんか作らなくなったけどな」
ヨミの表情が陰りを帯びる。そうか、ヨミは人と関わるのが怖くなっていたんだ。ずっと独りで旅をしてきて、自分を置いて世界が変わっていって。
ヨミはあまり人となれ合うのを好まないように見えたけれど、それはきっと、関わり方を忘れてしまっただけだろう。どれだけ孤独だったのだろうか。
「ヨミ……」
私はそっとヨミの手を握った。ヨミは驚いて私をじっと見る。
「でももうヨミは、独りじゃ無い。不老不死でもないよ」
何を言いたいのか、自分でもわからない。それでも言わなきゃと思ったんだ。もう独りじゃないんだよって。私が隣にいるよって。
「あれあれあれ、ヨミとレインは仲がいいんだね?」
「ばっ、そんなんじゃねえよ!」
ファルが茶化してきたことにより、ヨミは私の手を勢いよく跳ねのけた。でもそのあと、バツが悪かったのか、頭をかきながら私に言う。
「あー、その。まあそうだな。『今は』一人じゃねえって、そう思ってるよ」
「……! うん、そうだね。そうだよ、ヨミ」
なんだかうれしくなった。ヨミはもう独りじゃ無い。そして私も、もう独りじゃ無いんだ。救われたのはヨミだけじゃない、私もなんだ。
両親が死んだことをずっと引きずっていた私を、広い世界に連れ出してくれたのは、まぎれもなくヨミなんだ。
「なんだよ、にやにやして」
「うん、私ね、ヨミと出会えて幸せだなあって」
笑って答えたらヨミはぶつぶつと何かを言いながら私から顔をそらす。いつもなら舌打ちしたり、「ばかか」って言い返してくるのに、なんで今日は何も言わないのだろうか。
「ヨミ……?」
「な、なんでもねえよ」
ヨミの顔を覗き込もうとしたら、ヨミは大きく一歩を踏み出してしまい、それはかなわなかった。それでも、ヨミの背中は、前と同じもののはずなのに、何だか希望に満ちたような、笑ってるような、そんな風に見えた。
「レイン、私、レインには負けなくてよ?」
「え、リダ……?」
リダが私のどこに張り合ったのかなんてわからないけれど、それでも私は、ヨミとの絆みたいなものを強く感じた。
私は、ヨミは。もう独りじゃ無いんだ。そう思ったらなんだかうれしくてむずむずして、私は一歩一歩を踏みしめるように足を動かす。
そんな私たちを、ファルがどんな風に見ていたのかなんて、私には知る由もなかった。
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