第26話 来訪者
宿の部屋の窓から、秋の雨空を見上げてため息をつく。スパーニャの秋の雨は、少し冷たい。
「レイン、そんなににらんでたって天気が晴れるわけでもねえだろ」
ヨミは部屋の片づけをしながら横目で私を見て言う。この宿に泊まってもう五日なのだ、私の憂鬱もわかってほしいものだ。
「だってヨミ、一週間も部屋にいたら、退屈もするでしょ?」
私はまた一つため息をつく。そんな私を見てヨミは部屋の片づけの手を止める。
「俺だって退屈だよ。でも、不老不死だった五百年に比べたら、ずいぶん短い」
ヨミの言葉にハッとして私は窓の外からヨミへと視線を移す。その顔はかすかに笑っていた。
ヨミは『元』不老不死の人間だ。五百年前に師匠であるエニシに不老不死の呪いをかけられた、オンミョウジだった。
ヨミは五百年もの間、一人で旅をしてきたらしい。自分の呪いを解く方法を探すために、師匠であるエニシを殺すために。
だけど実際、エニシがヨミを不老不死にしたのにはわけがあった。エニシの兄であるアベの野望を阻止するためだ。アベは自身に呪いをかけた。『転生しても転生前の記憶が消えない呪い』を。そしてアベは、この世とあの世の境をなくす呪いを、何百年もかけてこの世界にかけていたのだ。
そんなヨミの呪いが解けたのはつい数か月前の夏のことだ。ヨミは念願の普通の体を手に入れた。
「そうだよね。ヨミの退屈に比べたら私の退屈なんて些細なものだね」
私はソファに座りなおる。そんな私を見てヨミは少しバツが悪そうに頭をかいて言った。
「まああれだ、どうせ行く宛のない旅だし、焦ってもしょうがないだろ?」
アベを倒した私たちは、再び旅に出た。今更ひとつの場所にとどまるのは自分らしくない、ヨミがそう言ったのを覚えている。
「俺は旅を続けるけど、レイン、お前はどうする?」
アベを倒してしばらくして、私はそうヨミに訊かれた。私は迷うことなく答えた。
「私も今更行くところもないし。それに私はヨミの弟子だよ? まだまだ教えてほしいことがたくさんあるからね」
うそ半分、本音半分。
私はヨミが好きだったから、離れたくなかっただけかもしれない。いや、好きなのかすら本当はよくわからないのだ。だから私は、ヨミについていくことにしたのだ。
そうして私たちは、行く宛のない旅路を歩き出した。
それにしても。私は暗い空をもう一度見上げる。今年はなんだか気象がおかしい気がする。いつもはこんなに雨は降らない。スパーニャに来て一週間、なんだか私は言いしれぬ不安を抱えていた。いわゆる虫の知らせのような居心地の悪さだ。
私がソファの背もたれに背中を預けたとき、不意に部屋のドアをノックする音がした。
「すみません……」
男の声だ。ヨミもその声に気づき、部屋の片づけをする手を止めた。
ここは宿だ。私たちを訪ねてくる人なんて、いないはず。ヨミも同じことを思ったのか、警戒しながらドアのほうへ歩いていく。私はソファから立ち上がっていた。
「誰だ……?」
ヨミはドアの前まで来て止まり、ドアノブに手をかけて少しだけドアを開ける。
「怪しいものではありません。僕はスパーニャのシャーマンです……」
「シャーマン?」
ヨミは聞き返すように言って、少しだけ開けていたドアを押し開けた。
少し色黒の、焦げ茶色の髪の男の人が立っていた。瞳はきれいな灰色だ。
「初めまして。僕はファルセダ。スパーニャのシャーマンです。あなたが腕利きのジャポネのオンミョウジとお聞きしてお尋ねしました」
そういうと、男の人――ファルセダさんは深々と頭を下げた。とても丁寧なしぐさに、私の警戒が少し緩む。
「……なぜ俺のことを知っている……?」
ヨミは低く威嚇するような声で言う。ファルセダさんは他意はないということを現すためか、両手を上げて続けた。
「実は僕の妹がある『呪い』にかかっていて。それであなたにお会いしたかったのです」
ファルセダさんはそう言ったかと思うと私に気づいたのか、私にウィンクする。女慣れしたその様子に、私の毒気は抜かれてしまう。悪い人には見えなくなってしまったのだ。
そんな私の気のゆるみに気づいたのか、ファルセダさんは私の方を見て口を開いた。
「そちらのお嬢さんは?」
「あ、私はレイン。レイン・カルナツィオーネです」
思わず挨拶をしてしまう。ヨミが私をにらむ。だ、だって、悪い人には見えなかったんだもの。
私はヨミから逃げるように顔をそらした。ヨミは一つため息をつくと私からファルセダさんに視線を戻した。
「で、ファルセダといったか。事情は分かったがなぜ俺の居場所を知ってるんだ?」
「ああ、それですか。言ったでしょう、シャーマンだと。僕には『見える』からね。君たちが『何を倒した』のかも知っているよ」
ファルセダさんはにっこりと笑う。とても柔らかい笑顔だった。この人は物おじしない人だと思った。どこか人なれしている。そんなファルセダさんの人柄に、私の警戒はもうかけらも残っていなかった。
「妹さんが呪いにかかってるって、誰にかけられたんですか?」
「レイン! 余計なことを言うな……!」
思わず訊いてしまい、私はハッと口を噤む。私は思ったことをすぐに口にしてしまう性格なのだ。直そうとは思っていても、なかなか直らない。ヨミは私にジト目を向けている。仕方ないじゃないか。だってファルセダさんは悪い人だとは思えなかったんだもの。私はファルセダさんの方を見る。相変わらず優しく笑っていた。
「よく聞いてくれた、レイン。そう、僕の妹は短命なんだ。ある魔女に、呪いをかけられた。僕の一族の『女は』みんな短命なんだ」
ファルセダさんの言葉に、デジャヴを覚えた。なんだったか、そんな話をどこかで聞いていた気がする。どこだったか。思い出そうとする私をよそに、ヨミが口を開いた。
「西の果ての魔女と同じだな……」
「あっ……!」
ここで漸く私は思い出した。西の果ての魔女――エンダーさんも、確か短命の呪いをかけられていたっけ。そうだ、おんなじ呪いだ。
「それで、つまりはエンダーと同じ術者に呪いをかけられたってことか?」
「ご名答。まあ、あくまでその可能性が高いってだけでもあるがね」
ファルセダさんは相変わらずにっこりと笑っている。やっぱりこの人は人馴れしてる。私はファルセダさんの顔をじっと見る。ファルセダさんは私の視線に気づく様子もなく、ひたすらヨミの方を見ている。
「それで、だ。君たちに僕の妹の呪いを解いてほしい」
そう言ったファルセダさんは真剣な顔になる。呪いを解いてほしい? どうやって? 呪い絶ちの太刀は、確か一回使うと効力がなくなるはず。残念だけど、ファルセダさんの期待には応えられないのではないだろうか。私がそんな風に思っていたら、ファルセダさんはおもむろに私のほうに歩いてくる。
「レイン、君は優しい子だね。でも大丈夫。呪い絶ちの太刀は、実際はその効力が消えることはないんだよ」
「え?」
ファルセダさんは私の考えを見透かすかのように言って、私の目の前まで来ると私の手を握り、ぐっと顔を近づける。
「大丈夫、僕にはその太刀の使い方が分かる。そもそも呪い絶ちの太刀は、この世から消えることはないんだよ」
ファルセダさんはまるで知っている風に言う。消えることはないって、つまりは私たちの呪い絶ちの太刀もまた、消えていないということになるのだろうか。そもそもなんでこの人に、それが分かるのだろうか。
「で、でも……私たちが作った呪い絶ちの太刀は、チリになって消えたってヨミが言っていたし、エンダーさんの呪い絶ちの太刀だって、錆びていて使い物になるかどうか……」
反論するように弱弱しく言ったものの、ファルセダさんは私の手を握る手に力を込めて続ける。
「僕には分かるんだよ。呪い絶ちの太刀の『本当の力』が。ねえ、だからレイン、僕を西の果ての魔女のところに連れて行ってくれないか」
「あの……え、ヨミ、どうするの?」
私は答えられなくて、ヨミに助けを求める。ヨミは私とファルセダさんのもとに歩いてくると、私の手を握るファルセダさんの手をぐいっと引っ張る。それにより私の手はファルセダさんから解放される。
「俺たちはそんな暇はないんでな。他を当たれ」
ヨミは冷たく言ったのに、ファルセダさんは引き下がる様子もあわてる様子もなく、ゆっくりと口を開く。
「『呪いは呪いをいざなう』。知っているか、ヨミ。君には一生呪いがついて回るんだ、と言ったらどうする?」
ファルセダさんはヨミを挑発するように言って笑う。先ほどとは違う、冷たい笑みだ。
ヨミもファルセダさんをにらむように見ている。
「そんなはったり、効くと思うか?」
「そうだね、効かないと思ってるよ。ただ、レイン。君は僕の妹をみすみす見殺しにできるかい? 妹はもう、長くない」
ファルセダさんは私のほうを見て言う。まるで悪役のような言い方だけど、その顔は悲しみに満ちていた。
「ヨミ……とりあえず、妹さんに会うだけあってから決めない?」
ほだされた。もう長くない、そう聞いてしまっては放っておくわけにはいかない。できるわけがない。
「レイン、君ならわかってくれると思ったよ。で、ヨミ、君の答えは?」
「ちっ……会うだけは会ってやる」
そうして私たちは、冷たい秋の雨が降るその日、ファルセダというシャーマンに出会った。新たな旅路の、幕開けだった。
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