第20話 師弟喧嘩
すべてを話し終えたオーヴェさんはお茶のカップに口をつける。
「オーヴェさん、私のためにって……」
私は言葉が見つからなかった。なんでそこまでするのだろう。私にはその理由が皆目見当がつかなかった。
「そんな顔をするな、僕が好きで始めたことだ。いやあしかし、こんなに美人になるなんて思ってもみなかったよ。ねえレイン、僕のレイン」
オーヴェさんはおもむろに立ち上がると私の前まで歩いてきてひざまずく。そしてそのまま手を取られたかと思えば、手の甲にキスされた。え、え。キスされた。
ぼんっと顔が熱くなるのが分かる。なんだこれ、なんでキスされたの? え、え。恥ずかしい。
あたふたする私を見て、オーヴェさんは優しく笑い、隣に座るヨミは舌打ちをした。
「まあまあまあ、レイン。こうやって十九年ぶりに君に会えて、僕は幸せだよ。思った通り、君は美しい少女に育った。実にうれしいことだ!」
オーヴェさんは立ち上がると熱弁を繰り広げる。私は圧倒されてしまってただ聞くことしかできなかった。
「きれいなブロンズの髪、透き通るような白い肌! 深い紫の瞳はアメジストのように輝いている。鈴を転がしたような声に万人は酔いしれ、その笑顔は何物にも代えがたい」
すごく恥ずかしいことをサラッという人だ。あまりほめられたことのない私は照れ臭くてむずがゆくなってしまう。
再び顔に熱が集まるのが自分でもわかる。私がどぎまぎしていたら、隣にいたヨミが口を開く。
「どこがかわいいんだよ。がさつで男勝りで色気もねえ。かわいげもないし男をバンバン殴る。馬鹿正直で単純で、何より図太さに関してはこの俺も舌を巻く」
ヨミは一息に言うとティーカップの中のお茶を一気に飲み干す。私はかちん、と固まる。そうですかそうですか、ヨミはそんな風に私を見ていたんですか!
私はヨミにじと目を向ける。ヨミは「なんだよ」と少し気まずそうに声を漏らす。
「意地悪で考えが読めなくて、人を馬鹿にするのが大好きな、子供っぽい人。オンミョウジュツを使いすぎて、地獄の番の龍にまで目をつけられて。私が目を見ると目をすぐにそらす、よくわからない人。それがあなたね、ヨミ!」
私はお返しだといわんばかりにヨミへの不満を口にする。ヨミは口を開けて固まっていたけれど、次第にわなわな震えだし、ガタン! と立ち上がる。
「もういい! 俺は帰る! こんな奴ともう旅なんかできるか! 破門だ!」
「はあ? なによ、最初に喧嘩売ったのはそっちでしょ? 私が悪いの? 私は謝りませんから! 帰るなら勝手にどうぞ!」
私とヨミの間に火花が散り、やがて二人同時に顔をそらした。
「オーヴェさん、私しばらくここに泊まっていいですか? まだまだ聞きたいことがあって……その、両親のことなんですけれど」
私はオーヴェさんを見てにこりと笑う。オーヴェさんはわなわなと震えだす。
「もちろんですとも! そりゃあもう、手とり足取りお伝えします!」
「はあ? オーヴェお前レインに何する気だよ!?」
入り口に向かって歩いていたヨミは、こちらを振り返るとオーヴェさんのもとへを歩いてくる。オーヴェさんは丸眼鏡を人差し指でくいっと上げると、勝ち誇ったように言い放つ。
「『昔の男』は出しゃばらないでください。破門なんでしょう?」
「ぐっ、おいレイン、こいつぜってえやらしいこと考えて……」
「は? 何言ってるのヨミは? そんなはずがないでしょう? ていうかさっさと帰れば? 外は猛吹雪みたいだけれど」
私とヨミの間に再び火花が散る。そんな私たちをオーヴェさんは止めるわけでもなくただただ見ている。私はオーヴェさんのほうを見て口を開く。
「オーヴェさん、こんなの無視して早くお話しましょう……」
「ああ、そうだね。そういえば、『昔の男』」
「その呼び方やめろ!」
「あいにくの吹雪だ。一階の一番奥の部屋を使え」
オーヴェさんはそう言ってポケットから鍵を出す。お見通しだったんだろうか。さすが予言者だ。
「ちっ、礼なんて言わねえからな」
ヨミはオーヴェさんの手から乱暴にカギを受け取ると、地下の部屋から出ていった。いよいよ私とオーヴェさんの二人きりになる。私は何から聞こうと考えを巡らせた。
「レイン。実は君にまだ伝えていないことがある」
私が考えていたら、急にオーヴェさんがかしこまる。オーヴェさんの顔から笑みが消えていた。なんだというのだろうか。私は座りなおしてオーヴェさんの顔をじっと見た。とても真剣なまなざしに、少しだけ緊張する。
「ヨミには言えなかったんだ。レイン、君はエニシの生まれ変わりなことには間違いはないんだけれどね、よくお聞き、転生したからと言って、レインはエニシとは『別の魂』を持っているんだよ。だからレイン、君はエニシとは全くの別人だ。そして、近い将来、君とヨミは『アルモノ』を殺さなければならない日が来るんだ」
「それは、エニシのことなの……?」
オーヴェさんはどこか核心に触れないような、肝心なことは隠しているような、そんな物言いだった。
じっとオーヴェさんを見ていたら、オーヴェさんの手が私に伸びてきて、私の頭をわさわさと撫でた。
「あとは君自身で思い出しなさい」
「それは、エニシの記憶が私の中にあるってこと?」
ゆっくりと、はっきりと訊けば、オーヴェさんは大きくうなづいた。そうか、私の中にはエニシの記憶があるのか。だとしたら、私はいったい何者なんだろうか。エニシの転生者? それとも、レイン・カルナツィオーネ?
……私は生きていていいのだろうか。私が死ねば、ヨミの願いはかなうというのに。私がうつむいた時だった。オーヴェさんが私を抱きしめる。あったかい。
「レイン、死んだほうがいいと考えるのはやめなさい。僕のためにも、君のためにも、そして、ヨミのためにも……」
オーヴェさんを見上げたら、泣いているように見えた。なんでオーヴェさんが泣いているんだろう。
「オーヴェさん……泣いてる?」
「いいや、泣いていないよ。レイン。レインにとってヨミはどんな存在だい?」
オーヴェさんは私から離れ向かいのソファに座り、優しく諭すように私に訊く。どんな存在。ヨミは私の師匠で、わがままで子供っぽくて、それでも最近は私はヨミの笑顔を見るのが好きだ。私はあの笑顔が大好きだ。もっともっといろんな話をして、笑いあって、この先もずっと一緒に旅をしたい。そうか、私にとってヨミは家族なんだ。
「オーヴェさん、私にとって、ヨミは『家族』です。一緒にいたい、ずっと笑いあいたい、師匠であり兄であり、家族です」
私の答えにオーヴェさんは目を見開き、そのあとくつくつと笑いを漏らす。何か変なことを言っただろうか。私は首をかしげてオーヴェさんを見る。オーヴェさんは私の視線に気づくと笑いながら言う。
「そう、家族ね。そうだ、ヨミは家族だね。ならねえ、レイン。早く仲直りしてきなさい。ヨミは勢いで破門だなんていったけれど、本当はヨミもレインと旅をしたいと思っているはずだよ。さあさ、お行きなさい」
オーヴェさんはそういうと、席を立ち私の前に来て、私の手をつかみ立ち上がらせる。
「で、でもオーヴェさん、私仲直りの仕方、わからない……」
オーヴェさんは私の手を引き地下の部屋のドアまで引っ張る。私は行きたくないと抵抗したけれど、そのまま部屋の外に追い出されてしまう。
「素直におなりなさい。幸運を祈ってます」
オーヴェさんはそう言い残して、バタンと地下の部屋のドアを閉める。私はあわててドアを開けようとしたけれど、鍵をかけられてしまって入ることは許されなかった。
地下の部屋の廊下は寒く、私はこのままじゃ凍死すると思い、仕方なくヨミが泊まっている部屋を探す。
地上に向かい階段を登り、一階の廊下に出る。一階の廊下は地下より寒く、私は震えながら部屋を探す。確か一番奥の部屋と言っていた。
私は一番奥の部屋まで歩き、ドアをノックする。
「ヨミ! 私、レインだけど……」
どんどん、とドアをたたけばしばらくしてドアが開く。ドアの先にいたヨミは、いまだ不機嫌そうな顔をしている。
「その……オーヴェさんに追い出されちゃって。寒いから中に入れてくれない……?」
恐る恐る訊けば、ヨミは大きくため息をついた後部屋の奥へと歩いていく。これは入っていいということなのだろうか。私はそっと部屋に足を踏み入れる。
暖炉に火がついていて、部屋はとても暖かかった。
「オーヴェのやつ、こうなるのわかってたんだろうな。だってこの部屋、寝室が二個もあるんだぜ?」
ソファに座りながらヨミが笑う。あ、さっきよりも怒ってないかな。私はヨミの向かいのソファに座る。うつむきながら目だけでヨミの顔を見る。その顔は怒っているようには見えなかった。
「なんだ、俺に何かついてるか?」
私の視線に気づいたヨミが意地悪く笑いながら私に言う。私はあわてて首を横に振る。
しばらくヨミも私も何も言わず黙り込む。ぱちぱちと暖炉の火がはじける音が部屋に響いている。
「あの、ヨミ!」
私は意を決して言葉を吐き出す。その声は緊張のせいか少し上ずっていた。そんな私をヨミはじっと見ている。なんだろう、どきどきする。緊張してるのかな。
私は深呼吸をして口を開く。
「私、これからもヨミと、旅を続けたくて……その、私、ヨミが好き」
「は?」
ぽかん、ヨミは口を開けて私を見ている。何か変なことを言っただろうか。私は固まって動かないヨミの前で手を振る。
しばらくしてヨミはハッとしたように私に気づくと、あからさまの私から顔をそらした。あれ、まただ。ヨミはやっぱり、私が嫌いなのかな。
「オーヴェさんと話したの。ヨミは私にとってどんな存在かって。私はヨミの笑顔が好き。意地悪も言うし、喧嘩もするけれど、私はこの先もずっとずっとヨミと一緒にいたい。笑いあいたい。ヨミは私にとって師匠であり、兄であり、家族なの」
言い終わって恐る恐るヨミを見れば、ヨミは私を見て言葉を失っていたようだった。やっぱりだめか。私が肩を落とした時だった。突然ヨミが声を上げて笑い出す。
「あはは、ふっ、はは、レイン。そうだな。俺もレインが大好きだよ。弟子で、妹で、『家族』のように思ってる。……さっきは売り言葉に買い言葉で、破門だなんて心にもないことを言って悪かった。今更だけど……この先も俺と旅をしてくれないか?」
ヨミの言葉に安堵して、気が抜ける。と同時になんだか泣きたくなってきて、私の目から涙がこぼれた。ヨミは泣き出した私を見て驚いたように立ち上がる。
「ど、どうした? そんなに俺の言葉で傷ついたのか? ……わ、悪い。なあ、悪かったって!」
ヨミはいよいよ慌てふためく。私の隣まで歩いてきて、私の隣に腰かけて、私をあやすように頭を撫でる。あれ、ヨミってこんな風に優しかったっけ。ヨミってこんな風に困ることもあるのか。
なんだかおかしくて、でも知らなかったヨミの一面を知ることができてうれしくて、私は笑い声を漏らす。
「レイン?」
ヨミは心配そうに私の顔を覗き込む。赤い瞳は困ったように私を映し出す。ねえ、ヨミ。私はヨミが大好きだよ。
「レイン?」
「ふふ。ごめん。悲しくて泣いてたんじゃないの。なんだかうれしくって。ヨミの気持ちも知ることができたし、意外な一面も見られたし。なんだか今日は、いい一日だったね?」
いたずらっぽく笑ったら、ヨミは私の頭を撫でていた手をひっこめる。だけど私の隣から離れようとはしない。私はヨミの肩に頭をもたげた。なんだか楽しい。
「レイン? 全く、寝るなよ?」
「大丈夫だって。少しこうしていさせてよ」
私はそのまま目を瞑る。「寝るなよ」、って言われていたのに、私はなんだか眠くなってしまって、そのままヨミの肩に寄りかかったまま眠りについてしまった。
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