第18話 雪の国、再び

 エドを出てから数週間がたった。ヨミは『呪い絶ちの太刀』を受け取って以来、暇があればその刀を鞘から出して眺めていた。

 今日もローシのはずれの宿で休んでいるが、ヨミは『呪い絶ちの太刀』をじっと見つめていた。


「ヨミ、そんなにその刀が気にいったの?」


 私が話しかけてもヨミはまるで反応なしだ。まったく、どれだけ集中してるのだろうか。

 私はホットミルクのカップをテーブルに置き、ソファに座るヨミを呼びに近づく。


「ヨミ! ホットミルク作ったから、飲もう!」

「あ。ああ、レインか」


 ヨミは力なく言うと『呪い絶ちの太刀』を鞘にしまう。ヨミの赤い瞳には生気がない。もしかして、妖刀に乗っ取られたのかな。


「レイン?」


 私がヨミを警戒すればヨミは不思議そうな顔をして私を見る。私はじりじりとヨミから距離を取り、訊く。


「あなたはヨミ? それとも妖刀に乗っ取られたヨミ?」


 私は至極真面目に言ったのに、ヨミは私の言葉を聞くなり声を上げて笑い出す。


「はは、レイン、そんなの訊いたところで、俺と妖刀と、見分けつくのか?」


 ヨミは一歩ずつ私に近寄る。もっともな言葉だとは思ったし、こんなひねくれた言葉を言うのはヨミ本人しかないのもわかってる。それでも私はヨミの答えを聞きたかった。安心したかったのだ。


「ストップ、近づかないで。ヨミ、あなたは本物?」


 私が確認するように言えば、ヨミは「参ったな」、呟いて頭をガシガシと掻く。私はヨミの目をじっと見る。ヨミも私の目をじっと見る。


「ああ、俺は本物のヨミだよ」


 その言葉に私は警戒を解き、ヨミに歩み寄る。だけどヨミはそんな私にがバッと抱き着く。え、え。何? もしかして偽物だった?


「はな、離してっ!」

「はっはっは。かかったな小娘! こうしてやる!」

「え? ひゃっ、くすぐったい、ひっ、あはは!」


 何をされるのかと思ったらくすぐられた。こうまでされてはこれが本物のヨミだと認めざるを得ない。んん、いやでも、ヨミってこんないたずらする人だったっけ。考えても言葉は出ない。くすぐられてそれどころじゃないのだ。


「ははっ、やめて、はなして!」

「クク、仕方ない、離してやろう。レイン、これで俺が本物だって、安心したか?」

「え、ええ。でもくすぐるのは意外だったな」


 私は笑いすぎて痛むおなかを抑えながらヨミに言う。ヨミはパチリと目をしばたたかせる。


「だってヨミ、こんないたずらする人だと思わなかった。最近丸くなったよね?」


 私は首をかしげる。するとヨミは顔を赤くして私から離れていき、暖炉の前のソファに座る。不思議に思って私もヨミの隣に腰かけたら、少し距離を取られた。ええ、なんで。私何か悪いこと言ったかな。


「ヨミ、私何か機嫌を損ねた?」

「いや。無自覚だったもんでな」


 ヨミは頭を抱えるようにうつむく。無自覚? なにがだろうか。私はヨミの顔を下からのぞき込む。赤色の瞳と目が合ったかと思えば、思いっきり顔をそらされた。えええ、地味にショックなんですけれど。 

 そういえば最近ヨミはよく私から顔をそらす。なんでだろう、何か私を見たくない理由でもあるのだろうか。


「ヨミ?」


 私はヨミの服をつんつん、とひっぱる。ヨミはそれに気づいてもこちらを向くことはない。なんだか泣きたくなって、私は小さくつぶやいた。


「嫌われた、のかなぁ……」


 聞こえないように言ったはずなのに、ヨミは勢いよく私のほうを向くと、上ずった声で私に言った。


「嫌ってねえ! 嫌ってねえよ、ただ俺は……最近楽しくてな。もしこのまま不老不死だったら、いつかお前と別れる日が来ると思ったら、その……なんだ。寂しいっつーか」


 ヨミの言葉はしりすぼみに小さくなって、最後のほうはうまく聞き取れなかった。でも要するに、ヨミは寂しいだけなんだということはわかった。


「大丈夫だよ。もしもヨミが不老不死のままだったら、私は生まれ変わってまたヨミに会いに行く!」


 にこ、と笑って言えば、ヨミはまた顔を赤くして私から顔をそらす。ええ、なんでそらすの。信じてくれないの?


「ヨミ、ねえ、ヨミってば!」

「う、うるせえ! 俺はもう寝る!」


 そうしてヨミは、最後まで私の顔を見ずに自室へと逃げ込むのだった。


「寂しい、か」


 そんなの、ねえ、私だっておんなじだというのに。大事な人を残して死ぬのと、大事な人に置いて行かれるの、それはどちらのほうが寂しいのだろうか。……きっとどちらも同じくらい辛いのだろう。

 残されたものは死んだものを追い求め、死んだ者は残してきたものを憂い。どちらも幸せにはなれないんだろうなと思った。



 翌日、久々にローシの天気が晴れたから、私たちは急いで『雪の国の予言者』、じゃない。オーヴェさんの屋敷を訪ねる。

 訪れるのは二回目だから、今度は難なく地下への道を通ってオーヴェさんのもとにたどり着くことができた。

 地下のオーヴェさんの部屋に入れば、オーヴェさんは「まってたよ」と陽気な口調で私たちを迎えた。


「それで『お前たち』の答えは決まったのか?」


 オーヴェさんの口調が変わる。グレーの瞳が鋭く光る。

 ヨミは背負っていた『呪い絶ちの太刀』を、オーヴェさんの目の前に投げる。ガシャン、と音を立てて太刀が落ちれば、オーヴェさんはピクリ、眉を動かした。


「ほう、これは『殺さない』ととっていいのかな?」

「ああ。俺はえにしを殺さねえ。転生したえにしに記憶がないのなら、それはただの人殺しだ」


 ヨミの言葉にオーヴェさんはまた、眉を動かす。とても冷たい目でヨミを見ている。


「それは、『記憶があれば、殺されても当然』、そういう意味かな? 全く嫌になるねえ。記憶がない人を殺すのは人殺しで、記憶がある人を殺すのは人殺しではないとでもいうのかい?」


 オーヴェさんの言葉にその場の空気が凍り付く。そうだ、私たちはなんてミスを犯していたのだろう。相手がだれであろうと人を殺すことに変わりはないというのに。 

 私はヨミのほうを見る。大きく見開かれた瞳が揺れていた。私は床に転がる『呪い絶ちの太刀』を見る。これさえあれば、ヨミは不老不死じゃなくなるんだ。これでエニシを殺せば、すべてが丸く収まるんだ。


「ところでレイン、『君の答え』は?」

「え……?」 


 突然話題を振らて一瞬頭が追い付かない。だけどようやく言葉の意味を理解する。


「なんで私に訊くんです?」


 私はオーヴェさんをまっすぐに見た。オーヴェさんはそんな私に笑みを向ける。ぞわ、と背筋が凍る。


「言っただろう? 呪い絶ちの太刀ができたらまた来い、『お前たち』の答えを聞こう、と。さあ、レイン、お前の出した答えを聞かせてもらおうか」


 オーヴェさんは口の端を上げる。この人は私の出した答えを見透かしているのだろうか。……そうだ、この人は『予言者』だ。私の出す答えなんて、きっと最初に会ったあの日に知っていたに違いない。私は大きく息を吸ってから口を開く。


「私は……殺します。ヨミができないというのなら、私がエニシの転生者を殺します。たとえその人にエニシの記憶があろうがなかろうが、私はヨミのためなら人殺しでもなんでもやれます」


 一息に言う。額に汗がにじむのが分かる。オーヴェさんは私の答えを聞くと笑顔を消し、再び視線をヨミに戻す。


「だそうだ、ヨミ。彼女は『殺される気満々』のようだけれど?」

「は……?」


 オーヴェさんの言葉にヨミは間の抜けた声を漏らす。私はといえば、声すら出ずにただじっとオーヴェさんを見ることしかできない。オーヴェさんはため息をつくと、もう一度口を開く。


「だーかーら! そこにいる『エニシの転生者』は、殺される気満々だといってるんだ」


 オーヴェさんの言葉にヨミは膝から崩れ落ちた。私はそんなヨミを呆然と見ることしかできなかった。なんだ。なんだ。私がエニシの転生者だったのか。だからオーヴェさんは、私たちを試すようなことをしたんだ。なんだ、そうか。安心した。

 私は床に落ちている『呪い絶ちの太刀』へと歩み寄ろうとするが、それを悟ったヨミが私より先に『呪い絶ちの太刀』を手に取り腕の中にギュッと抱きかかえる。


「ヨミ?」

「だめだ! 俺は誰も殺さねえ。ましてやレイン、お前を殺せるはずがねえ」


 ヨミの声は震えていた。


「だって、ヨミ。私が死ねば、ヨミは死ねる体に戻るんだよ。簡単なことじゃない」


 私はヨミの腕の中にある『呪い絶ちの太刀』を握る。ヨミはとられまいとかたくなに太刀を放そうとしない。


「ねえ、お願いだから死なせてよ。だって私、それくらいしかできないじゃない。私は安心した。だって人を殺さなくて済むんだもの。私が死ねばそれで万事解決じゃない」

「いやだ、絶対に死なせねえ」


 押し問答になったとき、オーヴェさんがこほん、と咳払いをする。私もヨミもオーヴェさんのほうを見る。


「今のやり取りを見て、安心したよ。君たちに人は殺せない。ヨミ、レイン。あなたたちは『どちらもいずれ死ぬ』日が来るでしょう。でもそれは『今じゃない』もう少し先の未来でです」


 オーヴェさんの言葉に、私は膝から崩れ落ちる。じゃあ、もしかして、ほかに何か手段があるのだろうか。


「まあ、詳しくは僕にも見えないのだけれども、この先、そう遠くない未来でお前たちに転機が訪れる。その日までヨミ、レイン。この『呪い絶ちの太刀』を守り、そして待ちなさい。必ず『その時』は来ます」


 オーヴェさんの言葉はにわかに信じがたいものだったが、それでも今の私たちには十分希望になりうるものだった。


「時にレイン、お前は自分の生い立ちを知っているかい?」

「え?」


 オーヴェさんは丸眼鏡を人差し指でくいっと上げて私を見る。私もオーヴェさんをじっと見た。


「まあ、立ち話もなんだし、お茶を飲みながら話をしようか」


 そうして私たちは、思いもよらず私の生い立ちの話を聞くことになった。

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