第15話 いざ、故郷
「うえええ、気持ち悪い死ぬ~」
「お前は寒くても船酔いでも死ぬんだな?」
『雪の国の予言者』の孫、オーヴェさんの屋敷から帰って、そのまま私とヨミはジャポネに向かうべくまずはローシの最東へと歩いた。ローシは雪のシーズンまっただ中で、その寒さと言ったら尋常ではなかった。ヨミは寒さに強いからよかったが、私は死ぬ思いをしたものだ。それでも、今思えば寒さなんていうのは、船酔いよりは幾分かましものなのかもしれない。寒いときは動けば温まるけれど、船酔いには逃げ場がなかった。
私は船の甲板にうずくまる。もうおなかの中のものをすべて吐き出してしまい吐き出すものはないというのに、いまだに気持ち悪さは抜けない。
「レイン、大丈夫か?」
「だめ、死にそう。でもご飯食べたい」
私は膝を抱えてうつむきながら答えた。こんな状況でもなお消えることのない私の食欲には私自身も失笑するしかない。
それにしても胃がむかむかする。何かいい方法はないのたとうなだれる私に、ヨミがしゃがんで私に赤い粒を手渡す。
「なにこれ?」
「梅干しっていうんだ。ジャポネでは昔から船酔いの時に食べるんだ。酸っぱいけどうまい……」
私はヨミの言葉を最後まで聞かずにその『ウメボシ』を口の中に放り込む。すっぱい! なにこれ? 酸っぱい! 口がしぼむ!
「ひえー、なんだこれ? こんなに酸っぱいもの初めて食べたよ。目が開かないくらい酸っぱい!」
「……ふっ、あはは、レイン、お前は本当に表情がころころ変わるな!」
私が驚き声を上げれば、隣に座ってきたヨミが私を見てケラケラと笑う。なんだよ、だってこんなに酸っぱいなんて思わないでしょう? 赤くて丸くて、フルーツみたいな見た目なのに、それがこんなに酸っぱいなんて、想像できるわけがない。
「船酔い、よくなったか?」
「え? あれ? なんかよくなったかも」
よく考えれば、ウメボシを食べたからと言ってすぐに船酔いが治るわけがない。たぶん私の思い込みの激しさだと思う。事実私は、最初は船酔いをしなかった。同じ船に乗っていた人の船酔いを見て、私も気分が悪くなったのだ。
それにしてもと私は隣で笑うヨミを見る。
「ヨミは最近よく笑うわね?」
思ったままを口にしてしまう癖は、いまだ健在だ。私は今回も自分の発言に後悔した。本当に、どうしようもない癖だ。
それでもヨミは、私に何も言い返さない。最近のヨミは何かおかしい。少し柔らかくなったというか、角が取れたというか。
最初の頃は意地悪で天邪鬼で、笑うことはあっても人を馬鹿にして楽しむときにしか笑わなかった。それに比べて最近はあまり口論もしなければ、そういえばあの、人を馬鹿にした笑いはめっきり見ていない。
私はなんだかしみじみして、ヨミをじっと見る。成長、したんだなあ。私がヨミを見ていたら、ヨミはそんな私に気づき怪訝な目を向ける。
「な、んだよ、レイン?」
「ヨミ、大人になったんだね。最近嫌味を言ったり人を馬鹿にして楽しんだりしなくなったもんね。なんだか私、嬉しいなあ。まるで出来の悪い弟がエリート会社に就職できたような気分」
ほわん、とした気持ちで私は空を見ていたのに、ぱこん、ヨミに軽く頭をたたかれる。何をするんだ。私は一気に現実に戻る。
隣にいるヨミを見れば、眉間にものすごいしわを寄せて私を見ていた。
「誰が『出来の悪い弟』だよ? 大体俺は、お前よりもずっっっと年上なんだが?」
ヨミはそういってべーっと舌を出して悪態をつく。なんだ、変わってないな。いや、照れ隠しで悪ぶってるだけかもしれない。
私はヨミに『暖かいまなざし』を向ける。
「なんだよその目」
「何って、『暖かいまなざし』?」
「……やってらんねえ! 俺中に行くわ」
ヨミは私を置いて船の中へと歩いていく。あれ、おかしいな。最近はこんなことなかったのに。
私は不思議に思いながらも、船の甲板から青い空を眺め続けた。青い空と潮の香りが、とても心地よかった。
ジャポネの港について私たちは船を下りる。私たちの目的地は、『エド』だけれども、ローシからジャポネに行く船は、『デジマ』しかなかったため、とりあえずそこで降りた。ちなみに地図を見せてもらったら、デジマからエドまではかなりの距離があった。ジャポネは細長い国で、デジマからエドは、ちょうど『西の果ての魔女』の家から『雪の国の予言者』の家までの距離くらいあった。そう考えるとジャポネは本当に変わった形の国だと思う。私の故郷、イッタリに少し似ていると思った。
「よし、じゃあ行こうか、ヨミ」
「あんまり張り切るなよレイン。まだ先は長いんだ」
隣に降り立ったヨミは呆れたように私に言う。それでもヨミは、久々の故郷の地を踏んで、なんだか楽しそうに見えた。
「そうと決まればまずはごはんね!」
「だから、どういう話の流れでそうなるんだよ?」
ヨミは呆れたようにため息をつく。最近ヨミのあからさまなため息もあまり気にしないようにしている。というか、慣れた。
私たちはこう見えて案外いいコンビなのかもしれない。いい意味で二人ともマイペースなのだ。
鼻歌交じりに歩きだせば、ジャポネの人が私を見てひそひそと話をする。なんだろう、私、へんかな。
私は自分の服装を上から下まで見渡すけど、どこにも変なところはない。
「あー、悪いレイン。ジャポネは異人に冷たい国なんだ……洋服だけだって目立つのに、お前のその……ブロンズの髪と紫の瞳は目立ちすぎる」
ヨミは私にそういうと、荷物の中からタオルを出して、私の頭からかぶせる。んん、これじゃあせっかくの景色が見えないじゃないか。
私はかぶせられたタオルを取る。ヨミは「人の厚意を……」なんて呟いていたけれど、私は周りの目なんて気にしていないから関係ない。
「だってヨミ、私もヨミも、同じ人間じゃない。冷たくされるいわれはないわ」
「あーもう、お前は本当にいい度胸をしてる……」
ヨミは肩をすくめる。そりゃあ、これくらいの度胸がなければ、あなたの弟子なんかやってられるわけがない。はるばる異国に一緒に来たりするわけがない。同じ目的を果たすために協力するわけがない。
私は変わっただろうか。
そういえば私は、ヨミに会う前はいつも家に閉じこもって人目を避けて生活をしていたっけ。あの頃からは考えられない成長だ。ヨミに会って、私は変わった。生きることが楽しくなった。
だから私は、ヨミに恩返しをしたいのだ。ヨミが笑って『死ねる』ように、私はヨミの願いをかなえたい。でもそのためには、人を殺さなければならない。
「レイン?」
「あ、ああ。なんだっけ?」
私は考え事のせいで上の空だった。観光をしていてもいまいち内容が入ってこない。
「レイン、お前最近変じゃねえ?」
ヨミが私の顔を覗き込む、え、ええ、近い。私はヨミの顔をじっと見た。今まで気づかなかったけど、まつげ、長いんだなぁ。それに目の色も本当にきれいな赤色だ。私はヨミの赤い目をじっと見る。ヨミの赤い目も私をじっと見ている。
「あれ?」
ハッとして声を漏らす。以前のヨミの赤い目は、もっと冷たく鈍く光っていたはずだ。なのに今、こうして見るヨミの目には、以前のような暗さはない。キラキラしていた。
私はいよいよヨミの顔を両手でつかんで至近距離でヨミの赤い瞳を凝視する。やっぱり違う。いつからだったんだろう。
私が首をかしげながらヨミの瞳を見ていたら、ヨミは私の手をどかして私から逃げるように顔をそらした。ヨミの顔は赤く染まっている。え、また熱でたのかな。
「ヨミ? 顔赤いよ?」
「なんでもねえ。ちょっと疲れてるだけだ」
あの時と同じ答えだ。ローシの宿でニモノを作ってくれた晩と同じ言葉。ヨミは本当に最近変だ。
「ヨミ、本当に大丈夫なの?」
「あ、俺、宿探してくるから。この辺で待ってろ」
そう言ってヨミは私を置いて人ごみの中へと姿を消す。独り置いて行かれた私はどうしていいかわからない。ここは異国で、頼みの綱のヨミがいなければ道すらわからないし、お金はヨミが持っている。つまりは私は一人で残されてもなにも楽しめないのだ。
「あーあ。つまんない」
私は『ハシ』の手すりに体を預け、ヨミが戻ってくるのを一人で待った。橋の下の赤い魚が、とてもきれいだった。
少し早いけどジャポネの宿でくつろぐことになった。ジャポネの宿は『ドソクゲンキン』だ。靴を脱いで部屋に上がるのは、なんだか足がスースーして落ち着かない。
ヨミはといえば、久々の『タタミ』に上機嫌で、先ほどからゴロゴロと寝転がっている。
「ヨミ、機嫌が直ったみたいだね」
「ああ? 俺はもともと機嫌悪くなんかねえよ」
ヨミは相変わらずタタミに横になりながら私のほうを見ないでいう。そういえば、ジャポネは異人に冷たいからと、宿は一部屋しか取れなかったらしい。いつもは別々の部屋で泊まっていたから、普段ヨミが夜をどう過ごしているのか、そういえば知らない。
私は寝転がるヨミのもとへ歩いていき、上からヨミの顔を覗き込む。
「ヨミ!」
「なっ、レイン、お前なあ……」
ヨミは驚き声を上げるとようやく起き上がる。
「何か用かよ」
「うん、ベッドはどこかなって」
私はヨミの前に座って首をかしげる。ジャポネのタタミはいい香りがするけれど、直接床に座るのはやっぱりなれない。ベッドに行けば少しは休めるかと思ったのだけれど、何分そううまくはいかなかった。
ヨミは部屋の隅にあるスライド式の扉を開ける。そしてその中から掛け布団を取り出し、タタミの上に置く。
「ほら、これが寝床だ」
「寝床? ベッドじゃないの?」
私は仁王立ちするヨミを見上げて首をかしげる。こんな固いところで寝るというのか。
「ああ、ジャポネでの布団はこうやって敷いてこの上に寝る。最初はなれねえだろうが、なれればベッドよりも快適だ」
ヨミは自慢げに鼻を鳴らす。なんだかんだ、ヨミはジャポネが好きなんだなあ。
私は言われた通りフトンに横になってみる。目線が低くてなんだか落ち着かないけれど、でもこれならいくら寝返りを打っても落ちる心配はない。
「寝返り打ち放題だね」
「何言ってんだよ、風邪ひくだろうが」
ヨミは呆れたように肩をすくめる。そうやってヨミはいつも私を子ども扱いばかりする。
私はフトンから起き上がって座ったままヨミを見上げる。
「ヨミ、私もう、子供じゃないんだよ?」
「はあ!?」
ヨミが叫ぶように声を張り上げたため私は肩を震わせた。え、ええ。なんでそんなに驚くの。私何か変なこと言ったかな。
「ヨミ? ……その、いつもヨミは私の言葉に呆れてため息ばかりつくけどさ、私だってもういい大人なんだからね?」
「ああ、そういう意味……」
今度はヨミは、ほっとしたように声を漏らす。ほんと、最近のヨミはますますおかしい。私は立ち上がってヨミに詰め寄る。
「最近ヨミは何かおかしいなって感じがするんだけれど。もしかして何か大事なことを隠しているの?」
そうとしか考えられなかった。ヨミは初めて会った時から秘密主義で、私にお師匠様の話をしてくれたのだってしばらくたってからだ。
そうだ、ヨミはきっと何か隠し事をしているに違いない。
「別に、隠し事なんか、してねえ……」
弱弱しく言うヨミの目をじっと見る。ヨミは私と目を合わせようとしなかった。本当にわかりやすい。
「まあ、言いたくないなら言ってくれるまで待つけどさ。そんなに私は頼りないかな」
ふいっとヨミから顔をそらし、頬を膨らませる。ヨミのバカ。私はこんなにヨミを信じているというのに。
「レイン、その」
「なに」
ヨミはふくれっ面の私に気まずそうに話しかけたが、何かを言いかけて止めたようだった。ほらやっぱり、何か隠してること、あるんじゃないか。
私はなんだか腹が立って、フトンに潜り込んで頭からかぶる。
「レイン?」
「レインの本日の営業は終了しましたー」
いじけた言葉を返せば、ヨミが大きなため息をつくのが聞こえた。
そっちがその気なら、私だって話してくれるまでどんな手だって使ったやる。ひそかに誓って私はそのまま眠りに落ちた。
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