第12話 うつよの夢

 自分が何歳だったのかなんて今はもう定かではない。俺は五つの時に両親を失った。流行病だった。

 そのあと親せきの家をたらいまわしにされたけど、とうとう俺は身寄りをなくし、路地裏で盗人として生活をするまでに堕ちた。

 もう何日も飲まず食わずで、立ち上がる気力すらなかった。俺は人のいない路地裏に座りこんでうつむいていた。ああ、きっとこれで俺は死ねるんだな、そう思ったらなんだかまんざら悪くないと思ってしまった。

 生きていたって何も楽しいことはない。いっそ死んで、お父さんお母さんのもとに行けたほうがどんなに幸せか。昔は死ぬのが怖くて仕方がなかった。だけどいざ、死を目の前にした俺はなぜだか満たされていた。


『死んでるの?』

『違うよ、まだ生きてる』


 ふいに声が聞こえて俺はうつむいていた顔を上げた。小さな人間がいた。俺はいよいよ自分はおかしくなったのかと、ない力を振り絞って笑い声を漏らした。


「はは、あはは。なんだよ俺、幻覚まで見えるなんて」


 久々に出した声はかすれている。きっとこれが俺の最後の言葉だ。なんて滑稽なのだろうか。俺は人知れずこの路地裏で死んでいくのだ。俺が死んでも世界は変わらずに回り続ける。俺が死んでも誰も悲しむ奴なんかいない。


「何のために生きてきたんだろ」


 俺は再び顔を下に向ける。枯れたと思っていた涙が頬を伝っていたことに驚く。ああ、俺、やっぱり死ぬのが怖いんだな。


「少年、死んではいけません」


 今度は女の声が聞こえた。心なしかお母さんの声に似ている気もする。俺は再び力を振り絞って顔を上げる。そこにいた巫女装束の女の人は、俺の顔を見て驚いたように瞳を揺らしていた。深い紫の瞳だ。


「あんたも、幻覚?」


 俺はかすれた声で女に問う。だけど女は俺に背を向けてどこかへ走っていく。なんだよ、どうせ見捨てるくらいなら、はなから声なんかかけんなよ。俺の体はそのまま横に倒れる。目がかすむ、体の感覚がなくなっていく。いよいよお父さんとお母さんに会えるのかと思ったら、やっぱり怖さよりも安心感のほうが勝っていた。

 俺がそっと目を閉じたときだった。再び俺の頭上から、俺を呼ぶ声が聞こえる。


「少年、少年。死んではいけません。起きてこれをお食べなさい」


 なんだよ、せっかく気持ちよく眠れそうだったのに。邪魔をするのはいったい誰だ。俺はそいつの面を見るために薄く目を開ける。飛び込んできたのは先ほどの女の顔と、数個の饅頭にお茶の入った筒。

 気づいたら俺の体が動いていた。目の前にあったまんじゅうを口に入れれる。甘い、おいしい、おいしい、甘い。生きている、おいしい。死にたくない、しにたくないシニタクナイ死にたくない。ぼろぼろと枯れていたはずの涙が止まらない。

 横になっていた体を起こし、饅頭を胃に詰め込むように噛まずに飲み込む。茶の入った筒を開けて、中身を一気に飲み干した。茶の味なんてもちろんわからない。それだけ俺は無我夢中で食べたのだ。

 そんな俺を、巫女装束の女はただ黙って見ていた。


「ん、は……」


 饅頭を全部食べ終えれば、饅頭の糖分により俺の頭がはっきりしてくるのが分かる。俺は俺にまんじゅうをくれた女のほうを見る。女は地面に膝をついて俺を優しいまなざしで見ている。なんだか腹が立った。何の苦労も知らないやつなんだろうと思った。


「れ、礼なんて言わねえからな」


 素直じゃない俺は、そう言って女をにらむように見上げた。それでも女は俺を優しいまなざしで見ている。

 俺は居心地が悪くなって女から顔をそらす。


「少年、名前は?」

「……『うつよ』」


 なんで答えたのか自分でもわからなかった。ただこの人の優しい笑みは嫌いになれなかったのだ。お母さんのような、それでいてお父さんのような優しく強いまなざしだ。

 女は俺に手を伸ばすと、俺の両脇に手を入れて立ち上がらせる。俺はまだあまり力が入らない両足で漸くに立ち上がる。


「うつよ……現世か。『いま』を生きるための、いい名前だ」


 女は立ち上がると俺の頭に軽く手を乗せる。とても優しいまなざしが俺を見下ろす。紫の瞳が俺を映しているのが見える。


「私はえにし。うつよ。お前には『陰陽師』の才能がある。この者たちが見えるのだろう? どうだ? 私の弟子にならないか?」

「さいのう? この者……?」


 俺は数回瞬きをする。女の横に、先ほどの小さい人間が飛び回っている。あれは幻覚じゃなかったのか? それとも俺の頭がおかしいのか?

 紫の瞳は相変わらず俺をはっきりととらえ映し出している。


「なんなんだ、そいつら」

「私は小人と呼んでいます。海の向こうでは、『妖精』と呼ばれているそうですが」

「ようせい……?」


 俺は呟くように言葉にしていた。えにしは俺を見て首をかしげる。どこか女らしいしぐさだった。


「それで、私の弟子にならないのか?」


 まっすぐなその目に、俺は断る理由も見つからず、そのまま女の住む屋敷へとついていくこととなった。

 ついた先は豪華な屋敷だった。この女はいったい何者なのだろうか。


「あんた、何者だ?」

「うつよ、私の名前は『えにし』ですよ。私は陰陽師、言っていませんでしたか?」


 女――えにしは俺を見て先ほどとは違う少しはにかんだような笑顔を浮かべた。

 陰陽師だと? 確か陰陽師は男しかなれないはず。それにえにしの服は、どう見ても巫女のそれだ。嘘をついているのだろうか。でも、嘘をついて何のメリットがある? やはり本当のことなのだろうか。


「女は陰陽師になれないと思いましたか?」

「え?」


 見透かしたようにクスリと笑うえにしに俺の心臓がどきりと跳ねる。まさか、分かるはずがない、見透かせるはずがない。そうだ、この女はかまをかけているだけだ。いくらなんでも、人の心を読める人間なんかいるはずがない。いてたまるか。


「心なんて読めるはずがない、と思いますか?」

「っ、な……」


 いよいよ俺はえにしの顔をじっと見る。相変わらずきれいに笑うえにしは思っているよりすごい人間なのかもしれない。


「それは、俺の心が分かるのは、『陰陽師』だからなのか?」


 俺はこれ以上この女にうそは通じないと思って正直な言葉を言った。えにしはそんな俺を見てまたクスリと笑う。よく笑う女だと思った。


「いいえ、私は陰陽師ですけれど、人の心は読めません。少し意地悪をしてしまいました」


 えにしはそういって俺の頭をひと撫でする。

 うそだったのか、だまされたのか。この女、顔に似合わず案外したたかだ。俺はにらむようにえにしを見上げる。えにしは困ったように笑っている。


「ごめんなさいね、ちょっとうつよが緊張していたから、なごませようと思っただけなの。悪意はないの。ごめんね、許して?」


 えにしはこてん、と首をかしげる。そんな風にしたって許すわけがねえ。ましてやかわいいだなんて思ってねえんだからな。

 俺はえにしを無視して屋敷に無断で上がる。


「うつよ、待ちなさい」

「知らねえ。嘘つきな女なんか信用できるか!」


 俺はえにしが止めるのを振り払い屋敷の中をかけ歩く。後ろばかり気にして走っていたから、廊下の角から現れた人間に気づかず、俺はその人間にぶつかりその場にしりもちをついた。


「なんだお前は?」

「な……」


 見上げると大人の男がいて、そいつは俺を虫けらを見るような目で見降ろしてきた。俺は立ち上がりその男をにらみ返す。

 男も俺から目を離さず、しばらく膠着状態が続いた時だった。


「阿部さま、申し訳ありません」


 俺を追ってきたえにしが男の前にひざまずく。なんでだよ、なんでそんなにおびえてるんだよ。


「なんだえにし、お前が連れ込んだのか? こんな薄汚い者を? 私の屋敷に?」


 男はえにしの頭に足を乗せる。えにしは何も言わず頭を下げ続ける。なんだよ、この男、なんでこんなことするんだよ。えにしもえにしだ。何で言い返さない、やり返さない?


「なんだガキ?」

「足。どけろよ」


 気に入らなかった。何も言わないえにしもそうだけど、えにしにこんな仕打ちをするこの男が、憎くてたまらなかった。

 俺は男の足を握り、えにしの頭の上からどかす。男はしぶしぶ足を下ろしたが、まだえにしに侮蔑の目を向けている。やめろよ、その目。やめろ、やめろやめろやめろ。


「うつよ!」

「え、にし?」


 俺が男に殴りかかろうとしたとき、後ろからえにしに腕をつかまれ、そのまま頭をつかまれ、ひざまずかされた。

 何すんだよ、俺もお前も、なにも悪いことなんかしてねえだろうが。


「阿部さま、この子はずっと人間らしい生活を送れなかったのです。ご無礼をお許しください」

「えにし、離せっ、なんでこんな奴にひざまずかなきゃなんねえんだっ!」


 じたばたと暴れても、先ほどまで死の淵にいた俺は、女のこいつの力にすら敵わない。悔しさと憎しみで頭が真っ黒に染まっていく。


「ちっ、なんで拾ってきたのか知らないが、うちの家紋を汚すことだけはするなよ?」


 男はえにしに唾を吐きかけ、そのまま歩き出す。追いかけて蹴り飛ばしてやりたくても、えにしに抑え込まれてそれは叶わない。結局男が遠くに消えるまで、俺とえにしは頭を床につけたままの体勢でいた。


「このっ、はなせ」

「うつよ。あなたは世の中のことを知らなすぎる。あの方は阿部さまと言って、陰陽師家の名門なのですよ」


 開口一番、えにしはそんな説教じみた言葉を吐き出す。なんだよ、俺が悪いのかよ。……仕方ねえだろ、俺には教養がない、親はとうの昔に死んだ。特技といえば、ものを盗むことくらいで、俺はほかになんにも持っていないのだから。

 改めてそんな自分の幼さを思い知らされた気分になった。なんだこれ、悔しい、腹が立つ。


「えにし、俺を陰陽師にしてくれよ。誰にも負けない陰陽師になって、俺はあいつを見返してやる」


 あふれる涙をぬぐいながら、誓うように言った。


 それからの日々は、俺にとって驚きの毎日だった。毎日が充実していたし、陰陽術を習うのが楽しかった。


「目を瞑って深呼吸をして。頭を空っぽにして。うつよ、『霊力』を感じますか?」

「……なんとなく。腹のあたりがあったかいのは分かる……」


 えにしは時間を見つけては俺の修行を手伝ってくれた。俺この時間が大好きだった。えにしの優しいまなざしが、いつしか大好きになっていた。


「やっぱりうつよは、素質があるのね。うつよの霊力の色はきれいな青ね」

「俺はえにしと同じ紫がよかった」


 他愛ない話をして、笑いあった。幸せだった、毎日が楽しかった。

 だけど一つだけ、不満があった。あの男、阿部が、えにしが陰陽術で見たものを、自分の手柄として横取りしていることだった。

 それでもえにしは笑って言う。


「うつよ。誰が一番すごいだとか、そんなことはどうでもいいのいです。大事なのは、私たちがこの術をどう使い、どう町の人の役にたてられるかです」

「それでも俺は、阿部が許せねえ。どう考えたってえにしの力だろう!? えにしを利用しているだけじゃないか」


 えにしはいつも笑っていた。俺はそんなえにしが大好きだった。尊敬していた。

 でもそれはある日あっけなく壊れた。


「えにし? どうかしたのか?」

「ええ。うつよ。その円の中に立ってくれない?」


 ある日俺は、えにしの陰陽術の部屋に呼ばれた。まだまだ未熟だからとそれまで一度も入ったことのないその部屋は、荘厳な雰囲気を漂わせていた。燃える火がきれいだと思った。

 俺は言われるままに床に書いてある円の中に立つ。背筋がぞわ、っと粟立つのが分かる。なんだか嫌な予感がする。


「えにし? これはなんなんだ?」


 俺は円から出ようとするがそれはえにしによって阻まれた。えにしはごうごうと燃える火の前で、何かを唱えている。まさかこれは、結界か。俺は必死にえにしに叫ぶが、えにしには俺の声なんて耳に入っていないようだった。次第に円の中が紫色に光る。えにしの霊力だ。

 何をしているのかわからない、何をされているのかもわからない。次第に俺の体が紫色の光に包まれて、紫色の稲妻が俺の体を貫いた。


「がはっ!」


 死んだと思った。それほどの衝撃だった。俺は床に横たわる体を起こす。円は消え、俺は自由を取り戻す。だけど目の前にいたえにしは、膝を床に着け今にも死にそうにぜえぜえと荒く息をしている。

 なんでだ、何が起こったんだ。


「えにし!」


 俺はえにしに駆け寄る。えにしはそんな俺を拒絶するように立ち上がる。顔面蒼白のえにしは、にい、と口の端を吊り上げる。今まで見たことのない、顔だ。恐怖のあまり足がすくむ。

 そんな俺を見てえにしは甲高い笑い声を漏らした後、俺を見て満足そうに言う。


「うつよ、うつよ。私の体……お前の体は、今この瞬間に『不老不死』になった」

「えに、し?」


 俺はえにしをじっと見る。まるで別人のようだった。えにしは俺に左手を伸ばし、続ける。


「私は何百年か先の未来で、もう一度人間として『転生』する。そう、その時私はお前の体を、不老不死のお前の体を私のものにし、私は永遠を手に入れる、ふふ、あははっ」


 狂ってる。不老不死ってなんだ? 俺の体を乗っ取るってことか? なんで、なんで。不老不死に何の意味がある?

 俺は一歩前に出てえにしに歩み寄るが、足にうまく力が入らず床の上に膝をつく。


「うつよ、うつ……よ。私の体……お前はこの先死ぬことはできない。私にその体を明け渡す日まで。私は未来で、『永遠』を、手に……入れ、る……」


 ばたん、えにしは音を立てて崩れ落ちる。死んでいた。


「嘘だ、嘘だ、えにし」


 床を這ってえにしのもとへ近づく。目を大きく見開いたままこと切れたその深い紫の瞳は、やっぱり俺が知っている大好きな優しい紫色だった。



 それ以来、俺はあらゆる手段で死のうと試みた。 

 ある時は崖から飛び降りた、ある時は手足に重りをつけて海に身を投げた。ある時は串刺しにされた、ある時は火の中に飛び込んだ。

 だけどどの方法を試しても、俺が死ぬことはなかった。崖から飛び降りて体が散々になっても、それは時間をかけて再生し、やがて意識を取り戻した。重りをつけて海に飛び込んでも、苦しいだけで、やがて波に打ち上げられて人間に助けられた。串刺しにされても、ただ痛いだけで傷はすぐにふさがった。火の中に飛び込んでも、俺が焼け死ぬことはなかった。

 いつしか俺は死ぬことをあきらめて、ただ無為に旅に出た。


「『うつよ』なんて名前、似合わねえよな。……今日から俺は『ヨミ』だ。黄泉の世界の死なない人間。はっ、俺にぴったりじゃあねえか」


 そうして俺は『うつよ』という名前を捨てた。えにしを忘れるように、自分を殺すように。いつか転生したえにしを自分の手で殺すために。俺は俺をこんな体にしたえにしを許さない。

 絶対にこの手で殺してやる、そう決めて、旅を続けてきた。

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