第6話 地獄の番

「元気だった? 二人とも」

『元気だったよ』

『元気だったよ』


 ウンディーネとサラマンドラは口をそろえて言う。この二人はとても仲がいいんだなと思う。最初に会った時も二人はいつもくっついていたし、いつもおしゃべりをしていた。


『レイン、火事は大丈夫だった?』


 サラマンドラが言う。サラマンドラとウンディーネは、あの時、私の家が火事になったとき、あの場所にはいなかったはずだ。妖精は物事を見透かす力みたいなものがあるのだろうか。


『レイン。サラマンドラは、火の妖精なの。だからあの日、火事が起こるのを察知して、私たちは避難したのよ』

『ごめんねレイン、僕は火の妖精だけど、人間界の火事には干渉してはいけないんだ』


 サラマンドラが申し訳なさそうに頭を下げた。そうか、あの時『来るよ』と言っていたのは、雷のあとの火事のことだったのか。私はてっきりポルターガイストが来るのを察知したのかと思っていた。


「もう話は済んだか? そろそろ妖精たち、消えるぜ?」


 ヨミさんの言葉に、私はあわてて言葉を探す。


「あ、サラマンドラ、ウンディーネ。あの、また会おうね?」


 妖精に対して、また会おうね、は少し変だっただろうか。それでも私は、この二人とまた会いたいと思ってしまったのだ。


『またね、レイン』

『じゃあね、レイン』


 そうして妖精たちは私に手を振ると、すうっと姿を消していくのだった。

 妖精たちがいなくなれば、私とレインさんだけが山中の道を馬で歩く。なんだか少し不気味な森だ。先ほどから同じような景色ばかり歩いている気がする。森ってこんなに長かったっけ。


「……参ったな」

「ヨミさん?」


 ヨミさんは馬の手綱を引いて馬を止まらせる。私もあわてて馬を止めてヨミさんを見る。ヨミさんは馬から降りるとあたりに耳を澄ますように目を瞑っていた。

 ざわざわと森が騒ぐ。な、なんだろう、何かいるのだろうか。私は怖くなって馬を降りて、ヨミさんのそばにぴたりとくっつく。


「ヨミさん、ヨミさん? 何かいるんですか?」

「ああ、ちょっとね。少し俺もおいたが過ぎたってところかな?」


 ぱちり、目を開けたヨミさんは荷物の中から呪符を取り出す。それも一枚ではない、数枚だった。

 ヨミさんはその札をもって歩き出す。何をするのかと見ていれば、私たちの周りに八か所、私たちを取り囲むように地面に呪符を張り付けた。


「ヨミさん?」

「しー。しゃべるなよ。いいか、絶対に何が起きてもしゃべるなよ。今俺たちの周りには『姿を消す結界』を張ってある。しゃべったら俺もお前も死ぬからな?」


 ヨミさんの低い声といつになく真剣な顔に、私は無言で首を縦に振ると、きゅっと口を結ぶ。念のため手で口を覆っておいた。

 ヨミさんがあたりを見渡す、私も息をひそめながら周りを見渡す。

 次第にドシン、ドシン、地響きのような音が聞こえてくる。その地響きは私たちのほうに近づいているようだった。どっど、と心拍が上がる。私は口を覆う手に力を籠める。

 何事もありませんように、何事もありませんように。私は心の中で何度もつぶやく。


「……っ!」


 地響きが止んだ瞬間、私の目の前に生臭く暖かい風が当たり目を閉じる。馬の鳴き声と蹄が地面をける音が聞こえる。馬が逃げたのだろうか。

 そして次に目を開いたとき、私は目の前にいた『生き物』に腰を抜かした。私の目の前に、巨大な龍のような生き物がいたのだ。その龍は馬を口にくわえている。先ほど鳴いて逃げようとしたうちの一頭だ。もう一頭は運良く逃げられたに違いない。声を出したら私も馬と同じ運命が待っているのだろう。私は今一度口を覆う手に力を籠める。

 ふうふうと息を荒らげる龍は、ヨミさんが魑魅魍魎で呼び寄せるものとは違い、巨大で、凶悪な顔をしている。赤い瞳は片方しかなく、皮膚はところどころただれて剥けている。

 私は悲鳴を呑み込んで、じっと動かずに龍を見る。隣にいたヨミさんも無言で私を見ていた。

 龍はすんすん、と鼻を鳴らす。私たちを探しているのだろうか。私はいまだ手で口を覆ったまま、必死に叫びたいのを我慢する。

 時間にして数分、だけど私にはもっと長く感じられた。やがて龍は私たちの元を離れ、すうっとどこかへ消えていくのだった。


「は、はぁあ……」


 私は口を覆っていた手を外し、大きく息を吐いた。死、死ぬかと思った。


「はあ、危ない危ない」


 それでもヨミさんはいつものようにあっけらかんとした声で笑っていた。本当に、この人の神経の図太さには感心するばかりだ。


「ヨミさん、今の、なんなんです?」

「ああ、あれね。俺があまりにも魑魅魍魎を軽々しく使うから、たまに地獄の番犬、いや。『番龍』が俺を地獄に連れていくために現れるんだ」


 ニコリ、笑うヨミさんに怒りがわいてくる。なんなんだよ、この人のせいで私は死にかけたのか。いつもいつも自分勝手でわがままで。そもそもやっぱり魑魅魍魎の使い方、普通じゃなかったんじゃないか。地獄の番の龍が現世にお出ましだなんて、どう考えても普通じゃない。


「レイン?」

「この……馬鹿ヨミが! 危うく私まで死にかけたでしょう!」


 震える足で立ち上がり、彼の胸ぐらをつかんで怒鳴りつけていた。しかも呼び捨て。仮にも師匠になんて態度をとるのだと、破門されるのも覚悟した。それでも私は我慢できなくて、ぱしん! とヨミの頭を軽快な音とともにたたいた。


「痛っ? レイン?」

「ばか、あんたは大バカ者よ。下手したら死んでいたかもしれないのに、なんでいつもそうやって笑ってるの? 私は、あんたのせいで死ぬところだった!」


 怒りを通り越して涙が出ていた。


「……それでも俺は、死ねないけどな」

「あっ……」


 ヨミの言葉に私は忘れていたことを思い出す。ヨミは不老不死だ。いくら地獄の番が来ても、彼を地獄に連れていくことはできないはず。


「あんたを守るために結界を張ったんだけどな」


 ヨミの言葉に私はハッとして口をつぐんだ。なんだ、なんだ。私が足を引っ張っていただけじゃないか。

 そうだ、彼なら結界を張って隠れなくても、地獄の番に殺されることはなかっただろうし、もしかしたらあの龍だって倒せたかもしれない。そういえばあの龍は皮が剥けていたっけ。あれはもしかしたら、ヨミがやったのだろうか。


「レイン?」


 私はヨミの服の裾をつかむ。ごめん、その言葉は素直に出てこなくて、私はただただ泣くことしかできない。


「まったく。男を殴るだなんて、いい度胸をしてる。やっぱりお前は、筋がいい」


 ヨミはそんな私の頭を乱暴に撫でると、どこか寂しげに笑う。破門は、されなかった。

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