第5話 山賊遭遇〜魑魅魍魎〜
陸路を歩いてチャイーを目指す。正直私は旅を甘く見ていた。普段からあまり運動をしていなかった私にとって、旅は過酷なものだった。
まず一日に歩く量が半端なかったし、それにほら、こうやって山を歩いていて山賊に絡まれることももう何度めかもわからない。
「へへ、お前ら若いな? 荷物おいていけよ?」
「えーと、その……」
私はもはや慣れてしまった山賊の言葉に驚くことはなかった。旅を始めて一週間、多い時で一日に三度は山賊に遭遇する。それだけ治安の悪い時代なのだ。
それにしても今回の山賊は特にたちが悪いなあと憐みの目を向けた。
「お嬢ちゃん? 馬鹿にしてんのか?」
「い、いいえ。でも、あなたたちの身のためです。早く立ち去ったほうが……」
私が山賊たちに言葉をかけるさなか、ヨミさんがふーん、とうなづくのが見えた。ああ、今日はご機嫌斜めか。私は心の中でご愁傷さま、と山賊たちに手を合わせた。今から起きることは大体予想がつく。ヨミさんの機嫌が悪い時は、たいてい山賊たちは同じような目に遭う。
「あんたら、暇だねえ。俺たちは先を急いでるんだ。邪魔しないでくれるかな?」
言葉は優しいけれどヨミさんの目は笑っていない。ああ、早く立ち去ってくれと願っても、そんなもの彼らに届くはずもなく、逆にヨミさんを刺激するような言葉を吐き出す。
「なんだ若造? やるのか?」
確定。山賊たちの未来はもはや悲惨なものに確定したといっていいだろう。
ヨミさんを見れば左手をゆっくりと山賊たちにかざしている。今日は何をするのだろうか、私まで緊張して足が震えてくる。怒っているときのヨミさんは手が付けられない。
旅を始めてわかったことなんだけれど、ヨミさんは案外気が短い。
ヨミさんのかざした左手から、ぼう、っと青い炎が上がる。空には黒雲が立ち込めて、昼間だというのにあたりは暗くなる。
「な、なんだ?」
風がびゅうびゅうと吹き荒び、あたりの木々が大きく揺れて木の葉を巻き上げる。
ヨミさんの手からはいくつもの青い火の玉が出てきて、それは異形のものを形成していく。体が小さい人間に角が生えたものや、ぎょろぎょろと目が大きい青い顔、ひとつしか目がない傘のようなものや、首が伸びた女、はたまた九の頭を持つ犬や、青い瞳の竜と、あたりはさながらお化け屋敷のようになる。
唯一お化け屋敷と違う点は、これらの異形の者たちが、『本物』であることぐらいだ。
山賊たちはいよいよ震えだしたがいに身を寄せて腰を抜かす。そんな様子をヨミさんはさもおかしそうに笑って見ているのだ。一番怖いのは、ヨミさん自身だと私は思っている。
「で、若造はあんたたちの喧嘩を買うことにしたよ。これが俺の戦い方なんだけれども、これでもまだ、俺と喧嘩するのか?」
ヨミさんはけたけたと笑いながら山賊たちに近づいていく。山賊たちは腰を抜かしているため、ただただ泣いて許しを請うことしかできなかった。
「ゆ、許してください。魔術師だとは知らなかったんです」
「そうだ、俺たちはあんたが魔術師だと知っていたなら、こんな無礼な態度はとらねえよ!」
口々に謝罪する山賊を見て、ヨミさんはふーん、と顎に手を当てて山賊を見下ろす。その姿は獲物をいたぶるのを楽しんでいるようにも見えた。やっぱりこの人、子供っぽい。
「そう。じゃあこうしよう。レイン、お前がこいつらの処分を決めろよ」
「は? 私が? ……だって私が決めたらヨミさん怒るでしょ?」
私は面倒くさい、とため息交じりに言う。私に話題を振ってくるのは予想外だった。今までだったら、腰を抜かした山賊から馬や食料をもらって旅を続ける、という処遇だったのに、なんでいきなり私に振ってくるのだろうか。本当に、読めない人だ。
「じゃ、じゃあ。十数えるうちに山賊たちがいなくなれば、そのまま逃がすことにしませんか? もし十数えてもまだここにいるようだったら、『例のあれ』使いましょう?」
私は少し意味深にヨミさんに言う。『例のあれ』なんてものは実際存在しないのだけれど、山賊たちは顔を真っ青にして私とヨミさんを見ている。
まあ、山賊たちもこれで学習しただろう。世の中には山賊なんかよりもっともっと怖い人間がいることを。
「そう。じゃあそうしようか。いいか、山賊? 馬と食料はもらう。で、俺が十数えるうちにこの場から去れ。視界から消えろ。それができなかったらもっと上級の『魑魅魍魎』がお前たちを襲うだろう。いいか? いーち」
ヨミさんは山賊たちを見下ろすように言ったあと、目を瞑って数を数え始める。まるでそれは鬼ごっこを楽しむ子供のようだった。本当に性格の悪い人だ。
相変わらずあたりは『魑魅魍魎』で非現実的な、まるで地獄のような絵面だったが、山賊たちは抜けた腰でようやく立ち上がり、途中途中転びながらも森の外をめがけて走っていく。
「九、十! さーて、消えたか?」
ぱちり、目を開けたヨミさんは、「なーんだ」と声を漏らした。
「残念、もっといたぶろうと思っていたのに」
「ヨミさん? 約束通り山賊は消えたので、早く『魑魅魍魎』を帰らせてください」
「はいはい、わかったよ。レインは相変わらず怖がりだなあ」
ヨミさんがパチン、と左手の指を鳴らすと、あたりの魑魅魍魎は消え、黒雲も晴れていき、風も凪いで行く。
先ほどヨミさんが出した『魑魅魍魎』は、ヨミさんが契約した『魔物』の集まりだという。初めて見たときは私も腰を抜かしてしまいその場から動けなくなった。
ヨミさんの左手は、魔物や霊力との『契約の腕』だという話は聞いた。そういえば初めて会った時も、左手をかざして神父を吹き飛ばしていたし、妖精を出した時も左手だった。それから両親の姿が見えるようにとつないだ手も。右手は現世に、左手は黄泉につながっているのだ、とヨミさんは言った。
「レイン、それで、地図は見つかったか?」
「あ、はい。山賊たちの地図によれは、この道で合っていますよ」
本当に、あんなことをした後だというのにヨミさんは顔色一つ変えない。あんな、人を脅すようなことをして良心が痛まないのだろうか。いや、良心があったらあんなことはしないのはわかりきっているけれど。
私たちは山賊の乗っていた馬を二頭だけ残し、後の数頭は自由になれるよう手綱を外して置いていく。馬にまたがり再び旅路を歩く。こう言ったら不謹慎だけれど、山賊に遭うと馬が疲れるまでは馬で移動できるから、ありがたいといえばありがたいのだ。それにしても、さっきの山賊たちは気の毒だ。今日は機嫌が悪かったから、ヨミさんの『魑魅魍魎』も、いつもより数も多いし、姿かたちも恐ろしいものばかりだった。
ヨミさんは魑魅魍魎を『呪符』なしで呼ぶことができる。呪符というのは、妖精をよんだ時や両親の姿を現すのに使った、長方形の紙に各々に『契約印』が書かれた札である。なんでも呪符があるのとないのとでは、呼び寄せられる魔物や霊、発することのできる力にも違いがあるらしい。
ちなみに妖精というのは呪符なしでも呼べるくらいの下級なものらしいけれど、私に見えるようにするために、わざわざ呪符を使ったそうだ。
「レイン? レイン! なにぼーっとしてるんだ?」
「え? ああ。妖精たちを見て喜んでいたころが懐かしいなあと」
私は何も考えずに思ったままを答えた。オンミョウジの力が、こんなに理不尽なものだとは知りたくなかった。いや、そもそもヨミさんの力の使い方が他と常軌を逸しているのかもしれない。
「それは弟子になって後悔したって意味ととっていいのかな?」
「いえ、違いますよ。でも私は、オンミョウジの力を悪い風には使いませんってだけの話です」
私の言葉にヨミさんは面白くなさそうに顔をゆがめた。ああ、わかりやすい人だ。
「そういえば、あの時出した妖精って、もう会えないんですか?」
私は話題を変えるようにヨミさんに言う。ヨミさんは少し不満げにしていたが、しぶしぶ口を開く。
「会えないことはない」
「へえ、それじゃあ会わせてくださいよ」
私はヨミさんのほうを見ないで言う。どうせ聞き入れてくれないことはわかりきっていたからだ。馬の手綱をしっかり握り、前だけを見る。あとどれくらいでチャイーなのだろうか。あと何時間で夕暮れだろうか。今日の夕飯は山賊たちが持っていたもので作るとして、明日は何を作ろうか。
『レイン、レイン!』
「え? あれ? サラマンドラと、ウンディーネ……?」
ペチペチ、と私の頬を叩く感覚に現実に意識を戻せば、そこにはあの日出会った妖精、サラマンドラとウンディーネがいた。
二人は私を見るとにこりと笑う。なんだかあの日が遠い昔のように感じられて懐かしくなった。
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