第2話 容赦ない君

 思わず立ち上がりそうになるのを堪え、静かな雰囲気を壊さないギリギリの声量で、目の前の編集者に抗議する。


「全然ダメ?は?それどういう意味だよ!ちゃんと読んだのか?」


「もちろん。」


 シオリはメガネを押し上げた。そのレンズに寒々しい光が反射する。当然、伊達メガネだ。機人に視力の問題なんてあるわけがない。


「まず、主人公の個性が薄すぎる。」


「だって重視すべきは主人公じゃなくて、主人公を取り巻く女の子たちだろ!」


「それから、タイトルには『一途な純愛』って書いてあるくせに、内容は主人公が手当たり次第に女に手を出し、未亡人に色目を使い、娼館で大いに遊びまくるっていう、不誠実極まりない展開ばっかり。」


「だからそれが男の夢なんだよ!」


「それに加えて、物語の中に黒髪でメガネをかけてて、青い目をした機人美少女が一切出てこないっていうのも腹立たしい。」


「最後のそれ、完全に君の私怨じゃねえか!」


「ともあれ、データ分析の結果として、ストーリー展開や各種タグの特性を総合的に評価し、現在の流行傾向を考慮すると、予測される利益率は1を下回る。出版した場合、大きく赤字になる可能性が高い。現在市場に出回っている、ターゲット層が明確でストーリーがきっちりしている無双ハーレム作品と比べると、あなたの作品はただ性癖を晒して、恥部を振り回しているだけで、商業的価値が一切感じられない。娯楽性においても、癖が強すぎて予想される読者層が極端に狭い。」


「だったら最初にそのデータ分析の結論だけ言えよ!それと後半は完全に人身攻撃だろ!」


「以上。」


 シオリは微笑む。


「ゴミね。おめでとう、また一本の駄作を産み出したわ。」


「よーし、喧嘩売ってんのか?無双ハーレムを舐めるなよ!今すぐ外に出ろってんだ、オラァ!ぶっ飛ばしてやる!」


 シオリに向かって暴言を吐き散らす俺だが、彼女は微塵も表情を崩さず、ただ一口コーヒーを飲んだだけだった。


「いいえ?だって、私の知る限り、上手く書いてる人はたくさんいるもの。私はただ、あなたに対して喧嘩売ってるだけよ。」


「余計にたちが悪い!」


「まったく。執筆に専念するとか、新しいジャンルに挑戦するとか言って、出てきたのがこんな拙劣な模倣作品だなんて。だから、今の連載を中断するっていう案には賛成したくなかったのよ。おかげでスケジュールが全部詰まっちゃった。上からのプレッシャーを受けてる私のこと、少しは考えてほしいものね。」


「うっ……」


 痛いところを突かれ、思わず黙り込む。確かに、あのジャンルを簡単に真似られると思った俺が間違っていた。だって、徹夜でいい作品を観たら、自分でも書いてみたくなるだろ?それに、シオリがきっちり調整していたスケジュールを押しつぶしたのも事実だ。言い返す言葉が見つからない俺に対して、シオリは追い打ちをかけることなく、顎に手を添えて俺を見つめ、微笑んだ。


「あなたって、本当に私がいないとダメなんだね。」


「は?」


「ダメダメなあなたは、どこをとってもポンコツ。ちょっと目を離せば、すぐにこうやって転ぶ。私が手綱を握らなきゃ暴走するし。私が言わなければ、食事や睡眠を忘れる。人見知りで、私が一緒じゃなきゃ、初めて会う方との接し方さえ分からない。私がいなければ、とっくに死んでるかもね。」


「そ、それは今回の作品とは関係ないだろ!」


「関係あるわ。」


 シオリは胸を張り、手を自分の胸元に置いた。


「挑戦はとてもいいこと。でも思い出してみて。チーレム系な題材よりも、あなた自身にもっと近い題材があるんじゃない?例えば、献身的で、美しくて、優しくて上品で、かわいい機人美少女とのラブコメとか。」


「は?いやいやいや、俺の周りにそんな奴いないから!どっちかって言うと、鬼みたいな機人なら……」


 言い終える前に、俺の顔が掴まれた。


「痛い痛い痛い痛い!骨が砕けるぅ!目玉が飛び出るぅ!脳みそが鼻から漏れそうだ!パワー強すぎだろ、もしかして軍用の規格に改造したのかっ?」


「はぁ。やっぱり、もっと時間をかけてあなたを面倒見ないといけないわね。別に望んでるわけじゃないけど……仕方ないから、そうするしかないわ。ええ、本意じゃないのよ。」


「あの、シオリさん?そろそろ手を放してもらえませんか?なんか、何かが砕ける音がしたような気がするんですけど?」


 顔が潰れそうだと本気で思い始めたその瞬間、顔を締め付ける圧力が突然消えた。見ると、マスターが隣に現れ、パスタをテーブルに置いていった。とても美味しそうだ。


 シオリはため息をつきながら、静かにパスタを食べ始める。俺も痛む顔をさすりながら、大人しくフォークを手に取った。


 二人で無言のまま食事を進める。


「……」


「……」


「なあ。」


「なに?」


「そんなにダメだったか?」


「ダメというより、今のままじゃ売れないってこと。だって、同じ題材で上手く書けてる作品がたくさんあるんだもの。ビッグデータの分析が参考になるのは、あなたも分かってるでしょ?」


「そうか……だよな。失敗したか。試してみたかっただけなんだけどな。」


 再び俺たちは沈黙に戻り、食事を続けた。微かに聞こえるのは、食器が触れ合う小さな音だけだった。


「……ねえ。」


 今度はシオリが口を開いた。彼女はフォークを置き、真剣な表情で俺を見つめる。


「ん?」


「ハーレム。欲しい?」

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