第3話

「佐々木さん!」


 背後から名を呼ばれ振り返ると、市原が小走りでやってきた。


「やっぱり気になるから家まで送るよ」


 ――やっぱり。

 京香が勘繰っていた通りのようだ。

 市原は家に上がり込むつもりなのだろう。しかし、マンションの防犯は完璧で、エントランスには常駐している管理人もいる。何かあれば声を上げればいい。

 マンションのオートロックの前まで来ると、市原は京香の顔を覗き込んだ。


「大丈夫?」

「もう大丈夫なんで!」


 京香は強い口調で言った。

 実際大丈夫なのだ。京香はザルで、全く酔ってはいなかった。


「良かった。じゃあまた会社で」


 市原は安堵の表情を見せると背を向けた。


「え? どうやって帰るんですか?」


 咄嗟に聞いていた。


「さっきのタクシー待たせてるから大丈夫だよ」


 振り返った市原は来た方向を指差し微笑んだ。

 面喰らった京香は立ち尽くし、しばらく市原の後ろ姿を眺めていた。



 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一気に飲み干した。

 京香の心は罪悪感に押し潰されそうだった。

 ――ただのいい人じゃん。


 たった一度の食事では、京香の疑念が完全に晴れた訳ではなかったが、もうそれを確かめる術もなかった。

 さすがに次はないだろう、と思っていたが、その日は案外すぐにやってきた。



「お疲れ様」


 駅のホームで声を掛けられた京香が振り向くと、市原だった。


「お疲れ様です。あ、市原さんもこっち方面だったんですよね」

「うん、そうそう」


 すぐに電車が到着し、二人は乗り込んだ。

 京香がこの間の食事の礼を伝えると、「楽しかったよ」と、市原からまさかの返答があった。


「俺、次の駅なんだ」

「え? あ……そ、そうなんですね」


 動揺していた京香はぎこちない返事をした。


「佐々木さん、明日は仕事終わり予定ある?」

「いえ、別に何も」

「じゃあまた飯誘ってもいいかな?」

「え? ……あ、はい」

「じゃあ明日、また連絡ちょうだい」


 市原は後ろ手で右手をあげ、電車を降りていった。

 誘い方に嫌らしさは全く感じず、その後の妙な間もなく、完璧なタイミングでの降車に、京香は感嘆の溜め息を漏らした。

 誘い方までスマートだ。きっと慣れているのだろう。またもや完璧な姿を見せつけられた。


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