11 知りたいのに

 千里が行ってしまうのを見届けてから、私は秋津の方を振り返った。秋津は側に置いていたリュックの中に丁寧に本を入れると、それを背負いあげて私の方へ来た。

「だいぶ遅くなったな、急いで帰ろうぜ」

と、戸締りをして職員室に向かう彼はいつも通りで、さっきの千里とのことなどまるでなかったかのようだ。大声で名前を呼んだ理由すら聞かれなかった。

 聞かれてもどう答えていいのか分からないけれど、聞かれないのも不自然な気がして、私はちらちらと秋津の顔を窺った。けれど秋津は、言葉通りちょっと急いで歩いていて、どんな顔をしているのか表情を見ることはできなかった。


 いつも通り下駄箱に向かい、隣に並んで自転車をこぐ。そろそろ夕方は半袖では寒い季節になり始めていた。ややして秋津が口にしたのは、作業途中の看板の事だった。

「あれから進んでんのか?」

「うん。来週には終わって制作に戻れると思う」

「そうか。モデルとやらはもう大丈夫なのか?」

「まだだけど……一応写真を元に描いてはいるよ」

「そうか」

 それきり秋津は黙ってしまった。いつもならたわいのない話をぽつぽつとし続ける秋津が、今日はやけに静かで、私は落ち着かなかった。思い浮かぶのは、ドアを開けた瞬間の千里の顔ばかりだった。

「ねぇ、秋津」

「なんだ?」

「あのさ、今月の文芸部の部誌、どうして私に見せなかったの?」

 たずねた瞬間、秋津の両目が大きく見開かれた。その瞬間、ハンドルがかくっと横に傾いて、秋津は慌ててすぐに立て直した。

「読んだのか。あ、いや、別に読んで悪いもんだってわけじゃねぇが」

「読んだよ。千里さんの新作、いつもと違ってライトノベルみたいで読みやすかった」

「そうか……いや、なんかいつもと違うからよ、つまらねぇかと思ってな」

「そんなことなかったよ。むしろ今までで一番面白かった」

 そう言うと、秋津はしばらく黙った。こちらに顔を向けようとしないので、表情は分からないけれど、返事に困っている事だけは私にも分かった。


 やっぱり秋津は、あの千里のメッセージを受け取っている、と私は確信した。受け取って、それを私に見せまいとしたのは、私にもそのメッセージが分かると、分かることで困ったことになると思ったからなのだろう。けれど私にとって問題なのは、その「困る」がどういう種類の「困る」なのかだ。

「秋津はさ、千里さんのことどう思ってるの? あの小説読んで、どう思ったの?」

「どうって……ただの同級生だろ。あの小説だって、俺にはつまらねぇもんだったし」

「じゃあ、私が読んだって秋津が気にすることはないじゃない。それなら読ませてくれればよかったのに」

「だから、別に読んで悪いわけじゃねぇって言ったろ。つまらねぇもんをわざわざ茅に勧める気にはならねぇし」

 そう言われると、言葉に詰まってしまった。

 ただの同級生で、つまらないものを書くような人と、今日あんなに楽しそうに喋っていたの、と聞きたかったけれど、そんな風に質問を重ねることはさすがにできなかった。そんな問い方をすれば、秋津がますます困ることは分かっていたし、それで「そうだ」と言われたらこの話は終わってしまう。


 けれど、私の胸のもやもやは晴れない。むしろますます重く曇って、気持ちが濁っていくような気がした。

 秋津は千里が好きなの? 好きなのに、側にいる私に気を使って、その気持ちを表に出せないだけじゃないの? こうして私を家まで送ってくれるのは、子供の頃からの義務になっているだけじゃないの?

 秋津の言葉に答えは見えない。見えないのが苦しくて、もやもやして、私はだんだんイライラしてきた。長い付き合いなのだから、少しくらい本音を言ってくれてもいいのに、と思わずにはいられない。

「私、先に帰る!」

 そう言って、ペダルをこぐ足に思い切り力を入れて立ち上がり、私はスピードを上げた。

「えっ、おい待てよ! 待てって、あぶねぇぞ!」

 私が必死に力を入れてこいでも、秋津はすぐに追いついてきた。けれど私は、それきり帰るまで秋津の方を見ず、無言のまま帰宅した。

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