第3話
夜の屋敷は静まり返り、明かりの灯った廊下がやけに長く感じられる。
俺は用意した客室の前で足を止め、そっと扉を叩いた。
「入るぞ」
中から返事はないが遠慮がちに扉を開ける。
アリシアは客室のベッドに腰掛け、毛布を肩に掛けて少し縮こまるようにして座っている。見るからに疲れきった姿だ。
テーブルに置かれたポットからカップに湯を注ぎながら声をかける。
「ああ……。ど、どうした? こんな時間まで起きてるのか? なんて……」
思えばしっかり話した事の無い相手だ。急に気まずくなり、口調もたどたどしくなってしまった。
彼女、ため息をつきながらぽつりと口を開いた。
「どうしてあんなことになったのか、私にもよくわからないんです……」
か細い声が返ってくる。その声はどこか虚ろで、普段の気丈さが感じられない。
「ほら、取り敢えずこれでも飲んどけば……その、適当には温まるから」
湯気を立てるカップを差し出すと、アリシアは一瞬ためらったものの、そっとそれを受け取った。両手で包み込むようにカップを持つ仕草は、まるで壊れ物を扱うかのようだった。
「……ありがとうございます」
小さな声で礼を言う彼女に、俺は軽く肩をすくめる事で答える。
部屋の中に再び静寂が訪れて、暖炉の音と風が窓をかすめる音だけが響いていた。
「で、だ……。結局何があったんだ?」
原作を知っている身からすれば大体把握しているが、当然それを彼女が知っているわけでも無い。
聞かないのも不自然だと思い、そう問いかけた。
アリシアの手がわずかに震えるのが見える。
「……先ほども言いましたが……私にも、分かりません。あの場所に居たのは、馬車から飛び降りて必死に逃げていたからです」
「ここに来たのは完全な偶然ってわけだ」
彼女は顔を上げず、カップの中をじっと見つめたままだ。
それからしばらく無言の時間が続いたが、やがてポツリポツリと語り始めた。
「理由は……セシリアに嫌がらせをしたから、だそうです。でも……私は、そんなことはしていません」
その言葉に俺は眉をひそめた。
「……セシリアのことは確かに気に入らなかった。でも、それで私が何かしたわけじゃありません。それなのに……」
アリシアは、そこで言葉を詰まらせたが……苦しげに顔を上げ始める。
その瞳には悔しさと混乱が入り混じっていた。
「気づいたら、私が彼女に嫌がらせをしたことになっていましたの。最初は何かの冗談だと思って気にしませんでした。でも、それがいつの間にか真実みたいに広まって……気づいたら、誰も私を信じなくなっていましたわ」
言葉の端々ににじむ絶望と無力感。それが、どこか胸に刺さる。
「お前さんが何もしてないっていうのは、本当なんだな?」
「ええ、本当です……」
その目に浮かぶのは悔しさと困惑。
俺は彼女の言葉を嘘だとは思えなかった。
学園生活での事を思い出そうとしたが、そもそも彼女とはクラスも違っていたし、特に接点が無かったからそういう噂があった事すら知らなかった。
(でも待てよ……おかしいぞ、これは)
俺は腕を組み、視線を床に落とした。
原作ではアリシアの悪行は確かに描写されていた。
証拠もあったし、それ相応の断罪を受けるのが当然だった。
それが今は濡れ衣だと言う。この話に一体どんな齟齬がある?
(もしや、セシリアも……っ!)
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