第3話 吉本仁とテリ鳥居

「うっせぇぞ! 話しかけんなババア!」




 俺はわざと乱暴にドアを閉め、ドスドスと音を立てて歩いた。安アパートの共用廊下に足音が鳴り響く。薄い金属のカンカンうるさい音は、行き場のない俺の怒りのようだといつも思う。




 この時間だと小走りで行かないと学校に間に合わない。今日は水曜日だから生徒指導の竹本が校門に立っているはずだ。アイツは嫌いだ。間に合いそうにない時でも「諦めるな! 走れ!」と怒鳴りつけてくる。クソ、こんなことになったのも、言ったとおりの時間に起こさないババアのせいだ。




「おー、今日はセーフだな吉本。ちょっと走ったか?」




 担任教師の岩本は薄ら笑いを浮かべている。バカにされたような気がして腹が立ったが「おっすおっす、今日もババアのせいか?」と智和が耳打ちしてくれたので、少し冷静になれた。




「おう、そうなんだよ。あのババア、絶対7時半には起こせって言ってんのにさあ」




 俺の愚痴に智和は深く頷いてくれた。やっぱり、持つべきものは友達だ。智和がいるから、つまんない奴だらけの学校も少しはマシになるってもんだ。




 もうすぐテストだとかで、楽しみにしていた部活が今日から休みらしい。智和も予定があるとか言うので、俺は一人で家までの道を歩いていた。今は仕事でいないが、夜になったらまた母親と顔を合わせなきゃいけなくなる。何故だか分からないが、顔を合わせるとつい怒りたくなって、どうでもいいことでも文句を言ってしまう。




「はぁ……」




 思わずため息をつくと、急に背中をトントンと叩かれた。まるで励ましでもしているかのような、不思議な優しさを感じて振り返ると、そこには小学生くらいの男子がいた。白いシャツは汚れひとつない新品といった様子で、まぶしささえ感じる。





「お兄さん、お困りのようですね。良ければこれを使ってみてください。お守りです」





「んあ、ああ、ありがとう……ございます」





 何となく、敬語を使わないといけない気がした。この男の子の放つ不思議な迫力に気圧されたのか、思わず手を差し出してその「お守り」を受け取ってしまう。それはちょうど、神社の鳥居のミニチュアのようだった。




「イヤなことがあったら握りしめてください。きっと貴方を守ってくれますよ」





 そう言うと彼は俺を追い越して歩いて行った。俺は小さな鳥居を少し持て余したが、とりあえずポケットに入れた。





 お守り。そういえば小学6年生のころ、母ちゃんがお守りを作ってくれたことがあった。俺が初めて野球部でレギュラーを獲ったとき、初試合の前日に渡してくれた。結局当日はガチガチに緊張してしまったけど、なんとか1つヒットを打てたのはあのお守りのおかげかもしれない。




「あれ、どこにやったっけ……」




 そう呟きながら、ぼんやりと家に帰るのだった。




◇ ◇ ◇ ◇




ひとし、ごはんできたよ」




 勉強しなきゃと思いながらダラダラとスマホを触っていた。気づいたらだいぶ時間が経っていたらしい。テレビを消して食卓につく。




「いただきます」




 母ちゃんに聞こえないくらいの声で言うと、それに重なるタイミングで「仁、学校どうなの?」と聞かれた。




「別に」




 何となくバツが悪くて、わざと左手をポケットに突っ込み片手で食べる。シチューを口に運ぶとちょっと濃い目のバター風味を感じた。今日も旨い、と思った瞬間、裏切られたことに気づく。




「おい! ニンジンは入れんなって! このクソ……」




 爆発的に沸く怒りに我を忘れて母ちゃんを怒鳴りつけてしまう、はずだった。ポケットの中で握り込んだ左手は、入れっぱなしにしていたミニ鳥居をこれでもかと握りしめている。





 すると不思議なことに、シチューの皿からカットされたニンジンが吹き飛んだのだ。




母ちゃんは呆然としていたが、俺は確かに見た。薄い膜のようなものが俺を中心にドーム状に広がっていく様子を。その膜が、ニンジンだけを弾き飛ばす様子を。




「……ああ、片付けるよ」




 ニンジンと器を交互に見つめ不思議そうな顔をする母ちゃんを現実に戻すため、俺は床や壁に飛んだニンジンを回収し、それらを三角コーナーに捨てながら、高揚感に浸っていた。




 こいつはすごいモノをもらったぞ。




◇ ◇ ◇ ◇




 次の日もまた、遅刻気味に家を出る。5月の生暖かい風も、このミニチュア鳥居を握りしめて「拒否」すれば、俺のところに不快感を届けることはできなかった。




 校門に近づく頃には予鈴が聞こえた。今日も生徒指導の竹本が門にいて何か怒鳴っているようだが、「拒否」している俺の耳には全く届かない。一応、呼び止められないように走るポーズだけはしておいた。






「おはよ、智和。聞いてくれよ、俺さ……」




 智和は何人かの男子と喋っていて、話しかけると一瞬目があった。しかし何事もなかったかのように会話を続け、俺のことは無視してきた。




(とっておきの話題があったのに、智和の奴……。)




 小さく舌打ちし、席につく。朝のチャイムが鳴ると智和が席に戻ってきて「お、今日はいるじゃん。クソババアもたまには役に立ったか?」と話しかけてきた。「いやいや、今日だって起こしてくれてねえよ。それに昨日なんてシチューに大嫌いなニンジン入れやがって……」などと返事をしながら、俺は少し安心していた。




◇ ◇ ◇ ◇




 午前中の授業はひたすらに快適だった。クラスのうるさい女子たちが騒いでも、鳥居を握ればシャットアウトできる。それに集中力をなくしたときに「雑念」を吹き飛ばせたときは驚いた。本当にこいつの使い道は無限大だ。




「おい智和、体育一緒に行こうぜ」




 昼休み、だるい着替えを早めに終えて智和に声を掛ける。しかし相変わらずつれない奴で「悪い、俺腹痛いからゆっくり行くわ。先行ってて」と手を振ってきた。仕方なく、一足先に体育館に向かおうと思ったが、一旦トイレに寄ることにした。




 尿意を吹き飛ばしたらどうなるのか、などと考えながらズボンを上げ、ポケットに手を入れ歩く。教室の前を通りかかると、中から智和たちが話している声が聞こえてきた。




「吉本さ、まじでいつもいつも声掛けてきてウザいんだよね。『昨日はママが大嫌いなニンジンを入れてきた~』とか言って騒いでるし。中学生にもなって自分の親をクソババア呼びとかもダサいし、あ~もうなんで俺にばっか声掛けてくんだろなマジで」





 耳を疑った。だが、一方で納得感もあった。最近智和を誘っても反応が悪かったのだが、どうやらそれは勘違いではなかったらしい。




 理解が追いつくとともに頭が真っ白になった。もう全てがどうでも良くなった。俺には何一つ、大切なものなんてない。もう何も近づけたくない。




 そう思いながら、ポケットの中身を握りしめる。例のお守りは俺の心を如実に反映してくれる。冷たい心のまま教室に入ると、椅子も机もみんなのカバンも、何もかもがひとりでに倒れ、ズズズと床を這うように俺から遠ざかる。




「おい! なんだよ!」

「どうなってんだ? 吉本、お前がやってんのか!?」




 智和とそのお仲間がギャアギャア騒いでいるが、そんなことより気になることがあった。何故か、俺のカバンだけはこのバリアに飛ばされずにいる。……よく見ると、どうやらサイドポケットの中身が引っかかっているらしい。





 開けてみると、そこには失くしたと思っていた手製のお守りが入っていた。両手で丁寧に拾い上げると、俺を覆っていたバリアは消失した。




 大切なものは、ないわけじゃない。ただ俺が勝手に失くしたと思っていただけだったのだ。




 母ちゃんのお守りを両手で握りしめて、心の中で感謝を伝える。顔を上げると、もう智和たちはいなくなっていた。俺は倒れた机や椅子を下通りにしながら独り言。




「この鳥居のお守り、もらってよかったな……」




 学校の帰り道で起きた、あの不思議な出会いを思い出しながらポケットを探ったが、中にはもう何も入っていなかった。




◇ ◇ ◇ ◇




「では絵馬さん、よろしくお願いします」




 白いシャツの少年が絵馬に何かを書き込むと白いもやが立ち昇り、馬の形を成していく。白い馬はすばやく校舎の中へとくうを駆けゆき、迷うことなく1B教室に向かう。




 馬は散乱した机の中央にいる少年に近づき、もやで出来た身体を彼のポケットに潜り込ませて数秒後、小さな鳥居とともに現れ再度形を成したかと思うと、あっという間に廊下の窓から外に出た。




「ありがとうございました。今回も無事に仕事を終えることができました」




 学校の敷地外で鳥居を回収した少年は、落ち着いた足取りで人混みの中に溶けていった。

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神座市のふしぎ 平成03 @heisei03

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