第10話
第10話:破れた心
玲奈は大学を去る決意をした。あれから数週間が過ぎ、ついにその日が来た。彼女の部屋の机には、まだ引き出しの中に押し込まれていたノートや教科書、未読のメールが山積みになっていたが、どれも今の玲奈には無関係に思えた。
手に取るべきだと思っていたものは、どれも彼女の心の中では重すぎて、捨ててしまった方が楽だと感じていた。だが、感情の整理がつかないままでその場を離れることに、どうしても心がついてこなかった。自分が、どこへ行くのか、何を求めているのかが分からなかった。
陽一との関係は、彼の思いが本物だったとしても、あまりにも傷が深すぎた。どれほど謝罪されても、言葉は空虚に響くばかりだった。そして結衣との過去の影が、永遠に続くように感じて、もうどちらを選んでも自分が壊れてしまうのではないかと思った。
陽一が去った後も、玲奈は心の中で何度も彼を許したいと思った。しかし、それと同時に、彼が自分に与えた傷があまりにも深すぎて、どうしてもその傷を忘れることができなかった。
その日、最後の授業を終えた玲奈は、周囲に別れを告げることなく、大学を後にした。人々がキャンパスを行き交い、学生たちが笑顔を交わす中で、玲奈は一人、静かな足音を立てて歩いていた。
大学を去るその瞬間、何かが心の中で壊れる音がした。
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夕方になり、玲奈は自分のアパートに戻った。部屋の空気はいつも通り静かで、何の変化もなかった。だが、その静けさが、玲奈にとっては耐えられないほど重く感じられた。
壁に掛けてある写真、鏡の前に立つ自分。昔の自分が微笑んでいる写真が、まるで別人のように思えて、目を背けたくなった。彼女は過去の自分を捨て、何もかも忘れたように生きたかった。だが、それは不可能だと気づいていた。
「どうしてこんなにも苦しいんだろう。」
鏡の前で呟き、玲奈はしばらくその場で動けなかった。すぐに、彼のことを思い出す。陽一のこと、結衣のこと、千紗のこと、そして、大学で交わした言葉すべてが、彼女を苦しめていた。
結局、何も変わらなかったのだ。どんなに頑張っても、誰かに頼らずに一人で歩んでいく決断をしたとしても、心の中に残る傷は消えなかった。そして、その傷が癒えない限り、前に進むことすらできないことに気づいていた。
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玲奈が引っ越しの準備をしていると、突然、電話が鳴った。
「もしもし?」
電話の向こうから聞こえてきたのは、千紗の声だった。
「玲奈、今どこにいるの?」
その声に、玲奈は一瞬、ためらった。だが、すぐに電話を切ることができなかった。
「私はもう、大学を去るつもりだよ。」
「それは…待って、ちょっと待って。」千紗の声に、焦りと驚きが交じった。「玲奈、そんな…突然すぎるよ。私、あなたに謝りたいことがある。だから、もう少しだけ…。」
玲奈は一度息を呑み、冷静に答えた。
「千紗、もう遅いんだよ。もう、これ以上誰とも関わらない。私は、もう誰のためにも生きていない。」
電話の向こうで千紗が黙った。その沈黙の中で、玲奈は彼女との関係が壊れていく感覚を確かに感じていた。
「玲奈…」千紗がようやく言った。「ごめん。本当にごめん。」
その言葉に、玲奈は何も言えなかった。千紗の謝罪が、今さらどれほど重く響いても、玲奈の心にはもはや何の響きもなかった。全てが遅すぎた。
「もう、私の中では終わったことなんだ。」玲奈は低く呟いた。そして、すぐに電話を切った。
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数日後、玲奈は引っ越しを終え、大学を完全に去った。その日、陽一と結衣、そして千紗と過ごした時間が、まるで夢だったかのように思えてきた。しかし、その夢のような時間が彼女に与えた傷は、決して癒えることはなかった。
新しい生活を始めることはできた。だが、その中で見つけたものは何もなく、玲奈の心は空虚なままだった。
陽一と結衣、そして千紗。彼らとの関わりは、玲奈を傷つけ、壊していった。その傷をどうにかして癒す方法を探し続けたが、答えは見つからなかった。
その日、夜が深まり、静かな部屋に一人で座っていると、玲奈はようやく理解した。
「誰も私を救うことはできなかった。」
彼女は誰かに依存することなく、一人で生きていくことを選んだ。しかし、その選択が本当に正しかったのか、分からないまま、彼女は深い眠りに落ちていった。
その心の奥底で、玲奈はただ一つ確信していた。誰も救えなかった自分を、誰かが救ってくれることなど、今後も二度とないだろうということを。
そして、破れた心が静かに眠りにつくのだった。
静かな地獄 @yuu_nishi
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