第28話 星々が繋ぐ道③
朝焼けが薄紅色の光を海面に反射させ、小船はようやく穏やかな水域に差し掛かった。空気は凍てつくほど冷たく、彼方には氷山の影がぼんやりと浮かび上がっている。北方の寒さが二人の体を貫き、嵐を乗り越えた安堵感をかき消していく。
ジョゼフは疲労困憊の顔で櫂を握り続けていたが、呼吸を整える間もなくアナスタシアに尋ねた。
「さて、お嬢さん。ここからどうするつもりだ?」
アナスタシアは膝に広げた星図を見つめ、震える指でそれを指し示した。
「星図が示している場所は、この辺りのどこかにあるはずです。北緯〇〇度…極点に近い場所です。」
「具体的な目印はあるのか?」
ジョゼフは眉をひそめた。
アナスタシアは首を振り、少し困ったような表情を浮かべた。「父の記した記録では、氷の中に埋もれた古い観測台があるとされています。でも、場所を特定するにはさらに詳しい観測が必要です。」
「つまり、俺たちの運任せってことか。」
ジョゼフが苦笑する。
「運ではありません。星が教えてくれるはずです。」
アナスタシアは夜空を見上げた。その瞳は希望に満ちていたが、どこか脆さも感じさせた。
小船が氷山の影を越え、凍りついた海面に近づくと、二人は寒さに震えながら陸地を目指した。岸辺にたどり着くと、荒れた雪原が広がっていた。白一色の世界には音ひとつなく、足元で雪が軋む音だけが静寂を破っている。
「ここが目的地なのか?」
ジョゼフが辺りを見回しながら尋ねる。
アナスタシアは星図を再び広げ、北極星の位置と方角を見比べた。「まだ先です。この雪原を越えたどこかに、観測台があるはずです。」
「この寒さでか?」
ジョゼフは頭を掻きながら呟く。「これじゃあ、星を見る前に凍え死にそうだ。」
雪原を歩き始めてしばらくすると、遠くに黒い影がいくつか見えてきた。岩か、あるいは人工物の残骸のようだ。
「見てください。」
アナスタシアが指差した。
二人はその影に近づいていった。それは崩れかけた石柱や建物の土台のようなものだった。長い年月と極寒の環境にさらされ、原型を留めていないが、確かに人工のものだ。
「これが観測台の一部…?」
アナスタシアは興味深そうに石柱に手を触れた。
「誰がこんな場所に観測台を作るんだ?」
ジョゼフは呆れたように言った。
「父の記録によれば、この場所は古代天文学者たちが建てたものです。北極星を観測するための特別な地点として選ばれたと書かれていました。」
「信じられねえな。」
ジョゼフは苦笑した。「星を見るためにこんなところまで来るなんて、普通の連中の考えることじゃない。」
二人が建物の残骸を調べていると、遠くからかすかな足音が聞こえてきた。アナスタシアは振り返り、背後の雪原を見つめた。
「誰か…近づいてきます。」
声が震えている。
ジョゼフはすぐに武器を手に取り、周囲に目を光らせた。「教会の連中か?」
その時、雪原の遠くに人影が見えた。それは一人ではなく複数だった。兵士たちがこちらに向かって歩いてきている。
「追いつかれたか。」
ジョゼフが短く舌打ちをした。
「どうしましょう?」
アナスタシアが怯えた声で尋ねる。
「まず隠れる。」
ジョゼフは素早く周囲を見回し、残骸の一部を指差した。「あそこだ。見つからないように動け。」
二人は崩れた石柱の裏に身を潜めた。兵士たちの足音が雪を踏みしめる音と共に近づいてくる。彼らの持つ松明の光がちらつき、静寂を一層不気味なものにしている。
「奴ら、どうやってここまで来たんだ?」
ジョゼフが低い声で呟く。
「星図を追っているんです。」
アナスタシアは震える声で答えた。「エリアスは決して諦めません。星図が示す場所を知っている限り、追いかけ続けるでしょう。」
「だったら、あんたが星図を守らなきゃならないってことか。」
ジョゼフが小さく笑った。「まったく厄介な代物だな。」
兵士たちの気配が近づく中、ジョゼフはアナスタシアに向き直った。「ここからが本番だ。お前が進むべき場所を星が教えてくれるなら、俺はその道を開くために戦う。」
「でも…あなたが…!」
アナスタシアが声を上げる。
「心配するな。」
ジョゼフは軽く肩をすくめた。「俺はこういう状況に慣れてるんだ。それに、ここで止まったら、ナディアやお前の父親が守ろうとしたものを無駄にすることになる。」
その言葉に、アナスタシアは涙を浮かべながら頷いた。星図を握る手に力を込め、彼女は再び前を向く。
「分かりました。私は先へ進みます。」
「よし、それでいい。」
ジョゼフが短剣を構え、笑みを浮かべた。「星図を信じて進め、お嬢さん。」
次回予告
極寒の地で教会の追撃を受けるアナスタシアとジョゼフ。兵士たちの襲撃をかわしながら、星図が示す観測台を目指す彼らが見つける真実とは――。
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