第27話 星々が繋ぐ道②
夜が深まると、海の静けさが不気味に感じられるほどだった。アナスタシアとジョゼフの乗る小船は、波に揺られながらゆっくりと北へ進んでいる。水平線の向こうには無数の星々が輝き、北極星が彼らの進むべき道を示していた。
アナスタシアは星図を膝に広げ、暗がりの中でその線を指でなぞっていた。波の音とジョゼフが櫂を漕ぐ音だけが周囲に響いている。
「おい、休んだらどうだ?」
ジョゼフが櫂を止めて振り返った。「船を沈めるほど急ぎじゃねえだろう。」
「星図を見ていると…不思議と落ち着くんです。」
アナスタシアは小さく答えた。声には疲れが混じっていたが、星図を見つめるその瞳はどこか熱を帯びていた。
「それに…父が残したものだから。」
ジョゼフは短く鼻を鳴らしながら、再び櫂を漕ぎ始めた。「そうか。だが、お前がそれを抱えてる限り、教会はずっと追ってくるぞ。重い荷物だな。」
「分かっています。」
アナスタシアは星図を巻き直し、そっと胸に抱えた。「でも、これが真実を示す道なら、私はそれを守り続けます。」
夜風が冷たく、アナスタシアは上着を羽織り直した。ジョゼフが火を入れた小さなランプが、船の中をかすかに照らしている。二人の影が揺れ、静けさの中で言葉が途切れがちになっていた。
「父さんは…どうしても地動説を証明したかったんです。」
アナスタシアが突然口を開いた。「夜になると、星図と望遠鏡を手に、一晩中観測をしていました。私もよく隣で手伝ったんです。でも、そのせいで…教会に目をつけられてしまった。」
ジョゼフは漕ぐ手を止め、振り返った。「お前の父親は立派だ。だが、その代償がでかすぎるってのも事実だろう。」
「それでも、父は最後まで諦めませんでした。」
アナスタシアは視線を落とし、震える声で続けた。「彼が残した星図を完成させることが、私にできる唯一の償いなんです。」
ジョゼフは短く息を吐いた。「償いねえ。お前が背負うには、少し重すぎるな。」
その時、ジョゼフが何かに気づき、急に口を閉ざした。耳を澄ませるように静止し、周囲を見回す。
「どうしました?」
アナスタシアが不安そうに尋ねる。
「音がした。」
ジョゼフの声は低く、緊張が滲んでいる。「後ろだ。追手かもしれん。」
アナスタシアは振り返る。暗闇の中、遠くに小さな光がいくつか揺れていた。松明だ――間違いない。教会の兵士たちが彼らを追ってきている。
「まだ追ってくるなんて…!」
アナスタシアの顔が青ざめる。
ジョゼフはすぐに櫂を漕ぎ始め、声を低く抑えながら言った。「急ぐぞ。この距離なら、まだ巻ける。」
小船は海面を滑るように進むが、追手の松明の光が徐々に大きくなっている。どうやら追撃船が風を利用して速度を上げているようだ。
突然、空気が変わった。冷たい風が一気に強くなり、波が荒れ始めた。海面に立つ波頭が、白い泡を吹き上げている。
「まずいな…嵐の兆しだ。」
ジョゼフが苦々しく呟く。
「嵐?」
アナスタシアの声が震えた。
「この風の変わり方は間違いねえ。」
ジョゼフが短剣を出して帆を調整しながら言った。「追手はやばいが、嵐に巻き込まれたらそれどころじゃない。」
波が船を激しく揺らし始め、アナスタシアは星図をしっかりと抱え込んだ。背後では追手の松明の光が、波に翻弄されるように揺れ動いている。
「祈るんだな。」
ジョゼフが短く笑った。「星を信じてるなら、あいつらが味方してくれることを願え。」
空を見上げると、雲が次第に厚みを増している。だが、その隙間から北極星が一瞬だけ輝きを増し、船の進むべき方向を示しているように見えた。
「星図が…教えてくれている。」
アナスタシアは小さく呟き、目を凝らして北極星を追った。
「そっちか!」
彼女が指差すと、ジョゼフがすぐに船の向きを変えた。「あんたを信じるしかないな!」
小船は北極星を頼りに進み始める。追手の光は次第に遠ざかり、やがて波に飲まれるように消えていった。風と波がさらに荒れ狂う中、二人はただ必死に星を追い続けた。
嵐は数時間続いたが、夜が明ける頃には波が静まり、空に淡い朝焼けが広がり始めた。疲れ切ったジョゼフが櫂を置き、海面に倒れ込むように座り込む。
「なんとか生き延びたな。」
彼は息を切らしながら笑った。
アナスタシアも星図を抱えたまま、疲労で体を震わせている。それでも彼女の目は北の方角を見つめ続けていた。
「次の場所が近いはずです。」
彼女は静かに言った。その声には、疲労の中にも確信が感じられた。
「休む間もないってわけか。」
ジョゼフが笑みを浮かべる。「いいさ、ここまで来たら最後まで付き合ってやる。」
朝日が海面を照らし、星図の上に光を落とす。その光はまるで彼女たちを祝福しているかのようだった。
次回予告
追手を振り切ったアナスタシアとジョゼフ。星図が示す新たな観測地点は、氷と雪に覆われた極寒の地。そこで彼らが見つけるものとは何か――。星々が導く旅は、さらに困難を増していく。
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