第26話 星々が繋ぐ道①

洞窟を抜け出たアナスタシアは、冷たい海風をまともに浴びた。頬を刺すような風と、波の音が耳に響く。彼女は無意識のうちに星図を抱きしめ、洞窟の出口に立ち尽くしていた。


後ろを振り返ると、洞窟の暗闇が口を開けたまま、彼女を飲み込もうとしているように見えた。中から聞こえるのは、剣と短剣がぶつかり合う鋭い音。そして、ナディアの叫び声が断続的に響いてくる。


「ここにいるな!逃げろ!」

その言葉が耳の奥で何度も反響し、アナスタシアの足を動かした。だが、心は洞窟の中に取り残されているようだった。


観測台の方向を見れば、教会の兵士たちが一帯を占拠しつつあるのが分かった。松明の炎が闇を照らし、遠くから怒声が響いてくる。あの場所に戻るのは不可能だった。


アナスタシアは岩場に身を潜めながら、先ほど洞窟の奥で見た星図の手がかりを思い出した。

「北緯〇〇度、氷の観測台…。」

父が記した最後の座標。その場所が、星図を完成させるための最終地点であることは間違いなかった。


「でも…こんな状況で、どうやってそこへ行けば…。」

彼女は膝を抱え込み、涙が零れるのを止められなかった。星図を守るために、多くの仲間が犠牲になっている。ナディアもまた、自分を守るために命を懸けている。そんな自分に、これ以上進む資格があるのだろうか。


「ここで泣いてても、星は助けちゃくれないぜ。」

突然聞こえた声に、アナスタシアは驚いて顔を上げた。


岩陰から現れたのは、観測台で戦っていた男たちのリーダー、ひげ面のジョゼフだった。彼の顔には無数の傷があり、片手には棍棒、もう片手には巻物を握りしめている。


「あなたは…どうしてここに?」

アナスタシアは涙を拭いながら尋ねた。


「お前を助けに来たんだよ。」

ジョゼフは荒い息を吐きながら言った。「ナディアがあんたを洞窟から出すって言ってた。それで俺たちはおとりになったが…どうやらここに隠れるのが精一杯だったな。」


「ナディアさんは…」

アナスタシアの声が震えた。


ジョゼフは短く首を振る。「分からん。ただ、彼女が戦ってる間に俺たちがここを出ないと、全員死ぬ。」


ジョゼフは周囲を見渡し、岩陰に身を潜めるアナスタシアに低く囁いた。「この島にはもう居場所がない。星図を持っているお前が逃げ延びなきゃ、全部が無駄になる。」


「でも…どうやって?」

アナスタシアは不安げに尋ねる。彼女の目には恐怖が浮かんでいた。


「島の裏手に船を隠してある。」

ジョゼフはそう言って指を差した。「俺たちが昔使ってた逃げ道だ。そこから沖に出れば、教会も簡単には追いつけない。」


「ナディアさんを置いて…行けません。」

アナスタシアは顔を伏せた。その声は小さいが、確固たる意思が込められていた。


「ナディアも、それを望んじゃいない。」

ジョゼフは星図を指さした。「その星図が、俺たちの未来だ。教会に渡さず、このまま進むのが、お前の役目だろう?」


その言葉にアナスタシアは黙り込んだ。彼女の中で、責任感と仲間への情がせめぎ合っている。しかし、星図を守ることが最優先だという事実を無視することはできなかった。


岩場を抜け、ジョゼフに案内された先には、朽ち果てた小さな船が隠されていた。それはかつて教会の追撃を逃れるために天文学者たちが使ったものらしい。


「船としてはギリギリだが、あんたを次の場所に運ぶには十分だ。」

ジョゼフが言った。


「でも、私一人じゃ…。」

アナスタシアは不安そうに船を見つめた。


「心配するな。」

ジョゼフがニヤリと笑った。「俺も乗る。俺にもまだ、教会の目を逃れながら生き延びる技術が残ってるからな。」


アナスタシアは星図を抱きしめ、ゆっくりと頷いた。「分かりました。でも、ナディアさんを迎えに戻る機会があれば…。」


「それは教会を振り切った後だ。」

ジョゼフが短く言い放つと、二人は小船に乗り込んだ。


船がゆっくりと動き出すと、岩場の奥から兵士たちの声が聞こえてきた。「あそこだ!船が出るぞ!」


「追いつかれる!」

アナスタシアが慌てて叫ぶ。


「心配するな。」

ジョゼフが笑みを浮かべ、帆を広げながら言った。「風は俺たちに味方するさ。ほら、あれを見てみろ。」


彼の指差す方向を見ると、水平線の向こうに、星図に描かれていた北極星が輝いていた。それは彼女たちを導く灯台のように、希望を示しているように見えた。


「星々は俺たちを見捨てない。」

ジョゼフの言葉が、アナスタシアの胸に深く響いた。


次回予告


追撃を逃れ、新たな観測地点へ向かうアナスタシアとジョゼフ。氷河地帯への厳しい旅路が始まり、彼らは新たな仲間と出会い、そしてさらなる困難に直面する。星図が示す真実の先に待つものとは――。

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