第25話 孤島の星⑤

洞窟の空気は冷たく、湿気がまとわりついていた。アナスタシアは背後の石壁に押しつけられるように立ち尽くし、胸に抱えた星図が微かに震えている。目の前にはエリアスが立ちはだかり、その冷徹な視線が彼女を貫いていた。


「君は分かっていない。」

エリアスがゆっくりとした口調で話し始めた。その声は低く響き、洞窟全体を支配しているようだった。

「真実というものが、人間にどれほどの混乱をもたらすかを。」


アナスタシアは喉を鳴らしたが、すぐには言葉が出てこなかった。だが、星図を握りしめる手には力を込め続けている。


「混乱をもたらすのは嘘です。」

アナスタシアは勇気を振り絞って答えた。その声には震えがあったが、揺るぎない決意が込められていた。「星図に記されたものは真実です。それを隠すことで、私たちが何を失うか考えたことがありますか?」


エリアスの眉が微かに動いた。それは驚きでも怒りでもなく、興味を示すかのような一瞬の表情だった。


「失うもの?」

彼は口角を上げて笑った。「君が失うのは、信じている『幻想』だ。人々は混乱を恐れ、安定を望む。それが教会の役割だ。真実など必要ない。」


「それでも…」

アナスタシアは一歩前に出た。自分の心臓が早鐘を打つ音が耳に響いていたが、それを振り切るように声を上げる。

「それでも父は、星図を守り抜きました。教会がどれほどの力を持っていても、真実を記録することを諦めなかった。それが、私たち人間の使命だからです。」


エリアスの表情が硬くなり、彼の瞳に鋭さが宿る。

「君の父は愚かだった。命を捨て、家族を危険にさらし、そして何も成し遂げることはできなかった。君も同じ道を歩むつもりか?」


その言葉に、アナスタシアの心は一瞬だけ揺れた。ナディアや船員たち、観測台で戦っている男たちの顔が浮かぶ。彼らもまた、彼女を守るために命を懸けている。


「それでも…」

アナスタシアは再び顔を上げた。その瞳には迷いを振り払った光が宿っている。

「父は愚かじゃない。私も愚かではありません。私たちは…星々が語る真実を守るためにここにいます。」


エリアスは静かにため息をついた。そして、手を差し出しながら冷たく言い放つ。

「星図を渡せ。それが君に残された唯一の選択だ。」


アナスタシアは手を差し出そうとするエリアスを見つめた。その背後から、松明の光が揺れ動いている。洞窟の入口に兵士たちが集まり始めていた。


「これ以上、時間を無駄にするつもりはない。」

エリアスが声を低める。

「君の抵抗は無意味だ。星図をここで終わらせるつもりか?」


アナスタシアは息を呑んだ。星図を見つめるその目が、揺らぎと覚悟の狭間で揺れている。その時、彼女の脳裏に父の言葉が鮮明に蘇った。


「星々が語る声を、決して消してはならない。」


その瞬間、彼女は手の震えが止まるのを感じた。そして、顔を上げ、静かながらも力強い声で言い放った。


「星図は渡しません。」


その言葉に、エリアスが表情を歪める。そして、彼は静かに剣を抜き放った。


「ならば仕方がない。」

エリアスがその剣を振り上げた瞬間、洞窟の奥から声が響いた。


「やらせるか!」


その声と共に、ナディアが血まみれの姿で洞窟に飛び込んできた。手には短剣を握り、目は鋭い光を宿している。


「お嬢さん、走れ!」

ナディアが叫ぶと同時に、彼女はエリアスに突進した。その動きは、もはや自分の身を顧みるものではなかった。


「ナディアさん!」

アナスタシアが叫ぶが、ナディアは振り向かない。


「ここで死ぬつもりなら、せめて星図だけは生かしてやる!」


その言葉にアナスタシアは足を止めるが、すぐに星図を胸に抱え、洞窟の奥へと走り出した。その背後で、剣と短剣がぶつかり合う音が鳴り響く。


洞窟の奥へと走る中、アナスタシアは台座の上にあった石板を思い出す。それが星図の暗号の答えを示していると確信し、奥の狭い隙間に身を潜めながら再び星図を広げる。


「光の反射…」

彼女は息を整えながら呟いた。「この洞窟にはまだ、父の残した秘密があるはず。」


その時、洞窟の天井から差し込む一筋の光が星図の一部を照らした。そこに描かれた星の配置が、石板の記録と完全に一致している。


「これが…次の場所。」

彼女の手が震える。それは恐怖ではなく、父の遺志にまた一歩近づいたという確信のためだった。


次回予告


星図の次なる手がかりを掴んだアナスタシア。しかし、ナディアとエリアスの戦いが洞窟を揺るがす中、彼女は再び逃亡を迫られる。星図が示す未来に進むため、彼女はどのような犠牲を払うのか――。

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