第24話 孤島の星④

観測台の裏手は、岩と蔦が絡み合った狭い抜け道だった。湿った空気が肌にまとわりつき、足元の土は重くぬかるんでいる。ナディアは短剣を抜いたまま先を進み、時折振り返ってはアナスタシアに小声で急かした。


「いいか、星図だけは絶対に離すな。奴らが追いついたら終わりだ。」


アナスタシアは頷きながら、胸に抱えた星図をさらに強く握りしめた。その細い指は震えているが、その震えを押し殺すように彼女は前を向き続けた。


「ナディアさん、逃げるだけじゃ…父の遺志が…」

「遺志だろうが真実だろうが、死んだらそこで終わりだ!」

ナディアが遮るように言い放った。その声には焦燥と苛立ちが混じっていたが、彼女の手はしっかりとアナスタシアを守るように動いている。


背後からは観測台での激しい戦闘音が響いてきた。棍棒と剣がぶつかり合う金属音、怒声、そして悲鳴が混じり合い、まるで地獄のような音響だ。アナスタシアはその音に背を向けながら、前へ進む足が重く感じるのをどうにか振り払おうとしていた。


「いたぞ!」

鋭い声が背後から聞こえた。振り返ると、教会の兵士たちが抜け道の入口に現れていた。松明を掲げた彼らの影が岩場に不気味に揺れている。


「やっぱり追ってきたか。」

ナディアが短剣を握り直し、低く舌打ちした。「お嬢さん、走れ!」


「でも…!」

「いいから走れ!あいつら全員、私がなんとかする!」


ナディアは振り返り、兵士たちを睨みつけるように立ち塞がった。彼女の背中は頼りなくもあり、圧倒的に頼もしくもあった。


アナスタシアは一度立ち止まりかけたが、ナディアの言葉が頭の中で反響する。「死んだら終わりだ」――その言葉が彼女を再び前へと駆り立てた。


彼女が抜け道の奥へと走り出したその時、兵士たちの叫び声がさらに近づいてくる。振り返ると、ナディアが短剣を振りかざしながら兵士の一人を押し倒している姿が見えた。その後ろで、さらに二人が剣を振り上げて彼女に迫っていた。


「ナディアさん!」

アナスタシアの声が裂けるように響いた。


「行け!」

ナディアが振り向かずに叫ぶ。「星図を守れって言っただろうが!」


その瞬間、ナディアの姿が兵士たちに囲まれ、視界から消えた。アナスタシアの目からは涙がこぼれそうになったが、それを振り切るように彼女は再び走り出した。


抜け道の終わりに、小さな岩陰が現れた。その奥に隠されるようにして、古びた木の扉が見える。アナスタシアは息を切らしながらその扉に手をかけた。錆びた金具が軋む音を立て、扉がゆっくりと開く。


中は暗く、かび臭い空気が漂っていた。壁際には古い棚が並び、そこには紙片や巻物が乱雑に積まれている。アナスタシアは星図を胸に抱えたまま、そっと中に足を踏み入れた。


「ここは…何?」


部屋の奥には、一つの台座が置かれていた。その上には星図と同じような配置で彫られた石板が置かれている。彼女はその石板に近づき、指でそっとなぞった。


石板には、星の位置と共に何かの計算式が刻まれていた。それは、父が星図に記していた理論の補完となるものだった。


「これが…父の記録の続きを示すもの…?」

彼女は震える手で星図を広げ、石板と照らし合わせた。


その時、外から足音が響いた。振り返ると、そこには教会の異端審問官エリアスが立っていた。彼の瞳には冷たさと鋭さが宿り、まるで全てを見透かしているかのようだった。


「見つけたぞ。」

エリアスの声は低く、洞窟全体に反響していた。「これが星図の秘密か。」


アナスタシアは星図を引き寄せ、一歩後ろへ下がった。「近づかないでください!」


「君がその星図を守ろうとする理由は分かる。」

エリアスはゆっくりと歩み寄りながら言った。「だが、科学の真実が人々に希望を与えるとでも思うのか?」


「真実は隠すべきじゃない。」

アナスタシアは震えながらも言葉を吐き出した。「父は、それを証明するために命を懸けたんです!」


「命を懸けただと?」

エリアスが冷笑を浮かべた。「君のその選択が、何人の命を危険にさらしているか分かっているのか?」


その言葉に、アナスタシアは一瞬だけ口をつぐんだ。ナディアや船員たちの顔が脳裏に浮かび、胸が締めつけられるように痛んだ。


エリアスがさらに一歩近づき、手を差し出した。「星図を渡せ。そうすれば、少なくとも君の命は保証しよう。」


アナスタシアはその言葉に迷い、視線を星図に落とした。自分の手の中にあるこの星図が、どれほどの重みを持つのか――それを守るためにどれだけの犠牲が必要なのか。


しかし、彼女の中には父の言葉が浮かんでいた。


「星々は語る。その声を消してはならない。」


彼女は星図を胸に抱きしめ、顔を上げた。その瞳には、迷いを振り切った強い光が宿っていた。


「この星図は、絶対に渡しません。」


次回予告


星図を巡る最終的な攻防が迫る。エリアスの手に渡るか、それともアナスタシアが守り抜くのか――命を懸けた選択の果てに待つものとは?星図がついに語り始める真実が明らかになる。

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