第13話 交錯する運命⑥

森は静まり返っていた。風が木々を揺らし、わずかなざわめきを生むほかは、異常なほどの静寂が漂っている。ナディアはひんやりとした夜の空気を吸い込みながら、足元の枯れ葉を踏まないよう慎重に歩を進めていた。


「星図を守れ、か……まったく、厄介な旅に足を突っ込んだもんだ。」


小声で呟きながらも、ナディアの表情には焦りの色はない。何度も荒波を越え、数々の危機を乗り越えてきた航海士としての経験が、彼女を冷静たらしめていた。それでも、背後に潜む追っ手の気配を完全に無視することはできなかった。


遠くで、兵士たちの声が聞こえる。


「奴らが森の奥にいる可能性が高い!捜索を続けろ!」


ナディアはその声が次第に近づいてくるのを感じながらも、立ち止まらなかった。月明かりが差し込む木々の隙間を見つけると、そこを抜けて入り江へと続く道を探す。しかし、その動きが不意に止まった。


「……誰かいる?」


風の音に混じる微かな足音が、ナディアの背後に忍び寄っていた。彼女は振り返り、右手を腰の短剣にかける。茂みが揺れ、次の瞬間、影が現れた。


「君は航海士か。」


その低い声に、ナディアの全身が警戒の色を強める。月明かりに照らされた男の顔は冷酷そのものだった。異端審問官――エリアス・グリム。教会から送り込まれた追っ手の中でも、彼が特に危険な存在であることをナディアは知っていた。


「こんな森で何をしている?」エリアスは冷静な口調で問いかけてくる。


ナディアは短剣を抜き、構えた。その目に怯えの色はなく、むしろ戦う覚悟が宿っているように見えた。「さあな。あんたに答える義理はない。」


エリアスは一歩踏み出す。だが、剣を抜く気配はない。ただその鋭い目がナディアを観察し、揺さぶるように続けた。


「君も知っているだろう。教会に逆らうことが何を意味するのかを。それでもこの危険な旅に身を投じた理由は何だ?」


ナディアは答えない。その代わり、左足を後ろに引き、逃げる準備を整える。エリアスはその動きを見逃さなかった。


「星図を守るためか?」彼はわざと低い声で問いかけた。その一言に、ナディアの表情が一瞬だけ揺れる。


「お前が星図のことを知っているなら、話は早い。」ナディアは睨みつけるように言った。「あれは私たちの未来を繋ぐものだ。教会の手に渡してたまるか。」


エリアスの唇がわずかに上がる。彼にしてみれば、その言葉は愚かしいとでも言うようだった。「未来、か。それが真実だと信じるなら、いくらでも逃げるがいい。だが、真実が何であるかを決めるのは君たちではない。教会だ。」


その瞬間、ナディアは身を翻した。逃げるタイミングを見計らっていた彼女は、茂みを駆け抜け、一気に森の奥へと突っ切る。エリアスは追おうとしたが、すぐには動かなかった。彼は冷ややかな目でナディアの背中を見送り、独り言のように呟く。


「どれだけ足掻こうとも、星々が導くのは私の手だ。」


ナディアが入り江にたどり着いた時、船の周囲は緊張に包まれていた。船員たちは入り江をカモフラージュする作業を終えたばかりで、アナスタシアが星図を抱えながら祈るように空を見上げていた。


「無事か!」アナスタシアが駆け寄る。


ナディアは肩を軽くすくめ、「まあな。だが、追っ手がすぐそこまで来ている。」


その言葉に、船員たちがざわつく。アナスタシアの顔にも不安の色が浮かんだ。「ここも見つかってしまうの?」


「まだ奴らは位置を特定していない。」ナディアは周囲を見回しながら言った。「だが、時間の問題だ。この船で動くのは危険すぎる。」


アナスタシアは星図を握りしめ、深呼吸をした。「なら、ここで観測を続けるしかありません。星の動きを記録するチャンスを逃せば、父の研究を完成させることはできない。」


「本気で言ってるのか?」ナディアが信じられないという表情で彼女を見た。「教会の兵士がすぐそこにいるんだぞ!」


アナスタシアは震える手で星図を見つめながら答えた。「私は逃げるためにここにいるわけじゃありません。父の意志を繋ぐために――星々が証明する真実を掴むためにここにいるんです。」


ナディアは短剣を握り直し、深い溜息をついた。「馬鹿だな、お前は。だが、その馬鹿さ加減、嫌いじゃない。」


その頃、エリアスは森を抜け、入り江の方向をじっと見据えていた。兵士たちが彼の元に駆け寄る。


「異端審問官様、島の反対側で新しい足跡を見つけました。」


「よろしい。」エリアスは静かに頷き、剣の柄を軽く叩きながら歩き出した。「奴らは近い。逃げ場がないことを思い知らせてやる。」


彼の背後で兵士たちが整列し、静かに進軍を開始した。エリアスの目には冷たく鋭い光が宿っている。


入り江では、ナディアが船員たちに再び指示を出していた。「カモフラージュは完璧だ。問題は、奴らがここにたどり着く前にどうやって次の一手を打つかだ。」


アナスタシアは星図を広げ、指差した。「このデータをもとに、観測を続けられる場所を探さないと。ここが見つかったら、次に移動する先を決めておかなければなりません。」


ナディアはその言葉に少し笑った。「追い詰められてる割には強気だな。だが、どうやら私たちは戦う理由を共有しているらしい。」


遠くから聞こえる兵士たちの声が次第に大きくなる。時間が限られていることを全員が悟る中、物語は次の局面へと進んでいく。



次回予告: 『光の証明①』


入り江での観測を続けようとするアナスタシアたちに、教会の兵士たちが迫る。異端審問官エリアスは星図を奪うため、周到な罠を仕掛けようとしていた。

逃げ場を失いつつある彼らの前に、新たな危険と驚くべき展開が待ち受ける。果たしてアナスタシアたちはこの危機を乗り越え、星々の真実を守り抜けるのか――。


次回、『チ。―地球の運動について― II』第3話、「光の証明」。

星々が導く未来への道筋が、新たな犠牲と共に描かれる。


読者へのメッセージ


いつも『チ。―地球の運動について― II』をご愛読いただき、ありがとうございます。このたび、本作をより深く、臨場感ある物語として楽しんでいただくため、小説形式に変更いたしました。


登場人物たちの思考や感情、星々が紡ぐ壮大なドラマを、より鮮明にお届けできるよう努めてまいります。これからも、アナスタシアたちが真実を追い求める旅路を応援してください。


地動説に命を懸けた者たちの物語が、より豊かに描かれる新たな形式でお届けする本作を、どうぞお楽しみください!

次回もお見逃しなく!

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