第19話 異界への扉

田中は「高橋佳奈」という名前が看板に浮かび上がるのを見て、これが自分の運命の終わりに近づいていることを直感した。これまで12人の「客」を導き、門へ送り出してきた。背中の看板が吸い込むように記憶や存在が薄れていく感覚――それが限界に近づいていることを田中ははっきりと感じていた。


いつものように看板を背負い、山道へ向かう途中で、田中はふと足を止めた。これまで契約に従い続けてきたが、疑問が頭を支配していた。


「なぜ俺が選ばれたんだ? この契約は何を意味している?」


頭の中で渦巻く問いに答えは出ない。しかし、今さら逃げることはできないことも、田中は分かっていた。


山道に到着すると、霧は一層濃く、視界はまったく効かなくなっていた。周囲の空気が異常に冷たく、風もないのに木々が不気味にざわめいている。田中は看板を立て、次の「客」を待つことしかできなかった。


昼過ぎ、不意に背後から声が聞こえた。


「……田中……お前も……。」


振り返ったが、そこには誰もいない。ただ森の奥から低い唸り声のような音が聞こえ、田中は背筋が凍るのを感じた。その時、背中の看板が重く脈打つように揺れ始めた。


「門が完全に開く時が来た。」


その言葉が頭の中に直接響いた瞬間、田中は山道の奥に霧の中から人影が現れるのを見た。


現れたのは30代前半と思われる女性だった。長い髪を後ろで束ね、シンプルな服装だが、その顔には深い疲れが刻まれていた。彼女は田中を見つめると、ゆっくりと歩み寄った。


「高橋佳奈さん……ですか?」


田中が声をかけると、彼女は小さく頷き、看板をじっと見つめた。


「これが私の……運命なのね……」


その言葉には、抵抗の余地を失った者の諦めが込められていた。彼女は田中に背を向け、山道の奥へと静かに歩き出した。


田中はその背中を見つめながら叫んだ。


「待ってください! この先に何があるんですか? 俺の役目は……何なんですか!」


彼女は立ち止まり、振り返ることなく答えた。


「役目が終わった時、あなたも門を通る……そう決められているのよ……」


その言葉を最後に、高橋佳奈は霧の中に消えた。


夕方、小屋に戻った田中は、看板を壁に立てかけた。そして新たに浮かび上がる文字を目にした。


「十三人目、門を通過。」


田中はその文字を見つめ、胸に押し寄せる恐怖を感じていた。これまで送り出した「客」たちは、すべて「門」を通って異界へ消えた。しかし、自分がその最後の役目を果たした時、何が起きるのか――その答えを知るのが怖かった。


その夜、田中は再び夢を見た。


夢の中で、田中は門の前に立っていた。門は完全に開いており、奥からは無数の影が彼に向かって手を伸ばしている。その中にはこれまで送り出した「客」たちの顔が浮かんでいた。


「次はお前だ、田中雅也。」


声が響いた瞬間、田中の背中の看板が完全に彼の体に溶け込むように感じた。そして、彼自身が門を開く「鍵」そのものになっていることを悟った。


目を覚ました田中は全身が汗で濡れていた。恐る恐る看板を見ると、最後の名前が浮かび上がっていた。


「田中雅也」


田中はその名前を見つめ、つぶやいた。


「俺が……最後の『客』なのか……?」


(第19話 終)

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