第18話 帰る道はない
田中は「鈴木良太」という名前が看板に浮かび上がるのを見つめながら、深い恐怖に包まれていた。導いた「客」はすでに11人。これまで門へ送り出した人々の行方も、自分が果たしている役割の意味も、未だに理解できない。
ただ一つだけ確信していた。
「もう、帰る道はない。」
その朝、田中は不安に押し潰されそうな感情を振り払い、いつものように看板を背負い山道へ向かった。しかし、足取りは重く、背中の看板もこれまで以上に重たく感じられた。
山道に立つと、霧がいつも以上に濃く、視界はほとんどゼロに近かった。周囲の静けさが異様で、風すらも止んでいる。森全体が息をひそめているように感じられた。
「もう、誰も来ないでくれ……」
田中は思わずそう呟いた。次の「客」を導くたびに、看板が重くなり、記憶が曖昧になり、自分の存在が薄れていく感覚が強まっている。導く者があと何人残っているのか、その答えを知るのが怖かった。
昼過ぎ、いつものように足音が近づいてきた。霧の中から現れたのは、30代半ばの男性だった。カジュアルな服装で、背丈は平均的。しかし、彼の目は深い恐怖と諦めを宿していた。
「鈴木良太さん……ですか?」
田中が声をかけると、男性は一瞬立ち止まり、驚いたように田中を見つめた。次に、看板に目を移し、その顔が蒼白になった。
「ここで……俺も終わりか……」
鈴木はそう呟き、肩を落として田中の隣を通り過ぎた。そして、ゆっくりと山道の奥へ歩いていく。田中はまた追いかけようとしたが、背中の看板が再び重くなり、その場に縛り付けられた。
「待ってください! あなたは一体どこへ行くんですか? 俺は何をしているんですか?」
鈴木は振り返らなかった。ただ、霧の中にその声だけが響いた。
「お前も、いつか……知る時が来る……」
夕方、小屋に戻った田中は、看板を壁に立てかけた。そして、いつものように新たな文字が浮かび上がるのを見た。
「十二人目、門を通過。」
田中はその文字を見つめながら、胸に重い空虚感が広がるのを感じた。導いた人数が増えるたびに、看板の持つ力が彼自身に浸透しているような感覚を覚える。
「俺も……門を通らされるのか……?」
田中は自問しながら、布団に倒れ込んだ。疲れ果てた体は重く、目を閉じるとすぐに深い眠りに落ちた。
その夜、田中は再び夢を見た。
暗闇の中で、田中は巨大な門の前に立っていた。門は完全に開ききっており、奥にはねじれた空間が広がっている。無数の黒い影が門の中から溢れ出し、田中の周囲を囲んだ。
「お前もまた、門を通る運命だ。」
その声が頭の中に響いた瞬間、田中の体が門の中へと引き寄せられた。必死にもがこうとしたが、体は動かない。門の奥に飲み込まれる直前、田中は自分の背中に看板が完全に融合しているのを感じた。
目を覚ました田中は、全身が冷たい汗で濡れていた。呼吸は荒く、胸が激しく鼓動している。恐る恐る看板に目をやると、また新たな名前が浮かび上がっていた。
「高橋佳奈」
田中はその名前を見つめながら、深い恐怖を押し殺すように呟いた。
「俺の役目が終わる時……何が起きるんだ……?」
(第18話 終)
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