第10話 夜明けの影
翌朝、田中は目覚めるとすぐに背中の看板を確認した。昨日浮かび上がった名前「藤本美代子」。その文字は夜が明けてもはっきりと残っており、田中に重くのしかかっていた。
「また誰かを門へ導くのか……」
彼は背中に看板を背負い、山道へと向かった。契約に従い、ただ黙って立つしかない。それが自分の役割なのだと無理やり自分に言い聞かせた。
その日は朝から異様な空気が漂っていた。薄曇りの空から太陽の光が届かず、山道全体が陰鬱な雰囲気に包まれている。風は完全に止まり、森はまるで息をひそめているようだった。
昼過ぎ、田中は不安な気配を感じ始めた。遠くの森の中から何かがこちらを見ている――そんな視線を感じるのだ。気のせいだと思おうとしたが、その感覚は次第に強くなっていく。
そして、背後で微かな足音が聞こえた。
振り返ると、山道の奥から一人の女性がゆっくりと歩いてきた。彼女は中年の女性で、少しボサボサの髪にシンプルな服を着ていた。どこかうつろな表情で、目には深い疲れが宿っている。
田中は名前を呼んだ。
「藤本美代子さん……ですか?」
女性は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに看板に視線を移した。そして、彼女の目が大きく見開かれた。
「……やっぱり……そうだったのね……」
その言葉の意味を田中が問いただそうとした瞬間、彼女は看板をじっと見つめながら歩き出した。まるで何かに引き寄せられるように、山道の奥へと向かっていく。
田中は叫んだ。
「待ってください! どこへ行くんですか?」
しかし、女性は答えない。ただ、霧の中にその姿を溶かすようにして消えていった。
その日の夕方、田中は疲れ果てて小屋に戻った。看板を壁に立てかけると、そこにはいつものように新たな文字が浮かび上がっていた。
「四人目、門を通過。」
田中はそれを見つめながら、心の中で叫びたくなった。この繰り返しには一体何の意味があるのか? なぜ彼は「客」を送り出す役割を担わされているのか?
その夜、田中は再び夢を見た。今度の夢は異様に鮮明だった。
暗闇の中、門がゆっくりと開かれ、藤本美代子がその中を歩いている。門の奥にはねじれた空間が広がり、そこから無数の影が彼女を取り囲むように現れた。
「まだ半分だ。」
低い声が響き渡る。その声は田中に直接話しかけているようだった。
目が覚めたとき、田中は額にびっしょりと汗をかいていた。胸が苦しく、呼吸が浅くなる。
看板を見ると、また新たな名前が浮かび上がっていた。
「森田健司」
田中は深く息を吐きながらその名前を見つめた。この名前が何を意味するのか、そして次に来る「客」はどこへ向かうのか――すべてが謎のままだ。
ただ一つ確かなのは、この繰り返しがまだ終わらないということだった。
(第10話 終)
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